奥さんのお腹が大きい時に出会った定食屋のおかみさんが教えてくれたこと
来月6歳になる息子が、お腹のなかにいるときの話。駅前の、感じの良い定食屋さんに、奥さんと二人で入った。何を食べたのかはまったく覚えていないのだけど、その店のおかみさんと、カウンター越しに交わした短い会話が、ふとしたときに蘇る。
おかみさんは、奥さんの大きなお腹を見て、とても自然にこう言った。
もう7年近く前の話で、言葉尻は違うかもしれないけど、でも、おかみさんが朗らかに軽やかに話していた様子は鮮明に覚えている。そして、僕らがとても温かい気持ちになったことも。
初めての出産ということで、僕と奥さんも人並みの不安に苛まれていた。不安に曇った目に飛び込んでくるのは、不安を煽る情報であり、そんな歪んだフィルタリングを施された情報が形作るのは、不安を煽る世界だ。
そんな中にあったので、おかみさんの朗らかさや軽やかさは、僕らをとても温かい気持ちにさせてくれた。
「そっか、楽しいことなんだ」
このときの会話は、いまでもときどき奥さんと思い出す。元気いっぱいに走り回っている息子を見ていると、たしかに、おかみさんの言ったとおりかもしれないと、あらためて感じる。
ビジネス・パーソンとして仕事を、父親として子育てを、自分より若い世代に、「楽しいよ」とけれんみなく言えてるだろうか。あのときのおかみさんのように。
経験を積むと、いろいろなことがわかってくる。〈わかる〉というのは、〈分ける〉ということでもある。分け方には、〈自分でなんとかできること〉と〈自分ではどうしようもないこと〉という線引きだったり、〈好きでやってること〉と〈辛いけどやらなきゃいけないこと〉というそれがある。
あのおかみさんにだって、〈自分ではどうしようもないこと〉や〈辛いけどやらなきゃいけないこと〉がきっとあったはずだ。おかみさんは、それらについては選別的に〈語らなかった〉だけかもしれない。
でも、僕らの受け止め方は少し違っていて、〈語らなかった〉のではなく、それらも丸ごとひっくるめて「楽しいよ」と包摂的に〈語った〉と、受け取った。その包摂性や、〈語らない〉という後ろ向きな姿勢ではなく〈語る〉という前向きな姿勢に、朗らかさや軽やかさを感じ取ったのだろうし、だからこそ、温かい気持ちになったのだと思う。
組織の中に、おかみさんのような人を一人でも増やしていくことが、若手の育成だったり、組織の永続性につながっていくと思っている。「仕事は大変だよ」「やりたくてやってるわけじゃないけど、やらなきゃいけないからやるんだよ」と語る大人の多い組織というのは、若者の目にはどこか不健全に映るだろう。
個人の側に目を向けてみても、〈分ける〉ことをしたうえでさらに、それらの断片を未来に向かって包摂的に〈語りなおす〉ことができると、大人としての時間がもっと豊かになるのではないだろうか。
人はみな最初、継がれてきた(≒誰かが継いできた)世代のなかで育まれる。その後、世代を継ぐ側に回る。世代継承性という文脈で、組織の今や、自分の来し方を見つめ直すと、なにが見えてくるだろう。