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日々の落書き。

遡ること数年前。
実家を出ることになり、自分の部屋を整理していた時のこと。


中学や高校の頃の勉強ノートらしきものが数冊出てきたので、
「真面目に勉強していたじゃないの〜。」
なーんて自分のことを褒めながらページをめくったのだが、ノートの隅っこに落書きばかりしているのが目立ち、そっとノートを閉じた。

続けて大学の時の講義ノートも見つけて開いてみたが、結果は同じだった。

時を戻して現在、私は文庫本型のノートに落書きをしている。本当にずっと変わらない奴である…。


ノートに落書きをした一番古い記憶は、小学校1年生の頃。
義務教育がスタートしたタイミングで、しっかりノートの落書きもデビュー。
これが大学生まで続いていたのだから、ある意味自分を褒めてあげたい。

落書きを弁解すると、決して授業が面白くないとか先生が嫌だったとかではない。むしろ、先生たちはみんないい先生だった。
特に苦手だった理数系の先生たちは、私が苦手なことを知って丁寧に教えてくださった方もいた。ありがたい限りである。

落書きの大体の理由は、集中力が切れて少し休憩したい(現実逃避したい)という理由がほとんどだった。全て私がいけないのである。


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ただ、よーく考えてみてほしい。
学校の授業時間は小学校では45分、中学校・高校では50分、大学ともなると90分なのだ。
大学に至っては、もう1本のショート映画を観ているかのような時間である。
今思うと、よくきちんと机に向かってずっと授業を受けていたなぁと感心する。

そもそも、人間が集中できる時間には限界があるのだ。
神経医学を専門とする順天堂大学医学部教授の医師・小林弘幸さんがおっしゃるには、医学的にも、生理学的にも、人間の集中力の持続時間は90分間が限界だという。

(引用元)livedoor NEWS|
(人間の集中力は90分が限界 長時間労働でも疲れないための休憩術 )


大学の講義の90分がMAX時間というのも納得である。

伝える側の先生方も大変だ。
授業中に話しながら板書したり、全体も確認したりとものすごい集中力が必要になる。

私も一時先生側にいた頃もあったが、座学は少ない科目なのでなんとかなっていた。教科の先生によっては本当に労力が必要になる。
見えない影の努力が、きっと日々の集中力を支えていらっしゃるのだろう。
落書きしたくならないのかな…なんて心配は、きっと余計なお世話である。


今は授業を受けることもなく、基本的に自分でなんでも好きなように過ごしているのだが、私は今も変わらず落書きと共に生活していて、あまり集中できていないことが証明され続けている。

noteを投稿しはじめた理由も落書きだった。
文庫本サイズのメモ帳には、日々のメモと一緒にたくさんの落書きがある。


うまく考えがまとまらない→どうでもいいことを落書きする。
なんとなくモヤッとする→その時そのままの気持ちをつらつら落書きにする。

自分でも気がつかないうちに、このループを繰り返しては何かと向かい合っていたのかもしれない。

この落書きはずっと続いていくのだろうなぁと思う。
制約やしがらみもなく、いつだってここは自由で気ままな場所になっているのだ。

大人になった今だからこそ、あの頃よりも必要な場所なのかもしれない。
ただ、日によって浮き沈みが激しいページもあるので、その時の自分を振り返って反省する日も多いのだった…。


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