脱ギャンブル〜12日目〜
ギャンブルをやめるには、まず〜〜〜をしろ、とか〜〜〜というマインドに切り替えろ。
という文言を割とよく目にする。
でも結局このマインドって、依存症を克服しつつある人間、もしくは依存症になったことのない人間の発想だから当事者にとっては意味をなさない。
たとえば、依存症であることを自覚しろ。という言葉。
→自分の場合、とっくに自覚していたがやめることが出来なかった。
他にも、誰を傷つけているか考えろ。という言葉。
→正直、自分のこと以外どうでもよくなっているから周囲の人間にたいしてかわいそうだなと哀れみを持ったとしてもどこか蚊帳の外のことのように考えてしまう。
あるいは、無理やりいけないようにしろ。そのうち行きたくなくなる。系の言葉。
→これはたしかに一理あるが、いかない間欲求はたまり続ける。そして爆発するタイミングがくる。また、スリップした際にのめり込みが深いような気がする。でもこれで辞めれる人は一定数いるのかもしれない。
しかし自分はこう考える。一貫して言えることは、根底に人生への諦めがあったということだ。
もう八方塞がりでどうにもできない、どうにもならない。行き着くところまで行くしかない、という諦めがあった。
どうにでもなれ、と思っていたフシがあったし、簡単に解決しない借金問題があったからこそ、ギャンブルを少しやめれていたところで現実逃避の方法としてすぐギャンブルに逃げスリップしていた。
単純な話、問題を抱えすぎていて解決することを諦めていたと言える。
ギャンブル依存症の問題は簡単に段階分けにすると問題は4段階だ。浅い方から順に言うと
・お金の問題
言わずもがな、ギャンブルに熱中してしまうと金銭感覚は完全に狂うので、借金を重ねてしまう。使ってはいけないお金を使ってしまったりもする。それらを繰り返すと徐々に人間関係にひびがはいってくる。
・人間関係の問題
借金をするほどに熱中していれば、周囲に気づかれたタイミングでやめろといわれる。やめろといわれたところで、やめれる度合いの熱中度ではないのだ。嘘をついてギャンブルを続ける。そして誰にも相手にされなくなり、孤立を深める。
・倫理観の問題
誰にも相手にされなくなると、人との繋がりがどんどんと消えていくため、いわゆる無敵の人となってしまう。無敵の人となれば、嘘をつくことに抵抗はないし、様々なことに対して善悪の区別がつかなくなる。おおかたここまで深刻化すれば借金もできるところがほとんどないため、お金を得るために犯罪が頭をよぎる人もいる。
・命の問題
これは倫理観の問題と並行して顕現する問題だと思うが、孤立を深めると自分がいつ消えてもいいと思うようになる。これは無敵の人となる問題と密接にリンクしているだろう。犯罪をするか、自殺をするか。ただギャンブル依存の問題は自害行為より他害行為に走る傾向のほうが強いのではないかと自分は推測する。なぜなら、ギャンブルへの渇望がいついかなるときにおいても消えることはなく、自分の欲求をはらすことを優先しようとするからだ。
ギャンブルの問題は一度どつぼにはまると雪だるまのように転がり問題は大きくなっていく。
やめるためには、本当にやめるための大きなきっかけがなければならない。
正直社会生活を送ること=ストレッサーが身近に存在するということだと思うので、治療にむかうのは本当に難しい。
一度、社会生活と隔絶した生活を送ることが治療への近道だと思うのだが、なかなかそれも難しいだろう。どうすればいいのだろうな。
ミーティングへ参加するとギャンブルをもうしたいと思いません。とか、もう何ヶ月もやっていません。と必死にアピールする人たちがいるが、そのアピールって一体だれにしているんだろう、と思う。
依存症者しかいないミーティングでそのアピールは無意味なのではないかとおもう。ある意味自分への戒め、自分への称賛なのかも知れないが。
でもそのアピールはなによりも依存症という問題の根源から出ている渦の中にいることをアピールしていることに気づけないのだろうか。
やめるやめないよりは、本当にやめたいひとに賭けたい言葉は
「あなたは賢い人間だ。問題を一度俯瞰してみてくれ」だ。
長くなってしまったが今日はここらへんでおしまいとする。明日からいよいよ仕事だ。ついに社会復帰だ。がんばるぞ。
今日の渇望度:☆☆☆☆☆(0%)
理由:ギャンブルのギの字も浮かばなかった為。
おしまい
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