ウルトラ感謝!シアワセホルモンが出る暮らしの裏のヒーローたち【#note感謝企画】
先週末は1年7ヶ月ぶりに家族全員がそろってにぎやかでした。娘と3人の息子たちとそれぞれの連れで8人+末息子の相棒のテズ君とわたしを入れて総勢10名+ワンコが4匹&ネコ1匹が大集合。
リビングルームにはたくさんの楽器が並んでいる我が家です。誰かが演奏し始めると、そのうちに自然とジャムがはじまります。特に今回は演奏とは無縁だった娘のダーリン、つまりわたしの義ムスコまでデジタルドラムで仲間入り。とっても楽しそうです。パンデミックとなってからストレス解消にと娘がデジタルドラムを買ったらすっかり夫婦でハマっているのです。
我が家のリビングルームは倉庫なみに広いので大騒ぎしても平気です。それぞれ気のおもむくままに演奏している中でボール追っかける犬が走り回っていて絵的にも平和そのものです。😍
唯一、残念で悔しいことはこの絵を誰より望んでいた夫がここにいないことです。
笑い声と歌声と音楽が混ざりあう時間は、わたしにとっては甘いものを食べるよりもドーパミンがたっぷり出てくる瞬間であり、目の前に広がる光景に感謝の気持ちがメラメラとわいてくるのです。
川ノ森千都子さんの「#note感謝企画」に参加しています。
誰に感謝って、父に感謝、夫に感謝です。そして演奏できる人になるまでには本人たちがそれぞれ練習したからなのでその努力にも感謝。そして、笑顔で今演奏が楽しめる状況にも感謝……と感謝の矛先はあっちにもこっちにも! もう、元気で生きていることにすら感謝したくなります。
だってね、こういう時間が持てるって、子どもに楽器さえ習わせればできるわけではありません。演奏技術があっても、楽しめる感性がなければ始まりません。長い時間をかけて、環境、能力、才能、運や努力といろいろが混ざりあって生まれた幸運なギフトだと思うからです。
ここに到達するまでにはいろんなドラマがありました。
音楽の楽しさを教えてくれた父に感謝
前にも書きましたが、わたしは音楽を聴くことも演奏することも大好きです。最近の研究でわかっているように、音楽の才能は9割が遺伝によるものだそうです。母は音痴でしたが、父はいつもギターを弾いては歌っていました。歌手より歌のうまい父でした。その遺伝子を受け継いでいるのか、弟も妹もカラオケ歌わせれば歌唱力抜群です。音楽好きな父のおかげでわたしと妹は子どものころからエレクトーンを習わせてもらいました。
自分にできないからこその夫の夢に感謝
夫が人生最終章を暮らす家は、どんなにどんちゃん騒ぎをしてもどこからも文句言われない土地に建てるのだとよく言っていました。自ら騒ぐことはなくても我が家の面々が音を出さずにはいられないことをいちばん理解していたからです。
義父母はみごとに音感ゼロの夫婦でしたので、夫は遺伝的にかなり音感に乏しいDNAを受け継いでいました。結婚して間もないころ、わたしが持っていたアコーディオンを弾いてみたいというので、猛特訓してあげたことがありました。わたしには理解不能なレベルで夫には音感がありませんでした。
弾きたい一心で『霧の摩周湖』を一曲だけ弾けるようになったときにはほんとうに大喜びしていましたが、音感のない夫にとっては音楽的に学んだものではなく、「何番目の鍵盤を教えた長さで押す」といった「物理的な動作」として覚えて、やっと弾けた一曲でした。
せっかく弾けるようになった一曲も、そんな覚え方では身にはつきませんでした。結局、音の高低がわからない夫はどんなに練習してもだめなことがわかり、決定的に音楽的才能がないことを認めた結果となりました。夫の楽器演奏は、後にも先にもそれっきり。「いつかエレキギターが弾きたい」という望みは実現しませんでした。
そんな夫だったからこそ、演奏への憧れはより強かったように思います。夫は70年代のアメリカの人気テレビドラマ『パートリッジ・ファミリー』の大ファンでした。未亡人の母を助けるために子どもたち5人とママがバンドで活躍するストーリーです。
【夫の遺品の中で見つけたパートリッジ・ファミリーのサウンドトラック】
演奏できなくても環境は作れる
夫と結婚し、田舎暮らしに同意する条件は、“エレクトーンの購入”でした。予算が足りなくて家に続く階段がないというのに、夫は快くエレクトーンを買ってくれました。田舎の家で誰にも気を使わずに演奏できる日々はわたしにとっては不便な田舎暮らしを相殺できるほどうれしいことでした。
我が家の子どもたちは、生まれたときから音楽を楽しむ母を見て過ごしていました。サモアに引っ越すことになったときも、シンプルライフを目指すために持っていけるのはサバイバルグッズ限定ではありましが、カシオのキーボードだけは持って行ったほどです。
楽器購入にこだわった意味
米国に引っ越してすぐアパート暮らしのころ、でかい夫婦喧嘩をしました。
9歳から16歳の子ども4人を抱えて、将来の見通しはまったくなく、家計は火の車という状況でしたが、夫は何を血迷ったのかわたしに電子オルガンを買うと言って聞きませんでした。
わたし:「食べるためのお金をどうしようと思っているのに、何わけのわからないことを言い出すの?わたしのおもちゃなんか今はだいじじゃないから、そのうちに買えるときがきたときに買ってもらうから今はお願いだからヤメて」
夫:「金がないことはわかっている。でも電子オルガンはおまえのおもちゃじゃない。食べるの削ってでも整えたいたいせつな環境なんだ。オマエが演奏を楽しんでいる姿が家の中にあることは、食べること以上にだいじなことなんだ。どうしてわからないのかな?そんなだいじなこと!!今わからなくてもいつかきっとわかるときが来ると思うから、オレは買うからな」
言い出すと聞かないのはいつものこと。
アメリカではエレクトーンは手に入らないので、パナソニックの電子オルガンを$3000ドルほどで買いました。当時のわたしたちにはほんとうに大金でした。今振り返ってもどう捻出したのか……謎。
自分が弾くわけでもなく、演奏者本人も要らないと言っているのに、どうしても要ると言い張る夫には心底腹を立て呆れはてました。
「お金足りねぇんだよー」と叫びたい気持ちで暮らしていたころなのですから。
今思えば、わたしの視点は「自分が演奏を楽しむ」というところにあったのに対し夫の視点は別のところにありました。
そして、このあとの暮らしを思い返せば、まちがいなく夫の“要る”には意味があり価値もあったと今は感謝しかありません。
父の功績も大きい
サモアを離れるときにオンボロのエレキギターを1つだけ持って引っ越してきましたが、それから少しずつ米国の我が家には楽器が増えていきました。わたしの父は2009年に他界するまで、孫たちが楽器に興味を持っていることがうれしくて日本に帰省するたびに楽器をプレゼントしてくれました。
中国製のビギナー用モデルなので決して高価なものではありませんでしたがトランペットやサックスをおじいちゃんが買ってくれたおかげで、末息子はミドルスクール時代からトランペットを演奏し始めました。
父の遺言
父は亡くなる少し前にわたしに言いました。
「この世からいなくなったときには、少しばかりの生命保険がばあさんに入るはずだから、ばあさんにも伝えてあるから4人に何か1つずつ、じいちゃんのメモリアルとして楽器を買うこと」
父の希望どおり、娘はヤマハのデジタルピアノ、長男、次男はエレキギターを買いました。末息子はちょうどハイスクールのジャズバンドでトランペットを演奏するようになっていたころで、よりよいトランペットがほしくなっていたのでヤマハのトランペット(ボビーシューモデル)を買いました。
【おじいちゃんのメモリアルギターには“1935-2009 Grandpa”の文字入り】
ボビーシューとの共演で感涙
末息子の買ったトランペットはボビーシューモデルでしたが、購入から2年後に感動のできごとが起こりました。2012年、大学のジャズイベントにボビーシュー氏がゲストに呼ばれていました。息子の所属していたジャズバンドとボビーシューの共演コンサートが実現しました。
コンサート自体も素晴らしかったのですが、目の前で起こっていることが亡くなった父からの贈り物のようにさえ感じられ、観客席から舞台を見つめるわたしは震えるほどに感動していました。
音楽にまつわるエピソードはほかにもたくさんあります。
そんなわけでかつてのうれしい時間も、今目の前にあるシアワセなときもこれまでいろんな形で環境作りに貢献してくれた父や夫はじめ、理解ある人々の賜物です。
心から感謝を込めてありがとう。