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小指だけで繋がれるわたしたち

むび まう

すら、と出てきた。

「喃語というか、言葉遊びというか。そういう感じなんです」

自分のことばってこうなんだ。

そう思った時にふと思い浮かんだ音が「まう」でした。


カテゴライズされた整列を、ぐちゃぐちゃにしてやれば、
砕けた胎から出るのはどれも違うかたちの情動のかたまりたちである。

無や否という言葉が好きだ。

カテゴリーを十把一絡げに亡き者にする暴力性と自身のなさが、自分勝手で人間的だ。

それはある種、ことばを覚えたての子どもが手遊びをする快楽と近しい。

打ち消しや否定をするな、という人がいる。

じゃあその人が「打ち消したことば」はどこに行くのだ。

勿体無いではない、ただのないものねだりです。


小指だけで繋がれる

指切りげんまん、それくらいしないと嘘を吐くとは、
日本人は何とも疑り深い。

そういうの好きです。

健康で文化的な最低限度の生活のわたしと
とりあえず何かむちゃくちゃにさせてくれのわたしとが

同化し過ぎてしまってはこれは良くない。

ある方とお話しさせていただき、然し完全なる乖離を恐れたわたしたちは
小指同士で繋がれることにしました。


介入するな、そばにいろ。


今時のDV気質の人でも言わないだろうジャイアニズムと二人で世界に飼い殺されるために
一生互いを疑いながら生きることにしました。

側から見れば改名しただけですが。

改めてよろしくお願い致します。

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