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『阿修羅のごとく』を観て封印した記憶が蘇る

Netflixに"ASURA"をオススメされました。

在米でNetflixを見ているのでタイトルはいつも英語です。

なんだ、なんだ?ASURAって?

ググってみたら、どうも日本のものらしい。

日本の作品でも全て英語のタイトルになっちゃうのでややこしいのよ


えっ?あの『阿修羅のごとく』?

昭和の時代にNHKで放映していたことはかすかな記憶にあった。わたしの年代なら、子ども時代に向田邦子作品『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』を見て育った人は多いと思います。

昭和40年代後半から50年代あたり、向田邦子作品が昭和の家族のあり方、価値観に影響を与えたのではないかと思えるほどです。

昭和の時代に多感な時を過ごしてきたアラ還のわたしが今、米国で是枝裕和監督によるリメイク版『阿修羅のごとく』を見ました。

昭和にワープしたような感覚になり、ドラマに映し出される細部にわたっての描写に強烈なノスタルジーを感じました。


ミルク(@candy)さんの記事にも大いに共感。


わたしは向田邦子原作のドラマでは昭和52年に放映されていた『冬の運動会』が妙に印象に残っています。高校生のあのころ根津甚八のファンだったこともあり、毎週楽しみに見ていました。

描かれる家族模様の中に人間くささを感じ、真の家族って?と考えるきっかけをくれる作品でした。家族の男性陣それぞれが実の家以外の場所に居心地のいい別宅があるストーリーは『阿修羅のごとく』にも通じるものがあります。

(『冬の運動会』YouTubeに全編転がっていてびっくり)

最近では、不倫とか愛人という言葉はあっても、“二号さん”とか“お妾さん”って言葉は聞かなくなりましたが、わたしの知る昭和の時代には、まだそんな言葉がはびこっていました。

甲斐性があればお妾さんがいるのは当たり前とかしょうがないと容認される文化がたしかに存在していたように思います。

『阿修羅のごとく』はそんな昭和の時代を舞台に、円満そうに見える両親と個性的な4人の姉妹とその伴侶、パートナーの家族模様を描いた人間ドラマです。

見ているうちにわたしの封印していた記憶が蘇ってしまいました。


◆封印物語◆


わたしは長女で弟と妹の3人兄弟です。

父は小さな会社の取締役でした。接待文化があたりまえの昭和の時代、父はお客さんの接待のために行きつけのスナックが数軒ありました。その一つに、とびきり美人で着物が似合うF子さんがやっているお店がありました。

父がいつもお世話になっているお店ということで、母もF子さんとは仲良しでした。父と母がわたしたち子どもを置いて旅行にでかけたときにはF子さんがわたしたち子どもの食事を作りに来てくれるほど親しくしていました。

わたしが二十歳を過ぎて働き始めたころには、父はたまにF子さんのお店にわたしを連れて行ってくれることもありました。(あとで思い返すと変な家族でした)

そんなふうに、家族ぐるみの付き合いだったので、母もFちゃんと呼び「夫が仕事上お世話になっているお店の女性経営者」として常に信頼し妹のように可愛がっていました。

ところがある日、母はF子さんと小さな男の子といっしょに手を繋いで歩く父を目撃して不信感を抱き始めました。F子さんに子どもがいたことを母は知りませんでした。

なんか怪しい!

そう疑いだした母は、意を決してF子さんのお宅を訪ねたら、こたつでステテコ姿で寛いでいる父がそこにいてショックを受けました。

あまりのショックにわたしにだけそれを打ち明けてくれました。そのとき、わたしはすでに結婚し娘もいましたから、大人の女性として話す気になったのでしょう。父親の色恋沙汰による両親の諍い?に戸惑いましたが、それ以上に、

いや、ちょっと待て!!?

ってことは男の子はひょっとしてわたしのもう一人の弟?

だとしたら白黒させたいと考え、わたしは父に問い詰める前に役所に出向いてF子さんの戸籍の閲覧をしに行きました。(当時はまだ個人情報に関するルールはゆるくて誰でも閲覧できました)

結果、男の子の父親の名は別で、戸籍上はわたしたちの弟ではないことが判明したものの、当時の父は母に内緒で、F子さん親子の父親代わりのようによく面倒をみていたことが明らかになりました。

父は、子どもを抱えたシングルマザーのF子親子に、自分ができる範囲のサポートをしたに過ぎず何もやましいことはないと言い張りました。

母がその言葉を心から信用したかはわかりません。それならなぜ父は母に内緒にしていたのか?と疑問は残りますが、その後もわたしの両親は世間的にはおしどり夫婦を貫きました。

父が他界した今となっては真実は藪の中です。



『阿修羅のごとく』でも、父が浮気をしていたのかどうかはわかりませんから、わたしの封印物語に似ています。松坂慶子演じる昭和の女性らしい、母の姿はわたしの母と重なりました。

ただ親子に親切にしていただけかもしれないし、何らかの心地よさを感じる自分の居場所を求めたのかもしれません。人は、誰かに頼られたり役に立つことで幸せを感じる生き物でもあります。

ドラマの中の母は夫にも娘たちにも気付いていないふりをしていましたが、実は気付いていたし、嫉妬もしていました。

昭和の芯の強い女性って、「家庭や家族を守る」ことを優先して耐え忍ぶことを美徳とする部分もあり、真実を知りつつも見ないふりでやり過ごす女性も多かったと思います。

だからこそ、当時は離婚歴も低かった。

男性優位な昭和の社会構造の中では、それが当たり前、そうするしかなかったというのもあったのでしょう。(今もあまり変わってないか……)

一方、男性は男性で、強くあれ、威厳を持っているのが昭和のあるべき男性の姿だったので、家庭の外でより弱い自分を見せることができたり、寛げる場をみつけるとそこに逃げ込んでいたのかもしれません。

誰しも、苦しい秘密や残念な経験はあるのかもしれませんが、わたしは昭和の女でありながらも一度も男性に裏切られた経験はないし疑うできごとすら無縁でこられたことに、これ観ながらあらためて気付かされました。

『阿修羅のごとく』で描かれている人間の弱さ、やさしさ、傲慢さ、絆、憎しみ、愛情などなど、織りなす家族関係から読み取れることがたくさんあるのは向田作品らしさでありおもしろく鑑賞できました。



"Asura"海外でも絶賛という記事も目にしましたが、日本の昭和時代がわからない海外の人に、英語でこの物語がどこまで読み取れているのかはちょっぴり疑問。まぁ、日本ブームの今、確かに白菜漬けおいしそうだし、出てくる食事風景の食べ物にはヨダレが……。


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yahoi /ライフエディター・エッセイスト
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