脱ギャンブル〜35日目〜

こんばんは。更新を豆にしたいとおもっておりますが、なかなか出来ておりません。

今日はひさびさに依存症というかひいてはギャンブルについての話をします。

テーマは「なぜ熱中してしまうのか」

おそらくハマった経験がない人はなぜやめれないのかが理解できないですしそれどころが進行形で依存症のかた、度を越して熱中している方もなぜ自分がそうまでしてやめれないのかということを理解できていない方が多いのではないでしょうか。

いつでもやめれると考えている間は絶対にやめることは出来ないと断言します。

なぜならいつでもやめれると考えている段階でやめていないからです。

ギャンブルにどんどんはまっていくメカニズム、というか肝になるのは惜しい!あとすこしだったのに!という経験です。

当たりというのは得てしてたくさんの中の一つをつかみとっているわけで、宝くじでいえばいわば常に前後賞のようなものが存在しているわけであります。

公営ギャンブルでいえば、番号の一つ違い、よく考えてかければあたっていたかも知れないという感覚。

パチンコでいえば過剰な激アツ煽りがそれに該当するでしょう。

当たりとはハズレと紙一重のところでつかんでいるものであり、当然長らく続けていればその経験は蓄積されていきます。

また逆に、それと同数かそれ以上に、紙一重のハズレという経験も蓄積されていくわけでそこに熱中してしまうトリックのようなものがあるのでしょう。

熱中してしまっている以上はそれを追い求めており、その当たり外れの感覚に快楽を得ています。その快楽を急にやめることなど到底出来はしません。

「脳が記憶している」ということにもっと危機感を持たなければならないですし、やめたときにまたやりたいなと脳が判断している以上、それは禁断症状が起きているも同然なのであります。

ギャンブルをやめるにはどうすればいいか。それは物理的にやめること、やらずに済む方法を考えることももちろん大切ではありますが、理解をした上でやらないということが非常に大切です。

よく依存症絡みの話になるとパブロフの犬が引き合いに出されますが、まさしくそのとおりなのであります。

ギャンブルを恨み、憎み、もうやらない!と心に強く誓うより、大事なことはギャンブルをやらずにいられない自分を理解することからはじめることであり、理解をした上でやらない手段を選択していくことなのであります。

自分は現在金銭の一切を両親に任せており管理してもらっておりますが、実際にお金をもたなければやりたいという渇望も起きません。

必要最低限だけのお金を持つという方法はおすすめできます。

依存症とは孤独の病であります。一人で治すことは至難の業でしょう。いやむしろ不可能だといっても過言ではありません。

社会の依存症に対する理解はまだまだ、まだまだ深くありません。その中で一人の考えではいい方向へ向かっていくことはまあまずないでしょうし、それ以上に誘惑や他人の誘いが悪い方向へ引っ張っていく恐れすらあるのです。

適切な環境に身を起き適切な処置を受ける。

まずはそこが脱ギャンブル、ひいては脱依存症の第一歩でしょう。


今日の渇望度:☆☆☆☆☆(0%)

理由:お金は大切であります。いままで紙くずのようにつかっていた1万円札の重みが最近身にしみております。

おしまい

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