アニメ聖戦士ダンバイン雑感/デジハネP聖戦士ダンバイン2 ZEROSONICに対する偏愛
アニメ聖戦士ダンバイン感想/デジハネP聖戦士ダンバイン2 ZEROSONICに対する偏愛
ネタバレを含む。
Huluで視聴。Huluにはキッズのタグがつけられていたが、大人の鑑賞に耐えうる、というか大人が見ても十分に面白いファンタジーロボットアニメであった。
監督があのガンダム爺さん富野ということで有名なアニメである。私はほとんどガンダムを視聴したことがないが、ガノタも別にダンバインを好んでいるというような印象はない。
ダンバインと言ってやはり有名なのはパチンコであろう。優秀な高継続機CR聖戦士ダンバインとタイアップソング『闘いの詩』は伝説的な存在だ。残念ながら私がダンバインを認識し、サンドに金を突っ込む頃にはこのCR機は無くなってしまっていた。しかし、その後継機であるいわゆる「ダンバイン甘(デジ)」(デジハネP聖戦士ダンバイン2 ZEROSONIC)というのがCR機の性能を上手い具合に引き継いでおり、我々も現在このパチンコを打つことでダンバインラッシュの爽快感と『闘いの詩』を楽しむことができる。
非常に単純なST機である。大当たりして大体1/2位で確変ラッシュに突入し、突入して仕舞えば90%くらいの割合でそれが続いていくというものだ。つまり1/99の大当たりを引いてから1/2でラッシュに入れば結構勝てるという感覚である。
私のパチンコ歴。私はギャンブラー以前にオタクであるため好きなアニメの台、例えば超電磁砲とかゴジエヴァ、コードギアスなぞ打っていた。だが、これらはパチンコを打っている人には分かるだろうが、いわゆる産廃、ゴミらであり、一向に勝ちへの道筋が見えない。期待値の無いくせにギャーギャー五月蝿い小萌え先生に殺意が湧いたところで、これはまずいだろうと思った。そこで、数日前に見たYouTube動画で芸人の粗品さんが褒めていたダンバインを打ってみよう、つまり知らないアニメ、台でも一般的に良いと言われているような台を打ってみようと思ったのである。これがワンプッシュラッシュ入り→一撃約15000発という素晴らしいものであった。これは楽しい。帰って色々調べてみると勝ちへの道筋もシンプルで私のようなバカにも非常にわかりやすく、この一回で全く気に入ってしまった。何よりラッシュ中バギャーンバギャーンボキョーンと出てくる役物と例の『闘いの詩』、『ダンバイン とぶ』の組み合わさった爽快感、高い期待度が何も知らぬ人間にしても素晴らしいと感じた。
https://x.com/QyEa7s/status/1834167561241723052
このようにしてすっかりパチンコはダンバインと刷り込まれてしまった私であった。当然その後負けることもあったが、やはり体感三回に一回ほど突入するダンバインラッシュは楽しく今のいままで辞めることはない。
先に記したように私はギャンブラーというよりもアニオタなので、このようにハマって気になるようになってきたのは当然原作のアニメの方であった。とは言っても四十年前のしかも五十話ほどもあるようなアニメをホイホイと見られるほど私のアニメ力は高くない。ガンダムもイデオンもマクロスもパトレイバーも劇場版やOVAをどんなものだろうかとちょっと覗いてみたくらいで、何十話もあるテレビシリーズをきちんと見たことはない。だが、今回はよりパチンコを楽しむためということで、モチベーションは比較的高かった。少なくとも昔恐ろしく話が進まない太陽の牙ダグラムを見ようと思った時よりは。
ボケーっと見ていると置いていかれる。当然四十年前ということもあって、異世界アニメとはいえただのなろう系アニメとはまた違った展開である。世界観は「こちら」、「あちら」のみならず、フェラリオの住む場所であったり、国が別れていたり。種族もいくつかに分かれているが、それらが有機的に世界、物語に影響を与えあってまあ魅力的な世界観を作り出している。異世界=バイストンウェルと地上(現世)の関係もただ「あちら(こちら)」、「こちら(あちら)」ということにとどまらず、含蓄あるセリフからはこの世界観に込められた原作者の色々な思想、哲学が浮かび上がってくる。つまり、バイストンウェルという異世界はなろうアニメのようなただやりたいことをやるために出来上がった都合の良い舞台ではなく、現実をベースとした様々な思いの詰まった結晶と言うべきである。そのため、ボケっと見ているにとどまらず、最初のシーンから色々なことを注視していくべきである。ただ、その重要性がわかるのは物語がだいぶ先に進んでからになるのだが。(残念ながらやはり異世界に召喚(転生)されたばかりの頃は視聴者も主人公同様何が何やらわからず、早く物語よ進めと思ってしまいがちである。ここのダレ場はどのアニメにもつきものであるのだから。)
このアニメが先述したように、ただの異世界アニメではなかろうと気づくのは(同時にガンダムのような「善悪のない戦争」を描いたものでもないと)、バイストンウェルで戦争をしている主人公が現世にそのまま戻ってくる話の部分である(「東京上空」以降)。現世とバイストンウェル双方の様々な思いが現実つまり強化されたオーラ力による破壊によって表出され、ショウの家族との断絶とガラリアの無惨な死によって収集したこの一幕は並々ならぬ面白さ興味深さを持っていた。(私が思うに、この残酷なアニメにおいて唯一幸福であったものがいるとしたらそれはガラリアである。世界を一つ変えることで、自分の姿を見つめることができ、一瞬ではあったもののショウと分かり合え、バイストンウェルへ帰りたいと言う思いの中オーラの藻屑となって消えていった。その肉体の消滅という表象はまさに成仏という言葉が相応しく思えたのである。)
パチンコと連動して面白かったのはやはりジェリルのハイパー化の回である。パチンコの方には「ハイパー」というリーチ演出がある。ビルバインが、何やらグレンラガンのようなでっかい敵と戦って勝てば大当たりというものでかなり期待度もあり、熱いのである。この回、地上社会とビルバイン(ダンバイン)=ショウザマに対するクチビの怨念とエゴが視覚上のオーラ的巨大化を果たす訳であるが、パチンコの熱さに引けを取らぬ迫力と面白さが存在した。いつもワーワー言いながらビルバイン(ダンバイン)に乗り込んで、ショウの邪魔をしているミ・フェラリオ=チャムも今回ばかりは慣れぬ戦闘服を着た小さな体をめいっぱい広げて頑張った。「やらせないよ!」これはパチンコ上ではハズレからの復活演出として使われており、非常に馴染みのあるものである。クチビにあわや落とされるまでに窮地に至ったショウザマを救うこの妖精の叫びは、勿論ショウを救ったが、それ以上に甘デジのクセにすぐハマり期待度のない演出を振りまきがちなこの台を打つ廃人をたくさん救ってきたということはここに特に書き記しておくべきであろう。
そういった点で言うと、やはりビルバインが出てきた回と言うのも非常に熱かった。最初はやはり変形可能超有能最強機体が出てきたのでは、と言う期待がとても大きく、実際勝つのか負けるのかヤキモキさせられていたショウダンバイン時代に比べてスカッとしたと言う感があった。パチンコにおいても「ハイパー」で敵を倒す最強機として期待が置け、それが実際にアニメで満を持して登場したのはやはり嬉しかった。しかし、時を置くとこのビルバインというのにはなんともなぁという気持ちも出てきた。まず、タイトルの「ダンバイン」が最強ではないのかい、という点。それから、最新最強機は私が乗るのが当然という感じでいる傲慢なショウザマ(ダンバインを乗り捨て、それにマーヴェルがお古を与えられたという感じで乗り込む姿は非常に哀しい)。加えて、満を持して登場した割にはそこまで強いわけでもない点(ドラムロ等のオーラ力が強力化しているということもあるが)。しかし、なんと言ってもハイパー化、ビームサーベル等、物語を進める上でビルバインが果たした役目は非常に大きく、また進化するショットウェポンのウェポン、バトラーに対抗するという点においてもやはり必要不可欠と言えるだろう。何より変形したりキャノンがついていたりと格好いいしね。また、ビルバインがそこまで強くないというのは意外と悪くない。物語上で言えば、昨今のチート的なものとは対照的にリアリスティックな路線が継承されたわけであるし。それから、先述したビルバインが戦う(パチンコ)「ハイパー」はかなり上位リーチのくせして意外と外れるのである。だが、アニメを見れば(例えば)ハイパー化したガラリアにたまに負けるのも、まああのビルバインのご愛嬌だしなと納得もいくのである。こういった点においては、他のパチンコ台になってしまうのだが、イマジンブレイカーとかいう絶対力が出てきて外れるのは物語上許されざることなのではないかとも考える。
また、アニメ、パチンコ双方で圧倒的に魅力的なのはその名そのものさえ惚れてしまうような黒騎士であろう。ガラリアと同様最初はいけすかない偉そうなやつという印象が強かったが、負けを重ね転生したことによって知見が広がり、魅力が大いに増したように感じる(一方、地上人というのはどいつもこいつもただ目の前のことに追われ、強大化していくオーラ力に翻弄されているだけの人間が多いような気がする。例外は強いて言うなら全て悟ってしまったようなショットウェポンか、いつでも優しくあろうとしたマーヴベルであろう。)。確かにショウザマにとらわれているだけと言うような印象の時期もあったが、それを物語の最後まで貫き通したまっすぐな心は段々と洗練されていき、まさにダーク騎士道的な魅力が溢れて出てきたようだ。内側だけではない。例の仮面ライダーをちょっとダサく、ダークにしたような感じ。専用オーラバトラーと合わさったあの姿に惹かれぬ男はいないだろう。そしてあの仮面の奥そこから滲み出るイイ声とショウザマへの恋慕。男も惚れるその姿は本作随一の魅力的なキャラと言って良い。パチンコでは敵のオーラバトラー戦士(ドレイクはまた別として)最強枠としてダンバイン「ラッシュ」を勝ち続けた奥の方に君臨している。ガラリアやクチビ(、バーン)は敵としてホイホイ出てくるが、黒騎士はそう簡単に見ることはできない。それほどレアであり、見られれば嬉しいやつなのである。黒騎士が出てくるほどラッシュが続けば結構勝っていると思うので、ショウではなく黒騎士を応援しようではないか。
先ほど地上人の中で誰が魅力的かと言う話の際、トッドギネスの話を忘れていた。米国出のリアリストという感じで、ショウとは常に対するものとして描かれているが、その立ち回りには共感性はそこそこに高い。ただいつも不運であるだけだ。もう少しだけオーラ力がありさえすればショウのようにヒーローとして生きていくことも可能だったに違いない。中途半端なオーラバトラーに搭乗し、ダンバインに落とされ、バイストンウェルの森で小汚いフェラリオに看病されることもなかったに違いない。地上に出てからはマザコンとしての特性も大いに発揮し視聴者を少々困惑させたが、最期の「良い夢を見せてもらった」という言葉には思わず感涙した。ショウとともに召喚されたトッドよ。
ダンバインの萌えキャラ。王様級のシーラ、エレ、リムルから地上人のマーベル、ジェリル、ギャーギャーうるさいミ・フェラリオたち、ゼラーナのキーン、マニア系のルーザまでよりどりみどりであるのもこのアニメの魅力である。出演率で言えばいつもショウの隣でぴょんぴょん飛んでいるチャム・ファウが一番に来るだろう。パチンコにおいてもそうだ。通常時、保留(この保留がまた一向に変化しないのである。)からSPまで至る所に図々しくも出現し、インパクトは絶大なものがある。先にも述べたが復活演出「やらせないよチャム」はもはやPダンバインの顔と言っても良いだろう。それ以外で言うとドレイク軍の参謀にしてショットウェポンのタレであるミュージィも魔性的な魅力がある。ガワはジョジョ的な草薙素子×耽美というような感じで甚だ美しい。戦うようになってからは音楽教師だったことを忘れさせるほどに好戦的であり、そのギャップも美しさに拍車をかける。
どの回が良かったか。とにかく長い。四十九話。そんなにやることあんのかい?と思ってしまいがちだ。戦闘シーンがアニメのほとんどを占めるが、戦い方のパターンは限りなく少なく、途中でダンバインがビルバインに変化するくらいしか印象的なものがない。しかし、我々はダンバインを見てしまうのである。それは何故か?さまざまあるだろうが何話に一回は面白いからということに収束されるだろう。転生の衝撃、マーベルの説得、キーンの哀しみ、東京への逆転生、親子の断絶、ガラリアの死、リムルの頑張り、ビルバイン出現、黒騎士の出現、フェラリオのブチギレ、ハイパージェリル、パリ炎上、リモコン作戦etc. これらの物語群は深く印象に残っている。どの回もアイコニックに神話的、叙事詩的であり、それらが示す道徳性と冒険性と求めてさらなるバイストンウェルの物語を欲しているのである。ミ・フェラリオ=チャムは優秀な吟遊詩人だ。今もどこかで物語を紡いでいて欲しい。
最終回について。皆殺しの富野。ダンバインも例外に漏れず皆殺しエンドであるということは事前に色々なところで伝え聞いてしまっていた。当初私は地上に出て戻りそうもないという物語の展開から、地上人もドレイク達同様やけになって原爆+特攻を使いまくり地球を丸ごとバイストンウェル勢も含めて皆殺しという風に予想していた。イデオンは見たことがあったので、それに並ぶような規模の皆殺しだと思ったということに加えて、富野氏がさまざまなところで見せる反戦イズムも頭の片隅にあったに違いない。実際の最終話は私が予想していたよりはこぢんまりとした皆殺しであったが、結果としては非常に心揺さぶられる結末を見せてくれたように思う。黒騎士、ニー、マーベル、キーン、ミュージィ、ショット、チャム、ドレイク、(最終回の一つ前であるが)ルフト母子それぞれの抱えていた想いが爆発した素晴らしい回であった。四十九話にわたって培ってきたそれぞれのキャラの魅力が死によって炸裂する。そう言った意味では、私が安直に予想していたような露悪的で投げやりな皆殺しよりも当然よっぽど意義ある死であり良かった最終回であったと思う。振り返ってみるとアニメ聖戦士ダンバインにはキャラクターそれぞれの生き方とその奥にある哲学を多様に正面から描ききったという面白さがある。そう思わせてくれるような四十九話であった。もちろん、オーラ力の使い方を通じて描いた道徳的なテーマ他も中心にはあると思うが、それは当時(そして現在のHuluで)ターゲットにしていたキッズたちに伝われば良い。一方、この年齢になって鑑賞した私に最も染み入るのはバーン=黒騎士、トッドの執念であったり、ドレイクの決定的にはいかぬ野心であったり、キーンの未熟さゆえの焦燥感であったり、キーンやショウの親達の複雑な思いだったりするのである。
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