オーラバトラー戦記(富野由悠季)感想
ネタバレあり
1
ドレイク、バーン、ガラリア、ショットウェポン様等お馴染みのバイストンウェル古参勢が沢山出てきて楽しい。本作以降、悲劇の悪女ガラリアの解像度が上がると嬉しい。 アニメに出てきた傴僂、巨人他蛮族ガロウランとドレイク軍の戦いが中心となっている。彼らの野蛮な性格と欲求不満がフェラリオ、コモン、地上人に襲い掛かり、本作をエログロと言わしめている。ダンバイン以前、機械がない(少ない)時代の方が良いとショウは言っていた。エログロのオンパレードな時代だが、大量破壊がないのは確かだ。
バイストンウェルの世界観が「人の想像」となっている。ダンバインでは魂の救済の地だの死とせいで繋がる地という説明だったはずだが、こちらの方が深みを持っていて、掘り下げが期待される。同時に想像の力でできたバイストンウェルは非常に儚いように思われた。
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バーン、ガラリアに続いてニー、キーン、リムルが登場。さらにマーベルもバイストンウェルへ。ドレイク周りでは「ダンバイン」一の悪人とされているルーザも出てくる。包容力を求めるドレイクがオバハンのルーザを欲したとあるわけだが、、、そういうところだドレイク! 死に別れたはずのミィナがガロウランの性奴隷&戦士になってしまっていた。地上界で一晩しっかり楽しんだジョクは彼女の尻が忘れられない、、、。
未練がましく頑張って戦い救い出そうとするのだが、当然助かるわけもなく無惨にぶち殺されてしまう。可哀想なジョク。孤独な彼のそばにいてくれたのは「ダンバイン」随一の人畜無害善人マーベルとニーであった。未練がましく頑張って戦い救い出そうとするのだが、当然助かるわけもなく無惨にぶち殺されてしまう。可哀想なジョク。孤独な彼のそばにいてくれたのは「ダンバイン」随一の人畜無害善人マーベルとニーであった。
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ミィナが死んだことで色々冷めてしまったジョクによって、三巻目にしてバイストンウェルの鳥瞰図が示される。オーラボムなどが量産化されるようになり、徐々に機械の音が大きくなるバイストンウェル。いまだに前近代的な暴力や残虐性はコモンにさえ残っているが、機械の影響はガロウラン達をも徐々に変えていく。バイストンウェルの微々たる近代化にジョクは地上人として立ち会うことに。彼は地上の諸々と比較しながら、富野節の媒介として理屈を捏ねていくことになった。
とりあえずフェラリオをフェラと呼ぶのはやめよう!
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いよいよ戦争が全面化。闘いの描写ばかりであり、富野が言う通り映像にして見たいものである。 戦争に勝って支配者や略奪者を追い出したとて、新たな統治者が現れるのみであると言うのはガンダムと重なるところもあるだろうか。不可避であったとはいえ、ドレイク、ルーザの支配欲が少し見えてくるような回であった。 本作の見どころといえば、ニー・ギヴンがガロウランの捕虜となってキメセク堕ちせんとするところであろう。或いは相も変わらずプライドの高いバーンの自己中な行動だろう。本シリーズ主人公のジョクはあまり出てこなかった。
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ガロウラン討伐の後、敵はとうとうドレイク&ルーザ&ビショップへ。ダンバインと同じ構図に。ニー・ギヴン側にはチャム・ファウも登場しメインどころが勢揃いする。妖怪ガロウランがいなくなったためエログロ要素はほとんどなくなり、世界観はダンバインと同じようなものになった。そして、バーン、ガラリア、ジョクはオーラロードが開かれたことにより地上へ。
いつもいつでも権力には与しません。日本共産党のような立ち振る舞いのギヴン側。対して、いつまでも正義と平和のための統一と信じて疑わず侵略を続けるドレイク側。ガロウランとの闘いの後ということを考えれば、ドレイク側に同情する。なにより可哀想なのはいつまでも聖なる戦士になるはずであったと常に考えているバイストンウェル土人のバーンやガラリアである。ジョクやマーベルのようにホイホイと高いオーラ力を操って正義を求めるわけにもいかず、苦悩の日々が続く。しかも次巻からは地上に放り出されて…。
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ジョク、チャム、バーン、ガラリアが地上へ。文化的交流と摩擦を結構な文量で描いた。地上軍との戦闘はまだそんなに起こっていない地味な巻である。 東京三部作の例の秘書川北さんも河北と名を変えて出場。どう立ち回るのか次巻以降期待。『オーラバトラー戦記』は『聖戦士ダンバイン』の前日譚だと思っていたが、ここにきてリメイク的なものなんだと気づいた。さて、終わりはどうなるのか楽しみである
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名作東京上空。アニメの方が良かったかな。文章で色々説明できるため、どんどん理屈っぽくなってきた。ガロウランとエログロやってた頃が懐かしい。
チャムが気に食わない日本人に対して「ガロウランだなガロウラン」とぼそっと言うシーンは、下等なフェラリオの差別意識が垣間見えて良い。
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バイストンウェルへ帰還。ガラリアはかわいそうだが肉片に。バーンは無事に戻る。 その後、上級フェラリオと出会いお説教タイム。ナウシカから影響を受けたとされるダンバイン。ここにきて、環境問題などについて延々と講釈を垂れ、ジョクは戦う意味を知った。ここは流石の富野節、意外と読んでいて面白い。その後、ドレイクたちとの戦闘に復帰する。特に立ち回りに変化はないような…。
チャムの言葉遣いの汚さが目に余る。ガキそのもの。嫉妬深く残酷だ。そんなチャムに対して、「俺はアリサやリムルとくっつくから」と主張するジョクもいかがなものか。ショウはうまく手なづけていたと言うのに。富野はよほどロリコン関連に対して嫌悪感を持っていたのだろう。
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バイストンウェル内全面戦争! ドレイクもここまで来たら勝つしかない。国を広げることでしか現在の地位を保てない。ショットも機械を持ち込むことで自身の地位を確立しようとしたが、こんなことになるとは想定していない。ジョクも地上という居場所を無くした今、戦うしか生きる術がない。そして焦燥からか、聖戦士として圧倒的な力を振るうこともできない。長期化した戦争のやるせなさが大いに感じられる本巻。ジョクとショットの対話は良かった。
10
巨大戦艦たちの登場とビショップの台頭。 フェラリオが花から生まれる場面を、チャム目線で描いたくだりがちょいちょいある。この巻の見どころはそこのみ。
11
極限まで進化した道具(オーラマシン)の乱用はついに神と大地を怒らせた。因果応報。自然の中に人々は消えていく。 同時に、戦争の高揚とオーラの乱れ、大自然によるカタルシスは人々のセックスを発動。最終巻にしてエロ要素がまた多くなり、イデオン的な終焉をむかえる。 バイストン・ウェル。生命のマスカレイド。人間の想像の結集。文明人がかろうじて生み出したユートピア。しかし、そこにおいても人は進化と争いと破滅を避けることができない。
総括
聖戦士ダンバインを鑑賞後。
ダンバインと設定等は同じ。大きく異なるのはダンバインが出てこないこと。オーラバトラーはカットグラという名に。性能にそこまで違いはないだろう。
さらに大きく違うのは、前半の敵はガロウランという妖怪であり、ドレイクと共闘して戦うということ。
また、後半オーラシップ、オーラバトラーらが地上に召喚されることもない。大体の戦いはバイストンウェルで起こる。途中「東京上空」で一度地上に戻ることはあるが。
感想
ドレイクの野望に対する聖戦士(ダンバインではショウ、本作ではジョク)の奮闘を描く前に、ガロウランとの戦いを挟んだのは良かった。ガロウランとの戦い。これはダンバインにはなかったエログロファンタジーという感じで、これ単体でも面白い。何よりガロウラン討伐を挟んだことで肥大化したドレイクの野望の源泉がダンバインに比べはっきりとし、聖戦士の戦う意味もわかりやすくなった。加えて、一度戦争で勝利してしまったために拡大を続けねばならなかったというドレイク側の業はリアリスティックかつ寓話的であり、本作において最も興味深いテーマが提示された部分でもある。本作では非動物化、文明化していくコモン(人間)の破滅というのが一つのテーマになっているが、動物的な欲望の塊である妖怪ガロウランをドレイクに対置させたのは、振り返ってみれば筋が通っていると感じる部分である。(一方ガロウランが組織化されたことで最初の戦争が起きたわけだが。ガロウランと同様にコモンも高度に文明化しながらも戦争を止めることができず破滅していくことになる。「文明化しながらも動物性を忘れることができない人間たち」)
その後東京上空を経てバイストンウェルへ帰還。この帰還後のプロットはアニメ聖戦士ダンバインとほぼ完全に決裂。非常に混みいっており理解がなかなか難しい。物語があるというよりは、理屈が先にきており何度も何度も環境問題や大戦に対する言及があり、気が滅入ってくる。
これらの理屈を表すために、行きすぎた文明化とそれに対する自然の脅威という形で物語は終結を迎える。ダンバインとプロットは決別したということだったが、「浄化」という点では同じようにも感じる。ただ、ダンバインが地上からオーラ兵器の撲滅だったということに対し、本作の方は本来魂の救済の場であるはずのバイストンウェルの破滅である。いったいどちらの方が救いがないのだろうか。
救いようはとりあえず置いといて、ダンバインの方では直接的の地上人にオーラの破滅を説き、本作でも間接的に地上人にそれを教示した。虹。
バイストンウェルの消滅は地上に虹をかけた。ジョクはいつの間にか地上へと帰還し(地上にて起床し)、バイストンウェルの破滅とオーラについての預言者、語り部となる(はず)。
文明人の想像力は、その想像上のユートピアのおいても破滅を予感せしめる。
魂の表象たるマスカレイドはいづれにおいても絶望的であり、つまり我々はもはや魂レベルで根底的に破滅的であるということを示したかったのか。オーラバトラー戦記(そして聖戦士ダンバイン)、長い長い十一巻をかけて深い絶望の提示であったはず。だが、十一巻序文にあるように文明人のエロス、生とは想像力とはかくあらん。
さて、バイストンウェル物語、私は本作と聖戦士ダンバインを享受したが、まだ『リーンの翼』、『ガーゼィの翼』が残っている。そこにおいて示されるマスカレイドはどんなものなのだろう。
https://note.com/yahutaroh/n/n58681c306dbf?sub_rt=share_pw