自分が考えた最高のアイデアが通らない理由「論衡5」
最高の提案をしても受け入れられない事があります。
上司の見る目がない。
あいつはホントわかってない。
どう考えても自分が正しいのに、受け入れられない。
組織に所属していればそんな思いは何度もするものです。
決定権が相手にある場合、あなたの意見が通るかどうかは「正しさ」や「善」ではなく、上司の気に入る提案かどうかにかかっています。
あなたの価値観と同じような思考の持ち主であれば、あなたの提案はすんなりと通りますが、立場、考え方、価値観が異なればその人物にとって好ましい提案かどうかは非常に重要になります。
全く同じ事であっても、言い方ひとつで印象が変わります。
おおらかな人は見方を変えれば優柔不断かもしれません。
自分の意見を受け入れてもらうには、相手の考えに沿って提案する事が上手くやるコツってことですね。
以下原文とAI翻訳です。
商鞅三說秦孝公,前二說不聽,後一說用者,前二、帝王之論,後一、霸者之議也。夫持帝王之論,說霸者之主,雖精見距;更調霸說,雖麤見受。何則?精遇孝公所不得,麤遇孝公所欲行也。故說者不在善,在所說者善之;才不待賢,在所事者賢之。馬圄之說無方,而野人說之;子貢之說有義,野人不聽。吹籟工為善聲,因越王不善,更為野聲,越王大說。故為善於不欲得善之主,雖善不見愛;為不善於欲得不善之主,雖不善不見憎。此以曲伎合,合則遇;不合則不遇。
#商鞅が秦孝公に三つの提案をした。最初の二つは聞き入れられなかったが、最後の提案だけが採用された。最初の二つは皇帝や君主の立場からの考えであり、最後の提案は覇者の観点からの議論である。皇帝や君主の立場からの考えを持って、覇者の君主を説得することは非常に難しい。一方で、覇者の立場からの考えを調整することは、理解しやすい。なぜなら、前者は秦孝公が望んでいることに適合しておらず、後者は秦孝公が望んでいることに合致しているからである。したがって、説得力は善にあるのではなく、相手に対する説得力が善なのである。能力は徳を待たず、仕える相手によって徳が決まる。馬圄の演奏は技巧がなく、野人はそれを聞かないが、子貢の演奏は意味があり、野人はそれを聞く。音楽家は本来美しい音を演奏するが、越王が好むものではないために、彼らは荒々しい音を演奏し、越王は大いに喜んだ。よって、善をする者が好まない主に善を行うと、たとえ善であっても愛されない。悪をする者が望む主に悪を行うと、悪であっても嫌われない。これは巧みな策略であり、合致すれば受け入れられるが、合致しなければ受け入れられない。