【詩】 たまや
たまや
猫のような名の人が現れる
凛として立つ たま
心乱れることも 泣きくずれることも
あったはずの たま
たまは 気持ちを
言葉にするのがうまい
たまのうたは
腹からの
言霊が響き
たまの言葉が 私を叱る
たまのうたは
魂が降る
わたしを震わせ
たまの言葉が 私を癒す
たまに出会った頃
私は自分がたまだと思った
心根を共にするような気がした
私が持つはずだった精神があった
こんなふうでいたい感性があった
私は自分がたまだと思う
私の知らない あれやこれや
私のではない ことばのかずかず
私にはない 知識と教養
違いはあるのは わかっているけど
頑として信念を通す たま
ひと筋の 筆の線で書かれたような
潔さを感じる たま
たまや ありがとう
そして
その名のように 猫のように
私のそばにいてほしい
ときおりは ひざにのり
ときには 爪でひっかき
ーーーーー
どう聞こえるかわかりませんが、私はこの詩が形あるものに仕上がってびっくりしています。ほっともし、正直満足もしています。
これは、実は、先月書きました。そのころ知った詩人のことを、詩に書けないかと思っていたら、「たまや」というフレーズが浮かび、どうしても、その言い方を使いたくなって書き始めたものです。この書き方自体、その詩人のエッセイで、ヒントをもらったものです。
夜の散歩のとき浮かんで、帰宅後、「たまや」で始めて、詩的な言葉を、この人を表せることを、と書きつけてみました。でも、なんか空々しい、言ってるだけのように見えて、そこで終わりました。次の早朝、書いたものが気になって見直すと、私には詩が見えました。とりあえずでも書いておいてよかった。そして言葉を足し、書きたいことを足したり削ったりしました。音を見て、音色を聞いて、私なりに満足するところまで、何度も手直ししました。
以前、東野たまさんが、自分の詩作のやり方について書かれているときがあり、他の人のも知りたいという呼びかけに、私もいつか、自分がどうやって書くのか、書いてみようと思っていました。思いがけず、そのご本人のことを思って書いた詩で、披露することになりました。
たまさん、言ってみれば、これはあなたへの公開ファンレターです。
ここで、私の詩を読んでくれる、特に詩を書いている、みなさんに向けてです。(たまさんは、読まないで。)私はみなさんも、作品もとても好きです。だから、フォローしています。私が東野たまさんをとりあげて詩に書いたのは、早くに彼女の詩に共鳴したからです。でも、それは、誰かと比べてのものでもないし、東野さんが一番うまい、と言っているのでもありません。蛇足だと思いますが、つけくわえておきます。たぶん、私自身の器が小さく、こういうことに敏感だからだと思います。ですが、東野さんには、実は一つ、みなさんの誰にもない特別な理由もあるにはあるんです。東野さんは、私のフォロワー1号さんになってくれた人なんです。もちろん、詩もすてきで、、、(たまさん、読まないで!)
3行短文を始めてから、度胸がすわってきたような気がします。せっかくなので、その3行短文で書いたファンレターも、最後のお目よごしに。
さいのう あふれる ことばが とびだし
ことだま のように わたしに とりつく
たまさん わたしは あなたに なりたい
(なんだ、あんなにいっぱい書かなくてもよかった?3行で言えることを 。自由詩の不自由さよ。)
たまは、本当は人間です。たぶん。(note 上なので、何が本当なのかは。)
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