最愛の夫を失って3年後、最高のパートナーを得た/夫の命日に寄せて
3年前の今日、2020年10月の7日午後5時58分夫は64歳で永眠しました。
わたしが16歳のときに出会い、5年の交際期間を経て21歳で結婚、43年間(結婚生活は37年)もの時間を共に過ごした人との別れでした。人生100年時代と言われる昨今、まさか59歳にして没イチになるとは……現実とは無慈悲なものであり、人生は儚いことを思い知りました。
あしかけ20年の米国暮らしで夫が医者にかかったことは一度もなく健康だと信じていたからこその手遅れでした。パンデミックと時を同じくして彼に忍び寄っていたのはステージ4の大腸がんでした。
他界して3年が経った今でも、闘病中の辛さがふいによみがえり胸が締め付けられるようなチクチクした痛みを感じることがあります。たぶんそのチクチクはこの先も一生消えないグリーフの痛みとして抱えていくことになるのでしょう。
四人の子ども全員が大人になり、再び夫婦として残りの人生を楽しもうと思って張り切っていた矢先のできごとでしたから、先に逝く日が目前なことを突きつけられた夫の残念な気持ちは、別れの苦しみ以上に悔しかったと思います。
彼の人生を賭けた壮大なプロジェクトの最中でのできごとでもありました。わたしにとっても、悲しみ以上に悔しさが残りました。それでも、人生とはそんなもの。生きている誰もがまちがいなく生を終えるときが来るのです。そして、そのXデーはいつかはわかりません。
夫は「まだいっしょにいたい」と力をふりしぼり言いましたが叶いませんでした。
四人の子どもを連れて海外移住の道を選択するという、奇天烈な人生の先導者ですから、「もう付き合いきれん!!」と思ったことはもちろんありましたが、最期まで「夫唱婦随」という関係の夫婦でした。
そんな冒険人生をまっとうできたのは、わたしへの夫のぶれない愛情と子どもたちがいたからにほかなりません。
生前の夫は「セカンドライフを楽しんで生きろ」と言い遺しました。そのときのことはここに記しました。
しばらくは、喪失感に加えて、自分の残りの時間を夫なしでどう生きればいいのかわからない焦燥感が交錯する時間を過ごしました。それでも、「“生きたい”が叶わなかった者が逝く姿」を目の前で見送ったわたしにとって、命ある時間がこの上なくたいせつなことと思えたので、「幸せな気持ちで暮らすことをあきらめてはいけない」と自分に言い聞かせました。
時薬の効果もあり少しずつ、少しずつ、セカンドライフをどう生きてみよう?と模索するようになっていきました。
亡き夫と過ごした日々はかけがえのないものでしたが、山あり 谷ありはもうごちそうさま。夫の他界により突き進む夫に追随する必要はなくなりました。これから先は自分だけで決められる平穏な日々を生きればいいと思うと、焦燥感は消えていきました。
とはいえ、喪失感だけは簡単に消えませんでした。住心地の良い家で趣味を楽しみ、息子夫婦との平和な日々が過ごせていても、愛する人がいない孤独、愛してくれる人がいないさびしさは残りました。
人は生きている限り喜怒哀楽を感じます。長い間共に笑い、怒り、悲しみ、楽しみ、そのたび話し、手をつなぎ、抱擁してきた相手を失ったことは、確かな物足りなさとして心に突き刺さりました。
3年前、夫の手を握り続け励ましていた自分の姿と痛みに苦しみながらわたしの手を掴んでいた夫。夫との別れの日のことは鮮明な記憶となってわたしの脳裏に焼き付いています。最期の息が終わったとき「じゃあ、わたしの手は誰が握ってくれるの?」という恐怖にかられたことを覚えています。
消えていく命に対しての覚悟があったものの、これから先をいっしょに歩める人がいなくなったことに身の縮む思いでした。そのとき、生きていくうえで愛する人がいること、愛されていることがいかに心の安定に欠かせないことだったのかと気づきました。
そんな経緯でセカンドライフを充実させるべく行動に出たのは夫の他界後1年が過ぎたときです。
マッチングサイトに登録し、わたしの歩んできた人生と、この先に求めているライフスタイルをプロフィールでしっかり説明しました。数々の条件はもとより、コアな価値観が一致する人を探し続けました。
長い人生を別に生きてきた者どうしがマッチすることはそう簡単ではありませんでしたが、わたしの過去を受け止め、将来に求めることに共感してくれる米国人男性QPさんが現れました。
夫との時間は「夫唱婦随」を実践する“夫婦”そのものでしたが、QPさんとの関係は、お互いを認めあい尊重できる“パートナー”という言葉がぴったりです。
阿吽の呼吸の昭和スタイルの夫婦時代を過ごしてきたわたしにとって、夫とは真逆ともいえるアメリカ人男性とのパートナーシップは、人生二度おいしくて、幸せなことです。
まっすぐな愛情表現をぶつけてくる米国流に戸惑いながらも、愛する人がいること、愛されることにも感謝。せっかく生きている時間、愛し愛されることを実感できる人生こそがいちばん幸せなことだとわたしは思っています。
それこそが、人の心を満たすための最良かつ本質的な要素なのだと悟ったからです。アラ還のわたしに惜しみない愛を囁いてくれるわたしのパートナーQPさんは没イチとなったわたしの新たな幸せの源です。🐽❤️
本日、3度目の夫の命日にあたり「セカンドライフを楽しめ」と言い遺してくれたあの世の夫に、安らげるパートナーに出会えた報告と感謝の気持ちを捧げます。
◆アラ還・没イチ女の成長の記録◆
彼との出会いの軌跡をマガジンにまとめています。