脱ギャンブル〜9日目〜

病院から退院してはや2週間が経った。あっという間だ。

この2週間ギャンブルをせずに済んだこと、渇望が沸きやりたくてイライラするということがなかったこと、継続的に依存症について考え自分なりに整理してこれていることを思うと今の所ちゃんとやれているなと思う。

色々考えてはいるが、思考は人に伝えるためにまとめて形にすることによって整理されるようにおもう。

ラインオープントークでの自分の発言を転記したい。

ギャンブルをしてしまったという人に対して

やることが悪というわけでもないような気がします。
ただその依存的行動によって社会生活に実害がでてしまったり悲しむ人がいるならばやってはいけないなぁと思う次第です。
辞め続けると気負うよりやらない日を積み重ねるしかないのかなと…。嗜好嗜癖の問題ですから万人に当てはまる答えもないわけで、ただ結果として行かない選択を続けられればいいよね。と思います。
久々に行ってしまったことが真剣味が足りないとかそういう悪いことなのではなく久々にと言えるほど行かなかったことが素晴らしいことだと思います。
やめたいと思って簡単にやめれるなら依存症じゃないわけですからやらないという行動もやっぱりそれ相応に難しいものですよね。

家族に信用されなくて辛いという人に対して


信用されないというのは辛いですね…。
自分も自分からお金の管理を妻(離婚してしまいましたが)へまかせていた時期もあったのですが信用されないことへのストレスから結局悪化していました。
結局、お金の管理という点は対症療法でしかなく原因療法ではないなと思います。
ギャンブル依存症は金銭が絡む問題ですから信用を失いがちですが、失った信用を取り戻すにはやはり取り戻すための積み重ねが必要なんだと思います。
自分自身は今現在、レシートをすべて残して封筒に保管し毎日封筒に書き込む形で記録をつけてます。
当たり前に人ができることをできなかったわけですからまずは少額からコツコツ管理をして、家族に対してのアピールにもなりますがなによりもまず、自分の行動を明確にしていけている実感がありますね。
なにが正解ということはない問題ですけど依存症という問題に対して社会の認知が非常に遅れているからこそ周囲の人間に的確に自分を扱ってもらうことは難しいなあと最近感じます…。

頑張っててえらいと言ってくれた人に対して

自分としては頑張ってるという実感もないのでなんだか恐縮です🙇
入院当初は閉鎖病棟になんて絶対入ってられないと思いましたし、一般精神病の方も一緒に入院してましたから抵抗感もありましたが考え方一つ変えるだけで息をするのは楽になりましたよ。
選ぶ選択で時に社会的立場が変わってしまうこともあると思いますが、結婚してても離婚しても自分という人間がかわるわけじゃないですからあまり根詰めすぎないようにするといいのでは…と思います🙋
心療内科でも精神科でもGAでもなんならオープントークでもなんでも良いと思うのですけど
悩みを吐き出せてレスポンスがあるってすごくいいことだなと思います。
思ったことを吐露することってすごく大事と思う次第です🙆

別の信用されなくて辛いという人に対して

辛いですよね。
学生の頃、最初に学費を使い込んだときに自分が依存症だと思うと父に伝え、依存症者の本を買って読んでほしいと渡したことがありました。
そのときに返ってきた言葉はそんなの甘えだ、意思が弱いからだ、やらなければいいだけのことがなぜできない。と言われた事を思い出しました。

当事者でない人間からすればそのように見えてしまうことなのも理解出来るからこそ余計に自分の気持ちを吐露することが難しいですよね…。
家族の会なるものも存在してますがおそらく当事者からそれに行ってみてほしいと伝えても依存症当事者の言葉じゃ家族がそこに繋がるのも非常に難しいですよね。
自分は結局それ以降7年もギャンブルをやめきれず問題は膨らみ続けたわけですが…。

依存症故に嘘をつくことが日常茶飯事でしたから、信用をなくしきっていましたし、周囲の人間としては信じてあげたくてもまた裏切られてしまうことも嫌で信じることも難しくなってた状態だったんだと思います。
人に怒ったり恨んだり憎しんだりすることもエネルギーを使いますしね…。
本当に難しい問題です…。

自分は信用を失うのを恐れて自分は日常的に嘘をついていました。
例えば会社ではギャンブルを全くしない人間であることを装ったりするなどつく必要のない嘘までつくようになっていました。本末顛倒な状態でしたね。
挙げ句の果てに警察沙汰で懲戒解雇され、嘘は全て露呈しました。
ただ自分の精神状態としてはそんなことも別に恥とも思わなくなるくらいには異常な状態でした。

依存症のステージとして最重度と診断された身ですがそれも至極当然のことだったと思います。

信用関係どころか、自分の身の回りの生活すらまともではありませんでした。
シャワーしても体を洗わない、トイレに行くのが面倒でお風呂で用を足してしまう、ゴミの分別はしない、部屋はちらかりっぱなしなどなどありとあらゆることが面倒になってしまってました。
ありとあらゆることが、人にバレさえしなければどうでもいいという状態でした。
今はそういう問題ではないのだと思っています。
時間をかけてでもコツコツと一つずつこなしていくことが大事なんだと思いました。

苦しむ人たちに対してめちゃくちゃ真摯に向き合って議論を交わしている。
時間的余裕があるからだろう。

問題は、仕事が始まってからだ。

衝動が起きないか、また衝動がおきてもうまく対処していけるか問題はそこである。

おしまい

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