夢を叶えるには
目標や夢を掲げて行動する人って、利便性が進む現代社会では希少になってきてると思う。
そんな中でもやっぱり目標や夢を持ち、それに向かって歩みを進めるのは大事だと思う。
なぜって、向かうべきゴールが見えていれば大変なことがあっても、また進むことができるから。そして何より、そこに向かうまでのルートも達成した後のことを考えるときっと楽しいと思う。
たしかに、「今が楽しいから夢なんて要らないよ」っていう意見もとっっても理解できる。
現に最近の私は、その考えでもいいのかも?って思う時がよくある。
しかし、やっぱり今は良くても3年後、5年後、10年後の未来を考えた時に「今、何に向かって行動してるか?」「残りの人生○○年で、どう命を使っていくか?」って疑問を抱く時が来るはず。
しかも、周りの環境やライフステージは必ず変化していくもので、今と考えがずっと同じな事はないよね?
一方で「その疑問が湧いた時に考えればいいよ」って声もありそう。
それでもいいと思う、人生の軌道修正するのはいつからでも遅くないと思うから。
でも、疑問が湧かなかったらどうするの?おじいちゃんおばあちゃんまで生きて、
「何が社会に、子供たちに、孫たちに残せたかな?」「人生で楽しかった、生きててよかったことって何かな?」って
自分の人生振り返った時にどれだけの程度で功績や生きた証を残せるか。結構そこが生きる上での価値になるんだと思う。
一度きりの人生、自分のやりたいことに全力で向かって達成した方が絶対無駄じゃないよね。
さらに言うと、喜びって誰かと分け合った方が何倍にも増すから、そのやりたいことが人へベクトルが向いた方が楽しい。
だから、皆何かしらの仕事や、団体や、活動を通して自分たちの生きた証や生きがいを刻んでいくんだろう。
でも、「死ぬまでに人生で何を成し遂げたいか?」を設定できたとしても、それって抽象的だ。
抽象→具体に落とし込む作業が一番難しかったりする。
抽象的なことを設定して、それを叶える手段っていくらでもあるから。人間(私は特にそう)って欲張りだから、具体的に落とし込んで、拾いきれなかった他の手段やその対象はどうしよう?って思う。
だから、具体に落とし込むのって難しい。でも、八方美人になる必要はないんだよね。
自分が対応しきれなかった救いたいもの達も、他の誰かによって救われてたりする。
この議論ってきっと永遠ループだ。
そう考えると、自分が本当に貢献したいヒト・モノ・コトを定めてもいいんじゃないかな。
よく考えると、大学の学部設定と同じようなものだよね。本人の自覚・無自覚どっちにせよ、少しずつその人が歩む道って決まっていってるんだ。
過去の自分だけで決めて欲しくない!と反発する自分も現れるけど、過去の経験や意思決定してきた事を否定する必要はなくて、むしろ褒めてあげた方がいいよね。
それでこそ、地球上にいる人十人十色ってことだよね。
こんな風に悩んでしまうのって、
「自分を認められない・欲に素直になれてない」
ってことが関係してそうだ。もっと素直に本当の等身大の自分と向き合っていいんだ。
海外の人より、日本人の方がこの悩みって多いのかなと肌感覚だけど思う。
自分も含めて、そういった人を減らしていくことこそが日本や世界の発展に繋がるんだろうな。