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#20 あの日も遠い過去となり【サモアの想いで】

🌴以下の作品は2007年〜2010年の間に、米国に暮らしながらサモア暮らしのリフレクションを記したフォトエッセイ(全20篇)の転載です。サモアには97年に住み始めたのでこれを記したときはその10年後。そして、今さらに記したときから十数年が過ぎました。

🌺こうした経験からできあがっているのが今のわたしですから、いつ振り返ってもすべての時間が愛おしいです。

🌈こんな人生を与えてくれた夫に心より感謝💗


「ちょっくら南の島で暮らしてみよう!」というノリで南太平洋の小国サモアに、家族で飛び立ったのは1997年夏のこと。移住を果たして迎えた初日の朝。私たちが間借りすることになった家の前での記念すべき一枚だ。

「サモアンライフのはじまりはじまり~」といったキャプションをつけたいところだが、当時長女12歳、長男9歳、次男8歳そして三男5歳の子どもたちの顔はいまひとつさえない。

 それもそのはず、“憧れ”のはずの南国生活は、家族6人が暮らすには狭過ぎる部屋、ゴキブリうようよ~、ヤモリぞろぞろ~、蚊もハエもぶんぶん~、そのうえ豚がけたたましいブヒブヒ音で明け方から徘徊するという、予想外の幕開けとなり、大いに落胆、寝不足の朝を迎えたという瞬間なのだ。

 カメラを手に写真を撮っている私はまだ30代と若かった。「これから先どうなるのだろう」という不安を悟られまいと、空元気を装いながらファインダーから子どもたちを眺めたあの日はずっと遠い過去になった。

 思えば移住当初は家族そろって、バッタバッタと病に倒れ、カルチャーショックに打ちひしがれたものだ。長女のいちばんの悩みは学校のトイレが汚いというものだった。おまけに、トイレに入るのに先生に言って鍵をあけてもらわないと入れないという常識の違いには、心底たまげたが、それがトイレットペーパー盗難防止対策だったと、あとで納得。

 当時ある悩みというのは、人間が生きるうえでの超基本的なことが主だった。米国での暮らしにどっぷりつかっていると、ここでの悩みや困りごとは、ほとんど“贅沢”なことを求めるがゆえのことに思えてならない。そんなことをふと感じる自分がいるのも、かけがえのないサモアンライフを体験したからにちがいない。

今回で、「サモアの想いで」は最終回となります。読者のみなさまありがとうございました。

2010 Oct. by yahoi

🌴今の声
我が家が、家族6人で暮らした南の島暮らし、少しは雰囲気が伝わったでしょうか?わたしがずいぶん前に書いた古い作品を読んで下さったみなさま、心よりありがとうございました。

こうして振り返ることができるのも、記してあったからこそ。その時々に感じたことを残すってやっぱりステキなことだと思います。

ざざーと20篇の転載を終えましたので現実に戻って、没イチ、アラ還となった今のわたしのマッチングサイトリポートに戻りま〜す。😉




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yahoi /ライフエディター・エッセイスト
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