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【シンプルライフ】バランスこそがたいせつだよね

ちょっとおもしろい実験&記事だと思った。

シンプルライフへの挑戦をまとめた記事だ。わたしは現在は在米だが、その前に南太平洋に浮かぶ島国サモアで4年間、家族6人で暮らした経験がある。この記事読んでいくうちにサモアで挑んだシンプルライフの思い出がよみがえった。

挑んだというと、すごいチャレンジだったように聞こえるかもしれないけど、シンプルライフの実践はモノに溢れた環境よりも、モノのない環境に身を置くほうが簡単だ。

彼女が掲げた100日間における100個の感想を読みながら、よみがえったことを書いておくことにする。

100日間を通して感じたこと100個
1. 何もない部屋で過ごすと1時間が4時間くらいに感じる
2. ものがないとすることがないなんて自分は空っぽだなと感じる
3. 床に直接座っていられるのは半日が限度
4. まず必要になるのは柔らかい床=敷布団
5. 食器や冷蔵庫がないときのバナナの便利さにおどろく
6. 歯ブラシがないと自尊心が奪われていく気がする
7. 歯磨き粉をつけないとむしろ、より丁寧に磨きたくなる
8. 靴があるから外に行けるようになる。靴は世界を広げる
9. タオルがないとずぶ濡れでみじめな気持ちになる
10. タオルに包まれると心も包まれる

モノの多さがわたしたちの時間を搾取していることは南の島生活で実感した。とにかく、時間の流れがゆっくりだった。1日24時間というが、モノのない空間で生きれば、必然的に時間が増えたと感じられるほどだった。

日本でモノに溢れて暮らしていればぜったいに読まなかっただろう本がたくさん読めたのは時間が増えたのと、それしか娯楽がなかったからだ。

床に座ることがつらいというのもよくわかる。サモアンのママ友たちが、コンクリートの上で長時間でも座れることだけでなく、布一枚敷いて、そこでお昼寝もしてしまう能力に心底驚いたものである。つまり、ふわふわのモノに囲まれいてるうちにわたしたちの体はどんどん弱体化しているんだなと感じた。シンプルライフで培われている肉体の強靭さには感心したものだ。

バナナの便利もそのとおり。サモア時代ビーチに行くときやおでかけのときはいつもバナナがスナックだった。そもそも道端に生えていたりするのだけど。

靴は高級品だし、気候が常夏なためゴム草履で日常を送っていたが、裸足で平気な人も多かった。釘が刺さって血がでたのに、それを引っこ抜いて何食わぬ顔でまた歩き出したのを見た時には足裏の強さは人種によって違うのだと悟った。

「タオルがありがたい」とはなるほど。サモアではただの布をとっても多目的に使っていた。基本、下半身は布一枚くるっと巻けばそれがズボンやスカートの役目だし、その布一枚を床に敷けばシーツだし、雨がとつぜん降ってこればそれを頭にかぶったし、鞄の代わりに包むことにも使えた。一枚の布がそれほど多目的に使えることを知ったことは衝撃的だった。タオルじゃなくても、コットンの薄い布でもタオルと同じありがたさは感じられたかもね。

11. 最初の1週間は結果的に防災訓練にもなった
12. 尊厳を支える道具があり、ないと不便なだけでなく心細くなったりみじめな気分になったりする
13. ポケットがあればひとまずカバンはいらない
14. 最初は手持ち無沙汰でしんどいけど4日で心地よくなる
15. インプットとアウトプットの間の「感じる時間」がとれるようになる
16. 結果的に思考が整理され仕事もはかどる
17. 何もない部屋では窓を開けたとき虫の鳴き声が大きく響く
18. 窓をあけて外の匂いを嗅いだり風を感じたりすることが娯楽になる
19. 時計がないと光の雰囲気に敏感になってそれがリズムになる
20. 時間が過ぎるというより時間のなかにいる感覚になってくる

物理的に便利なことと、精神的に満たされることは別だと思うけれど、すでに“ある”があたりまえから“ない”を受け入れるのは、“失った”と感じてしまうのだろう。実は、多くのことが、「あるから失っている」ことに気づくには少し時間がかかったことを思い出した。

当初は不便になったことでイライラしたものだが、モノに振り回されない空間に身を置いているうちに体は順応する。ふわっと外から漂ってきた南国独特の花の香りが心地よいと思ったり、風のさわやかさを感じたり、聞こえてくる生活音さえもおもしろいなと感じたことを思い出した。

21. 時間ができたらじっくり考えたいと思ってたことは2日で考え終わる
22. (コロナ禍ということもあり)PCを得ることは社会と接続すること
23. 100日間で爪切りは10回以上必要になる
24. いつ爪を切ったか記録すると生き物である実感が急に湧く
25. 毛布が1枚あると安心する。毛布は心に効く
26. 9日目で我慢できなくなって本を手に入れる
27. 生活必需品だけがあればいいわけじゃない
28. 生き延びることと暮らすことは違う
29. 全身シャンプーに1本化するとお風呂場がめちゃくちゃスッキリする
30. ご飯を鍋で炊くのは簡単だし美味しい。炊飯器はいらなかった

「生き延びることと暮らすことは違う」名言だと思う。

生き延びるを基準にモノの要不要を考えだせば、わたしたちの生活にほとんどのモノは要らないものとなってしまう。今という時間をやり過ごすことはできても、暮らしているとはいえない。暮らすというのは、生きること、livingであり時間を消費すればいいわけではない。生きている日々の繋がりがまとまってはじめて暮らしなのだから、そこには心が満たされる何かが必要だ。

シャンプー1本化とか、炊飯器はいらないというのも納得。4年間の毎日、わたしは鍋でご飯を炊いたが、最初の数回失敗すれば、どのあたりまで水を入れて、どの火加減で炊けばおいしく炊きあがるかなんて簡単に習得できた。シャンプーどころか、石鹸さえあれば、体も頭も洗濯もできる。ないからこそ生まれる工夫の力を感じたし、有り過ぎないすっきり感にも気づいた。

○○用、○○用、とありとあらゆる、似通っているけどちがうラベルの商品が溢れてしまうのは、過度な情報、宣伝によるプロパガンダのたまものなのだ。幸い、南国では情報がなかったのでコントロールも簡単だった。

31. 洗濯機のいちばん尊敬すべき部分は脱水
32. 洗濯機は時間をプレゼントしてくれる
33. 乾燥上がりの洗濯物のあたたかさは家電からもらう愛
34. いままで当たり前にあった道具の本当の良さを知らなかった
35. 生まれた時からまわりにあるから「出会う」機会がなかった
36. 箸がないとおにぎりが便利すぎる、というかおにぎりにするしかない
37. 調味料がないときに活躍する食材はベーコンとサバ味噌缶
38. 箸があれば熱いものにいますぐ繊細にアクセスできる
39. 牛乳パックをひらけば、まな板代わりになる
40. 不便だとひらめく回数が増えて楽しい

サモアにいる4年間、洗濯機、掃除機や電子レンジなど家電品はない暮らしをしたけれど、わたしもないことがつらいと感じたのは洗濯機だった。家族6人分の洗濯を毎日手洗いし干した。青空の下で干す時間は好きだったが、絞ることが辛かった。夏服しかないのでなんとか生き延びたが、シーツのような大きなものを手洗いすると筋肉痛になった。とはいえ、続けるうちに筋肉痛が減って、腕の筋肉がついた。洗濯は筋トレだ。

不便だとひらめくというのも、ホント。空き缶を皮むき器に代用してみたり、空ペットボトルはいろんな代用容器やおもちゃにもなった。

41. 冷蔵庫は食材を未来の自分に送ることができるタイムマシン
42. シンプル生活2週間で身も心もすっきりすこやか
43. 仕事でも家事でもめんどくさい……と思うことが一切なくなった
44. 大切にしまいこんでいたものを勇気を出して普段使いにすると幸せ
45. 床にものがないと1分で掃除機をかけおわる
46. 20日ぶりにイヤホンで音楽を聴くと涙が出る
47. 藤井風『帰ろう』がミニマリストの歌に聴こえてくる
48. 情報量の少ない部屋で過ごして感性が研ぎ澄まされてきた気がする
49. スマホを手に入れたら1日の体感時間が半分くらいになった
50. 机も尊厳を保つ家具。床で食事したり書いたりすると魂が削られる

「冷蔵庫がタイムマシン」とは、おもしろい発想!♥
実は、シンプル南国ライフだけど冷蔵庫だけはあった。常夏の国で冷蔵庫がない暮らしは、健康に直結する。冷蔵庫は冷やすためだけでなくありとあらゆる雑菌やゴキブリ、アリなど害虫から食物を守るためにもこれだけはパスできなかった。

スマホやパソコンは時間泥棒ということだけはまちがいないんだろうな。わたしが南国ライフを送っていたころにはまだスマホはなかった。バソコンはあったけど、ウィンドウズ98でモデム接続なうえに接続の時間制限もあった。もし、今なら別の体験となっていたことだろう。

51. 塩と油だけでしばらく料理するとめちゃくちゃ勉強になる
52. 調味料が少ないと調理法や素材のポテンシャルに気づく
53. 味をつけることよりまず重要なのはうまみを引き出すこと
54. 道具も必要だけど道具を活かすためにも情報が必要(料理本)
55. シンプル調味料チャレンジはシンプルライフチャレンジと相似形
56. ペットボトルをコップがわりにし続けると自己肯定感が下がる
57. グラスで水を飲むのは自分が大切だから
58. 敷布団、毛布、防寒着は命にかかわる道具
59. VRゴーグルは靴を手に入れたときぐらい世界が広がる
60. パジャマは夜と朝を神聖なものにする

物理的にあると便利なものと、なくてもなんとかなるけど、あると精神を安定させるものがある。グラスの代わりになるものがあれば、グラスが要らないわけではない。お気に入りのグラスで飲めることが、生活する上での潤いであり、それが暮らすということ。モノは少なくていいけど、お気に入りのカップやグラスという拘りはあっていいと思うな。

調味料は基本のものでじゅうぶんと日頃から感じている。特に、合わせ調味料などの科学を結集して作られた人工的な味は好みではない。そもそも、○○味ってわけのわからない美味しさに惑わされると、その中身は添加物だらけの発がん性物質かもしれないのだから。「味よりうまみ」はだいじなこと。

61. うまみをひきだしてスープを作るのと時間を感じて暮らすのは似てる
62. 久しぶりに歯磨き粉を使うとゴージャスな気分になれる
63. 歯磨き粉で歯を磨くって自分を大切にすることだなと思う
64. 服の数を減らすなら洗濯に強いタフなものである必要がある
65. はさみを手に入れることは切る能力を手に入れること
66. 切る能力を手に入れることは切る技術を手に入れることではない(セルフヘアカット失敗)
67. ワイングラスがあるとなんでもない日がおめでたくなる
68. たったひとつのボードゲームで家庭の雰囲気が格段によくなる
69. 1冊ずつ読み終えてから本を取り出すと内容にもっと集中できる
70. でも本当はふとしたときに1分だけ読み返したい本が無数にある

本はどんなシンプルライフにも欠くことはできないものだと思う。多少のモノの少なさは、生き延びられるなら便不便程度のことだけど、知を満たしてくれる読み物や情報がないのは、人が人であるためには致命的だと思う。

残念ながら、モノが溢れすぎている世界で暮らしている者ほど、知性を満たしてくれる良質な書物に触れる時間を奪われている気がしてならない。昨今の“反知性”と呼ばれる人々が増殖中なのは、そんなところにも現れているような……。心を満たしてくれる本や読み物は洗濯機よりもだいじ。

71. 本が欲しい気持ちと本が並んだ本棚がそばにあってほしい欲求は別
72. だからきっと今後も本の断捨離はしない
73. 土偶や花瓶や画集など、心が暮らしに必要とするものがある
74. 何もない部屋で過ごす以外にも1日の体感時間を増やす方法はある
75. 時間を減らす道具と増やす道具がある
76. スマホは時間を減らす道具、レターセットは時間を増やす道具
77. 頭痛薬がないと1日を棒にふる
78. おたまは1つあればじゅうぶん。1つあれば十分なものばかり
79. 小さいスプーンはプリンとアイスの必需品
80. メイラード反応や焦がしなど鉄フライパンは調味料以上に味がきまる

ひとつあればじゅうぶんなモノは多いけど、ひとつしかないと壊れたときに困るとか、余分にあってもかさばらないからとか、それなりに理由作って増えてしまうのだ。気づけば、チリが積もって山で、引き出しが満杯になって取り出しにくくてうんざりという時が来る。思えば、サモア時代はモノがちっとも手に入らなかったので増えもせずで楽ちんだった。

81. 物が少ないほうが大切なものの「お守り効果」が強調される
82. 掃除用具はリラックスアイテムでもある
83. 調味料は刺激。外食や旅行がしにくいから調味料がほしくなる
84. 見逃し配信で満足していたけどM-1生放送のためにテレビがいる
85. 化粧品は顔と気分のスイッチをオンにする
86. 電子レンジなくてもいい、残り物や冷凍食品は鍋で温めた方がうまい
87. 電子レンジがないと残り物が自然と減る
88. 残り物が減るとラップがいらなくなる
89. いつも同じ服を着ていると思われてもなんの問題もなかった
90. 本当に好きな服は毎日着ても飽きない

無くていい調理器具をひとつあげるなら、わたしも電子レンジだな。サモア時代はないまま4年過ごしたけど、困ったことはなかった。もともと、温めることにしか使わないものなのだから、鍋があれば済む。電子レンジはなくていいけど、今なら代わりにインスタントポットはあるといいと思う。うまみ料理を簡単に作ることができるから。

「掃除用具はリラックスアイテム」なるほど。掃除って、体操時間だとわたしは思っているので、リラックスタイムってのも納得。

91. オーブンはクリスマスの必需品
92. なにかを欲しがるのは80日目くらいまでは嬉しい、その先はしんどい
93. 自分がもらうより誰かにプレゼントする方が嬉しい
94. 1日かけて1つずつゆっくり選ぶことでモノに責任が持てる
95. 忘れていただけでそれぞれのモノに「嬉しさ」が眠っている
96. 真剣に「欲する」ということは本来かなりエネルギーのいる行為
97. 必需品だけじゃ生きていけないから、土偶を大切にした縄文人の気持ちがわかる
98. モノに責任が持てるようになってやっとエコに思い至る
99. モノの数よりも暮らしの手応えを手放さないことのほうが重要
100. 100個でもじゅうぶん満たされる

若いころは、なんでももらえればうれしかった。自分がうれしかったからクリスマスには多くの人にプレゼントをすることを楽しんだ。でも、あるときからあふれるモノにうんざりしはじめ、もらうことがつらくなってきた。気持ちはありがたいけど、使わないモノが増え、「うわぁステキ、ありがとう」と言いつつ、「使わないし、しまうとこがない」と同時に思うことが苦痛になっていった。

特に日本のお中元、お歳暮などの贈答文化は考えもの。人を訪問するときの手土産とか、祝い、お見舞い、そのお返しと全てモノモノモノを送り続け、もらい続けだ。もうやめたらいいと思う。

要不要をとことん吟味して、「自分らしい暮らし」を楽しむために必要なものにフォーカスしてモノの持ち方と量、モノの受け入れ方と手放し方を常に意識できたらいいなぁと、今回の記事を楽しく読んだ。藤岡みなみさん、楽しい100の気づきのシェアをありがとう。



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yahoi /ライフエディター・エッセイスト
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