「忙しいのに、なんでこの研修を受けなくちゃいけないの?」と聞かれたら
良い研修をつくるために「き」をつけることとして、前回は社内の雰囲気(き)をつくるという考え方を紹介しました。
今回は、「き」をつけることシリーズの最終回として、「いま必要なことだけではなく、いずれ必要になることを教える」という考え方について書いてみたいと思います。
ひとくちに「研修」と言っても
いわゆる「研修」と聞いて、イメージするのはどちらでしょうか?
A. 受講者がいま困ってる問題を解決するための研修(問題解決型)
B. 受講者はまだ問題には感じていないが、自身が置かれている現状を捉え直して問題提起するための研修(問題提起型)
問題解決型は、いわゆる知識/スキル系の研修が当てはまります。営業力研修、ロジカル・シンキング研修、部下育成研修などなど。一方、問題提起型は、たとえばキャリア研修などが当てはまるでしょうか。研修という枠を外せば、自社の未来を考えるワークショップや、経営陣の訓話なども含まれるでしょう。
問題解決型と問題提起型の区別は、以下の引用だとそれぞれ《テクニカルスキルの開発》《スタンスへのアプローチ》と呼ばれています。また、現場/事業部レベルではなく、経営/人事レベルが目を向けるべきは、問題提起型にあたる《スタンスへのアプローチ》であるとも言っています。
テクニカルスキルの開発は機会も多く、業務の中から学び続けることが十分可能です。多少意識があるメンバーは自ら学んでいます。会社で導入する際にも、効果が見えやすく、安価でハードルは低い。こういうのは事業部サイドでやればいいと考えています。
問題は、スタンスへのアプローチです。
・自身のスタンスに課題があると思っている人間はいない
・大きなブレイクスルーがないメンバーは大抵スタンスに課題がある
・通常業務内においてはスタンス改善に向き合う機会がほぼない
・忖度が発生しやすい社内メンバーからはスタンスへのFBを得づらい
経営や人事がコミットする必要があるのも、社外の方を招いた緊張感のある場を活用すべきなのも、ここ。
スタンスがよければスキルは後からついてくるもの。また、本当に人が成長するのって、景色が変わるかスタンスが変わるかのどちらかではないでしょうか。
『研修に3年で1億円以上…ペイしてるのか振り返ってみた(怖)』より
これまでは、問題解決型と問題提起型を明確に区別しないで「研修」について考えてきましたが、暗黙のうちに問題解決型をイメージしていたような気がします。みなさんはいかがでしょう? いわゆる「研修」と聞いて、どちらをより強くイメージするでしょうか?
問題解決型の研修については、乾き(必要性を感じる)、武器(やり方を手にする)、勇気(やれそうという気持ちを感じる)、本気(現場でやってみる)という「き」をつけるポイントを紹介してきました。今回は、問題提起型では何に「き」をつけるとよいのか?について書いてみます。
馬耳東風
問題提起型の難しさを一言で言えば、〈本人はまだ求めてない〉に尽きます。「き」をつけることのキーワードに倣えば、「乾き」がない。
問題提起型は、「この忙しいのに、なぜ〈今〉〈私が〉〈この内容を〉やらないといけないのか?」という受講者の問いに答えるところから始めなければなりません。受講者という個人にとっては、〈まだ来ぬ乾き〉で足踏みしている状態なのです。
こちらの動画は、受講者にいかにして乾きを感じてもらうのかに腐心している、人事担当者の例です。
動画の冒頭(3:10)で《人事って、ちょっと先回りして、優しいお母さん的に、現場に出たらこういうこと困るだろうから、ということで》という言葉が出てきます。問題提起型の研修というのは、(受講者という個人ではなく)研修を企画する組織の観点から言うと、未来に備えた「種まき」と言えるかもしれません。いわゆる、未来への投資ですね。(その対比で言うと、問題解決型は、すでにある問題(実)を刈り取っているとなるでしょうか)
未来への投資と言えば明るく聞こえますが、〈まだ来ぬ乾き〉に対比させれば、組織(経営/人事)としては、〈ちらつき始めた危機感〉とも言えるわけです。
問題提起型の研修というのは、個人(まだ来ぬ乾き)と組織(ちらつき始めた危機感)の間で、見ている景色がまったく違うという難しさがあります。動画の例(14:51)で言えば、3つの丸のうち《受講者の状況》と《事業戦略/組織戦略》が重ならない。
したがって、問題提起型の研修において、組織にとっての危機感を「いずれこれが必要になるからやっとけよ」と、危機感という語り口のまま渡しても、個人の側は受け取りにくいのです。組織は、将来必要になる武器を渡しているつもりなのだけれど、受け手である個人の側に乾きがないので、そもそも渡されたものが武器として映らないからです。
オトナの学び
組織にとっての〈ちらつき始めた危機感〉と、個人にとっての〈まだ来ぬ乾き〉というすれ違いは、以下のP-MARGEという考え方でも説明できます。
オトナの行う学習に対する研究は、実は、それほど多いわけではない。
教育学の主たる研究領域は、乳児から大学生までである。
社会に出たオトナは、あまり研究対象とは見なされず、少なくとも教育研究のメインストリームで扱われることは多くなかった。
(中略)
それではオトナの学習とは何か。
それを心にとどめておくのには非常に有益な用語がある。
これからは、これを「P-MARGE」と覚えよう。
P-MARGEとは左記の通りである。
◆ P:Learners are Practical. 大人の学習者は実利的である
◆ M:Learner needs Motivation. 大人の学習者は動機を必要とする
◆ A:Learners are Autonomous. 大人の学習者は自律的である
◆ R:Learner needs Relevancy. 大人の学習者はレリーヴァンス(引用注:「この学習内容は自分に関係するものだ」という感覚)を必要とする
◆ G:Learners are Goal-oriented. 大人の学習者は目的志向性が高い
◆ E:Learner has life Experience. 大人の学習者には豊富な人生経験がある
『企業内人材育成入門』より
P-MARGEという切り口で捉えれば、問題提起型の研修が難しいのは、受講者にとっての《実利(P)》《動機(M)》《レリーヴァンス(R)》《目的(G)》が欠けているからだと言えます。
効果的な学びを生むための6要素(P/M/A/R/G/E)のうち、4個(P/M/R/G)も欠けているわけですから、「種まきなんて無理ゲーなのでは?」という諦めがちらつきます。そもそも問題提起型の研修をするということ自体が、得策ではないのでしょうか? 組織にとっての〈ちらつき始めた危機感〉は、個人にとっては、どこまで行っても対岸の火事なのでしょうか?
乾きを生み出す
と、弱気なことも書いてみましたが、企業人事としての私は、「種まきは必要」だと強く思っています。その思いは、「組織か個人か」というOR思考(そして、組織の側を取った結果である「組織の論理を個人に押し付ける」という姿勢)からではなく、「組織も個人も」というAND思考から来ています。
ここまで書き連ねてきた、良い研修をつくるために「き」をつけることという枠組みに則って考えるのであれば、「個人の側に乾きがないことが問題であるのならば、その乾きを生み出すところからスタートしよう」となります。
しかし、ここで注意しなければならないのは、「いずれこれが必要になるからやっとけよ」と、〈説明〉を尽くすだけでは不十分だということです。種まきにおいては、その〈説明〉を〈受け取る準備ができていない〉というのが、問題の本質だったからです。研修の募集案内のような〈説明〉だけで十分な、問題解決型の研修とはそこが大きく異なります。
コップの水は、「もう半分しかない」? それとも「まだ半分もある」?
そこで、乾きを外(組織)から渡すのではなく、自分たち(個人)の中から見出してもらう、というアプローチを紹介します。P-MARGEで言えば、4つ(P/M/R/G)も欠けていることを嘆くのではなく、残された2つ、すなわち《自律的(A)》な個人の《豊富な人生経験(E)》に目を向けるわけです。
P-MARGEにおける《自律的(A)》と《豊富な人生経験(E)》は、具体的にはこのような内容です。
第一に大人は多くの場合で、子どもよりは自律的(Learners are Autonomous)なのである。
多くの子どもの学習が、「何を、いつ、どのように学ぶか」を教師に決められ、その学習が教師に依存的であるのに対して、彼らは自分で学ぶための道具や手法を探求しようとする。
つまり、オトナの学習は自発的で、かつ自己決定的な性格をもっている。
『企業内人材育成入門』より
第二に、オトナの学習は「経験」が中心になることも重要な事実である(Learner has life Experience)。
子どもは、あまり経験を有していないが、オトナは長い時間を生きているので、豊富な経験を有している。
そして、この経験にオトナは非常に価値を置く。
『企業内人材育成入門』より
受講者自身が《価値を置く》経験を足がかりにして、《自発的で、かつ自己決定的》に、受講者自身に乾きを見出してもらうのです。
そのための方法として、組織がアプローチしたい層(管理職や次世代リーダー候補など)に含まれる個人に集まってもらって、それぞれの経験を話し合ってもらう、というものがあります。いわゆるワイガヤです。こちらの動画で、その様子を説明しています。
動画では、経験を話し合っている様子を、上司や人事がオブザーブ(観察)して、次の打ち手を考えるための手がかりにするという手法を話しています。一方今回の種まきにおける、内側から乾きを見出してもらうという目的においては、少し違ったアプローチを取ります。
群盲象を評す
話し合いの場には、参加者よりも目線の高い人にファシリテーターとして入っておいてもらいます。たとえば、課長を集めて話し合ってもらっているのなら、部長がファシリテーターになるといった感じです。
参加者が各自の経験を話し合うと、「あーみんな同じ悩みを感じてるんだなー」という、一種の共同体意識(自分だけじゃないんだ)と、それゆえの安心感(自分だけじゃないから大丈夫だ)が生まれます。共同体意識は組織としての求心力に、安心感は自身の課題に向き合うエネルギーにつながるので、これはこれで大切な効果です。ここまでは、ファシリテーターがいなくても自然にたどり着きます。それくらい、《オトナは長い時間を生きているので、豊富な経験を有している》のです。
ここからが、ファシリテーターの出番です。共同体意識と安心感から生まれる、ある種の踊り場的空気を、上向きに混ぜっ返します。
「この問題(悩み)を、どう捉えるといいだろう?」
注意してほしいのは、「この問題(悩み)の原因はなにで、どう解決するといいだろう?」という問題解決としての問いではないという点です。あくまで、問題提起として問いかけます。
たとえば、こんなふうに。
彼らからはやはり、「いま新人研修を進めていて困っていること」の相談が多いです。それに対して、私の経験からできる直接的なアドバイスもしますが、実はそれ以外の話も結構多いのです。
それが「その問題は、経営陣からはどう見えるだろう?」「新人研修中じゃなくて、新人の10年後を考えたときに、どういう手を打つべきだろう?」「現場にいるときの自分だったらどう感じる?いまの感じ方とどう違う?」というように、主語や時間軸を変えながら、「その事象がどう見えるのか?」ということを問いかけます。
『「研修リーダーインタビュー」の更に裏側。新人研修はデザインされ尽くしている』より
注:《彼ら》は、新人研修を受けている新人ではなく、新人と日々接している育成担当者です。《彼ら》が、自身の経験(悩み)を語る側であり、《私》がファシリテーター(育成担当者のメンター)にあたります。
《直接的なアドバイス》は、問題解決的な視点である一方、《主語や時間軸を変えながら、「その事象がどう見えるのか?」ということを問いかけます》は、問題提起的な視点であることがわかるでしょうか。
目の前の問題に対して、今の自分のまま、問題解決的に取り組むのではなく、自身の視座を上げることで、問題をあらためて捉え直す。問題を主体的に捉え直すことは、その問題に取り組む《実利(P)》や《動機(M)》や《目的(G)》を自ら生み出すことにつながります。その状態は、問題が自分ごとになっているという点で、《レリーヴァンス(R)》を生んでいるとも言えます。
価値観の転換といっても、自分の外に新しい価値観を探しに行くのではないのだ。
新しいメガネを外から持ってくるのではなくて、今まで見ていたはずのものを、違うものとしてあらためて見なおす。
アップデートすべきは、目という視覚(外界情報の収集)ではなく、脳の視覚野(収集された外界情報の再構成)だ。
そのためにアクセスすべきリソースは、自分の外ではなく、自分の中。
『過去の自分と対話する。未来のリーダーを育てる方法 | 『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』』より
手元に残されていた、《自律的(A)》な個人の《豊富な人生経験(E)》をトリガーにして、問題提起型の研修に欠けていたはずの《実利(P)》《動機(M)》《レリーヴァンス(R)》《目的(G)》を生み出す。すなわち、受講者に「乾き」を感じてもらう。種まきにおける、外からの〈説明〉とは異なる新しい「乾き」の生み出し方です。
人は人から、そして、人々の中で学ぶ
思い返してみると、良い研修をつくるために「き」をつけることの冒頭は、「乾き」の生み出し方でした。そこでは、「乾き」を生む方法として、「受講者を評価する」という考え方を紹介しました。
「乾き」を生む方法として実は、もう一つ大切な要素があって、それが「他者」でした。
良い形成的評価とは、受講者の乾きを呼び起こすものです。
一方で、評価結果から乾きを引き出すというのは、とても内省的な取り組みであり、受講者本人だけでは難しい場合が多いのです。
そこで必要になるのが、他者です。
研修の場合だと、講師、研修担当者(人事)、受講者の上司です。
また、グループディスカッションなど受講者どうしのやり取りがあるのであれば、自分以外の他の受講者も、振り返りを促す他者となりえます。
彼らが受講者と一緒になって、評価結果を見ながら、「これまでの自分」への意味づけと、「これからの自分」の方向づけをしていきます。
他者からのフィードバックよって、同じ評価結果であっても、受講者の中に生まれる乾きというのは変わってきます。
『人を成長させるのは「裁き」ではなく「乾き」』より
以前は、受講者の《評価結果》を起点に、他者とのやり取りをとおして「乾き」を生み出していました。今回の種まきでは、起点が《自律的(A)》な受講者の《豊富な人生経験(E)》に変わったわけです。
しかし、他者の必要性は変わりません。問題解決ではなく、問題提起として捉え直させるという、難易度の高いファシリテーションが必要という意味では、種まきにおいて、その重要性はより高まっていると言えるのかもしれません。
「種まき」にあたる、問題提起型の研修においては、そのままでは「乾き」が欠けている。そこで、人材育成担当者は、「乾き」を外から与える(説明する)だけではなく、受講者が自ら見出すような手を打つ(経験を語る場と振り返りを促す他者)。そうして受講者が自ら「乾き」を見出したあとには、人材育成担当者は研修を通して、どういう「武器」を渡して「勇気」を抱いてもらうかを考える。こうして、良い研修をつくるために「き」をつけることの輪は、途切れずに回り続けるわけです。
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今回を含めて、全6回にわたって書いてきた、良い研修をつくるために「き」をつけることも、一応の最終回となります。
「き」をつけることは多岐に渡りますが、共通するのは、〈受講者の内面(内側)〉(乾き、勇気、本気)に目を向けることと、〈受講者が置かれた環境(外側)〉(期待、機会、磨き、雰囲気)にもアプローチしようとすることかなと思います。研修そのものだけを見ていたのでは、研修は良くならないと思います。研修の外に目を向ける。
〈受講者が置かれた環境〉の最たるものが、現場の上司であり、現場で携わる仕事内容です。人材育成担当者のみなさんには、自らの居場所である人事部から外に出て、まずは受講者、そして現場の上司と話をするところから始めてみてほしいなと思います。