ブエノスアイレスの憂鬱
2年前のこの日、ブエノスアイレスで憂鬱に堕ちていた。この日の思考、というか葛藤を機に今の人生の道に入っている気がしている。2年経って、やっと文章にまとめることができた気がする。良かったら写真と共に読んでください。
7月21日は”ブエノスアイレスの憂鬱”と称している記念日だ。
自分の中の、自分だけの記念日。2年前の2019年に旅した時から制定されている。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着したのは、南米大陸の目的地・イグアスの滝を訪れた後だった。
憂鬱と鬱屈7割、それ以外の感情3割で旅した南米大陸の最終地点。そこでこれまでの感情が爆発した。
暗く重い冬の空は憂鬱をさらに加速してくれた。
旅する意味を問うて、それの答えが出せなくなっていた。これ以上旅をして何になるのか、何が残るのかとグルグル沼に堕ちていた。
”観光地に行っても楽しくない”というのは、イグアスの滝で大した感動も味わえなかった時点で確定していた。
みんなと同じ場所に行って、みんなと同じ光景しか見れないじゃん…
当時の自分は有名な観光地に対して、そんな感情を抱いていた。自分は何もしてないし、ただ与えてもらうだけの光景しか見れていない。
”世界で2番目に美しい本屋”に行っても「あぁ、こんなもんか」という感想を抱いたのをよく覚えている。今見返すと、当時の感情も含めて良い記憶だなと思えるんだけどね。
行きたかった場所に行っても、見たかったものを見ても、なんだかそれほど感動しない。期待しすぎていたのか、ほとんどが想像以下だった。
それはまるで、この世界から希望が消えていくような心地だ。地球を回って自分の中に抱いている小さな希望の地を順番に消していく作業。
これ以上この世界から希望が消えていくのは、消していくのは苦しい。
見たいものを見ること、行きたい場所にいくこと、やりたいことをやることは必ずしも正解ではないんだな。
そんなことを日記に書いていた。
でも同時に、「向こう(目の前の光景)が全てを与えてくれて、自分の期待に応えてくれる訳じゃない。結局は自分次第だ。」とも言っている。
そんな憂鬱の底にいたブエノスアイレスで、スペイン巡礼を歩く決意をした。
当初はブルゴス〜サンティアゴの500 kmを歩いて、そのまま東欧までいくつもりだった。
でも、これ以上見せられる光景で、与えてもらう光景で希望の地を消したくなかった。自分の力で見れる光景を見よう、自分の足でその光景を見よう。
そう思って、フランスのサン=ジャン=ピエ=ド=ポルからサンティアゴまでの800 kmを歩こうと決意した。見せてもらう絶景や与えられる光景ではなく、自分だけの、自分の力で世界を見るために。
安宿の天井にあたる雨の音を聞きながら味わった、やっすい白ワインとスーパーで買った牛肉。
あの雨音がなかったら、このワインと牛肉がなかったら、今の世界線には入らずに別の自分になっていたんだろう。
日本の裏側で悩み、苦しみもがいた夜も今となってはいい思い出だ。
重い空を見ると当時の空気を思い出せる。
ポストから日本に出した手紙、届かなかったな。
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