輪るピングドラム 走り書き
18話まで見た時点での頭の整理
まず、私はこのアニメのテーマを
「世代間の負の遺産の連鎖をどう断ち切るか」
だと考えた。
理由として、前の世代により、自分を否定し続けるというシーンが繰り返し繰り返し描かれているからだ。
終わらない連鎖
そもそもおとぎ話でいきなりリンゴの木が燃えたのはなぜだろうか?(おとぎ話だから理由ないと言わればそれまでだけど…)私の解釈では、高倉家の祖父母の選択により、大切なもの=りんごの木 が失われたのではと考えた。事実、高倉家の登場人物の中で祖父母の存在が不自然なほど全く出てこない。両親が犯罪者になって、その子供が路頭に迷ったら、両親の祖父母がまず出てきそうなものである。これは、祖父母もまた、犯罪とまでは言わずとも、負の遺産を高倉家の父母に引き継いだことを現しているのでは?
拡大再生産される負の遺産
今回のお話で、なぜ主軸となる高倉家の負の遺産としてom事件が採用されたのだろうか。それは、負の遺産は拡大再生産されるということを強調したかったからではなかろうか。このアニメ自体は、主に加害者としての高倉家、被害者としての荻野目家にフォーカスして描かれており、この両家に関してはテーマ的に負の連鎖を断ち切ることができるかもしれない(まだ最後まで見てない!)。しかし、他の加害者や被害者はどうだろうか?om事件によりもたらされた負の遺産を一生抱え続ける人々が出てくるはずだ。そうすると、そこから再び負の連鎖が始まっていく。前の世代よりも、より多くの人が負の遺産を背負い、広げていくのだ。もし、負の遺産の表現が毒親による家庭内での問題のみにとどまっていたら、それは家庭内での問題だと捉え、自分事としない視聴者が増えたはずだ。
水族館の帽子の正体はももか
また、水族館の帽子の=ももかであると解釈した。
根拠は司書の回想シーン
「彼女は僕と同じ景色を見ているけれども、僕とは違う行動を取った」
ももからしき少女とペンギンの帽子登場。
司書とももかは同じ次元にいるが、スタンスの異なる存在である。
司書とももかは、負の遺産に対する次世代のスタンスの違いとして現れている。比喩のおとぎ話と繋げると、司書のスタンスで行くと、大切なものを失うと言われる。それは陽毬ではないと思う。もっと、冠葉や昌葉らの次の世代に負の遺産として残るようなものなのではないか。
ピングドラムとはなにか
ずばり、「負の遺産の世代間連鎖を食い止める仕組み」のことではないか?
特に前半では、運命日記=ピングドラムというようなミスリードを誘う展開となっているが、
・そもそも運命日記には本当に運命を変える力はないのではないか?
うさぎが死ななくて済んだ→検証不可
ゆりやたぶちの回想→主観や比喩が多様に含まれていて、検証不可
苹果は運命日記を使用しても、運命を変えられなった。(ももかの運命に従おうとしていたからかもしれないが)
・ももか(帽子)は、ピングドラム=運命日記と断言しない。何故かそこだけ変な言い回しを多用。
「荻野目苹果がピングドラムを持っている'かもしれない'」等…
この2点から、日記はピングドラムの象徴ではあるが、ピングドラムそのものではないと考えた。
より正確に言うと、ピングドラム=ももかであり、ももかの行動を具現化したものが運命日記である。
なぜならば、彼女はゆりやたぶちそのものを無条件に受け入れることで、負の遺産の連鎖を食い止めたからだ。ゆりや先生は復讐心やももかを失った悲しみと板挟みになりながらも、苹果が自分自身に気づく手伝いをしたり、高倉家への復讐をとりやめた。ももかのような存在がピングドラムであり、苹果と昌葉の関係は未完成のピングドラムなのではなかろうか。
なぜ苹果は自分を受け入れられたのか?
昌葉の存在である。
昌葉が唯一、ありのままの苹果を見て接したために、家族を取り戻さなくても、苹果を否定しない場所を得られた。そのため、ももかの真似をする必要性を失った。
昌葉をうみだした冠葉の存在
冠葉はなにかと汚れ役であり、犯罪に手を染め、自分の命を陽毬に分け与え、自分や周りを犠牲にしても家族を守ろうとした。そして、そのお陰で昌葉の安全基地を作ることに成功した。
昌葉は愛の原体験がある家にすみ続けられたし、陽毬の命を救うためであっても優柔不断になってしまうことを責められない。結果的に自分を否定しきらずに生きられた。
13話くらいで、陽毬とももか(帽子)が再び死ぬ直前に、
冠葉「俺のやり方では駄目なんだろ!」
ももか(帽子)「お前はきっと(日毬を)救える」
みたいなくだりがあったのは、家族の防波堤になり、昌葉を生み出したことで、間接的にピングドラムの完成に寄与したからということでは?
よくわからないところ
・司書とももかがそれぞれなんの象徴なのか
・運命に対するスタンスの議論はどこでされてるのか。宗教的話題にも関係しそう。
・なぜ昌葉は苹果を無条件に受け入れられたのか。