世の中に偶然はなく、すべて必然
「ブロッコリーを信じ過ぎてはいけない」で夫が大腸癌を早期にみつけられなかった分析を書いたことに、野呂先生からコメントいただいた。
基本的にわたしは神、仏、天国、地獄なども信じていないし、迷信や根拠のない情報に惑わされないように心がけている。
とはいえ、この世には科学的に説明できないことが存在すると思っているし、統計的にありえないことも起こると信じている。
わたしのあの体験はまさにソレ。
三文小説じゃあるまいしということが現実に起こった。
わたしはこれまでにも、フツーではあり得ない偶然によく遭遇している。
米国に移住する前、サモアにいたころのこと。
「シカさん、今ごろどうしているだろうね?」
そう夫婦で話しながら、サモアの首都アピアの町を歩いていたら米国にいるはずの彼がこっちに向かって歩いてきた。何年も連絡取り合ってなかったけど、たまたま彼を思い出し、言葉にしたらバッタリ!で超びっくりした。
在米のわたしと夫が米国大学生のグループ連れて京都の路地裏を歩いていたら、いつもはSNSで繋がっている人から突然声をかけられたと思ったら数日後に再びその人と駅で遭遇したり。
単なる偶然といえばそれまでだけど、わたしには偶然で片付けられないようなできごとがたまに起こる。
そして、新しく会った人が実はわたしの過去に出会った人と深い繋がりがあってびっくりしたり……ってこともよくある。
そもそも、わたしの今にいたる人生展開こそがそのときは偶然と思ったことでも後に必然だったと気づくことがあるので、野呂先生の言葉には深く頷いた。
そんな経験を重ねれば、神や仏を信じていなくても、目に見えないなにかの力とか、運命とか、スピリチャルなことは否定できようもない。
それもあり自分の直感を信頼している。
直感を研ぎ澄ますために、なるべく正しそうな情報を集め、論理的かつ自分なりに考えて判断しようと心がけているからこそ、直感センサーがよく働くようになって偶然や必然を呼び起こすような気がしてきた。
さてさて、偶然、必然のキーワードで最近うれしかったこと。
わたしと夫はその昔、小説『木村家の人びと』(谷俊彦)の大ファンで何度も本を読み返した。
映画にもなっているのでご存じの方も多いと思う。
よくまあ思いつくな、って感じのブラックユーモアでおもしろい。
我が家では家計的に倹約しなければいけないことが起こるたびに、「今月は木村家で行こう」というほど、木村家流にお世話になった。
日本で暮らしていたころには、星新一とか、清水義範のショート・ショートも大好きだったので、谷俊彦氏の作品も楽しめたが、今や在米暮らし23年なのでそんな日々もすっかり忘れていた。
ところが、つい先日のこと。
わたしのベッドルームのスマートTVはスマホのYouTubeと繋がっていて、勝手にアベプラを映し出していた。さぁ、スイッチを切って寝ようと思ったところで、「がんちち」というテロップが流れ、なんとなく見覚えのあるお顔が映っていてびっくりした。
いゃ、これまちがいなくわたしのnoteで繋がっているがんちちさんだ!
でも、がんちちさんのnoteではどこにもこれに触れた投稿はなかった。
それでも、わたしはかなり確信があったのですぐにコメントを残した。😆
がんちちさんは、せっかくアベプラに出ていたのに、誰にも知らせずにシラーを決め込んでいたようだけど、米国ミシガン片田舎に住んでいるベッドルームから見ているわたしにみつかっちゃった🤣!
そして、その栄誉あるアベプラデビューの顛末をわたしのリクエストでnoteにしてくれた。
で、ここからがまた、わたしの運命というか、必然の強さが発揮される。
がんちちさんの記事を拝読。
わたしのリクエストで書いてくれたのだからコメント残さなきゃと思ってコメント欄に!
えっ?ぇぇぇぇぇぇぇっ?
なんとコメント欄に谷俊彦という文字が!!
すぐにビビッときて確認したら、アノ谷俊彦氏。
こんなところにいたぁぁぁぁぁ!!
即座にフォローして谷俊彦氏のマガジン、ショート・ショートを購入させていただいた。
こういうのも、偶然じゃなくてきっと必然なんだと思う。
それはわたしの頭の片隅に「谷俊彦」というお名前に反応できるセンサーが眠っていたからだ。
直感センサーを磨いておくと、幸せなことに出会うチャンスは増える。
わたしの人生幸運だらけで楽しい。
振り返ればこれも今に続く必然ストーリーかも。
人生は偶然のようで必然なのだと思う。