ドリーム・ホームの工事スタートするも、次々とんでもないことに【#7家にまつわるストーリー】
2020年3月に突入し基礎工事に入りました。7日に訪ねてみると、家の建つ部分とガレージとわかる部分ができていました。
ミシガン州では、ほとんどの家に地下室があります。このあたりは地形上、台風も地震もありません。五大湖に囲まれていて高い山もないので昨今多い山火事の心配もありません。ただ年に1 、2度トルネード警報が出るので、そんなとき地下があると安心です。
古い家の基礎はコンクリートブロックのために、地下は水漏れトラブルに見舞われることも少なくありません。地下室専門の防水工事を請け負う業者もあるぐらいです。
地下室と言えど、居住スペースと繋がっている場合、湿気からカビが発生し健康被害にも繋がるので乾いていることはだいじです。
地下は冬暖かく夏涼しく、遮音高価も高いので利用価値は高いため、新しい家のほとんどはファミリールームや娯楽室、ベッドルームなどの居住スペーとして完成させている家も多いのです。
夫が、新築を望んだのはこれから歳を重ねていくからこそ、最新テクノロジーによるメンテナンスフリーの家に住みたかったからです。夫婦が死ぬまで安心して住める家でなくてはならないからと、基礎の工法にはかなり拘りを見せました。
木製、注入式コンクリートなどいろいろな選択肢があるなかで、わたしたちが選んだのはスペリオールウォールというものでした。防水、防音、断熱など全てに優れており、図面通り工場であらかじめ作った基礎壁を現場に運び、クレーンで添えつける工法なのでより精度は高く、基礎の埋め込み工事もたった1日で終わってしまいます。
ただ、このあたりは粘土質で水はけがよくない土壌なので、深く地下に埋めず半地下程度の浅めにしました。地下が深ければ深いほど、水圧による水漏れトラブルが起こりやすいと考えたからです。
そのため、我が家は地上レベルから少し下がった半地下が1階部分で、地上から階段を少し上がったところがメインフロアーとなります。
そんなわけで、2020年2月の終わりにこんな様子だったのに
3月の7日土曜日には、スペリオールウォールの埋め込み基礎工事が終わっていました。
コンクリートの箱の部分が家となるところで、半分が地下に埋まっています。上にのっている木の部分がメインフロアーとなるところで、手前の低いコンクリート部分はガレージになります。
工場で作られたコンクリート壁の内側はこんなふうです。
「早いねー。たった1週間でこんなに進んだねー」
と基礎が置かれ家らしき雰囲気の出てきた様子に感慨深げでした。
とはいえ、夫の体調はやはりよくありません。
3月に入り夫の勤める大学が春休みとなり、ゆっくり静養できているのにつらそうにしています。これまでにこんなことはありませんでしたから、ほんとうに心配です。
そこに新型コロナウィルスの不気味なニュースも追い打ちをかけます。
3月10日火曜、ミシガン州で最初のコロナ陽性患者がみつかりました。翌日11日水曜には、州知事が学校を休止させることを通告しました。
3月12日の木曜日、娘夫婦から「パンデミックが始まるから今のうちに買い出しに行っておいたほうがいい」と電話がかかってきました。
とりあえず、近所のスーパーに食料の買い出しに出かけたところ、みごとにトイレットペーパーが無くなっていてびっくりしました。
「いよいよここミシガンもパンデミックに突入」だと暗たんたる気持ちになりました。
【これがわたしの2020年最後の買い物となりました】
13日の金曜日は公立、私立を含める学校の閉鎖、集会の禁止、個別住宅の訪問禁止、医療機関の制限が発表されました。
ローカルのクリニックが外来診察をクローズするという発表を聞いて、嫌な予感がしてきました。
「夫の体調がおかしいのに、医療機関が封鎖されてしまってはたいへんなことになる」
この時点で、尿路感染症だろうという近所のクリニックの診断をわたしは疑いはじめていました。きっと、膀胱炎とか腎盂腎炎などに悪化しているのではないかと勝手な推測をして、午後には嫌がる夫を無理やりER(救急外来)に連れて行ったのでした。
ERでCTスキャンを撮りました。
ナースは言いました。
「とっても残念なことを伝えなければなりませんが、ステージ4の大腸癌です。すでに肝臓や膀胱などに転移が見られます。この町では対応できる専門医はいませんので、専門医のいる病院に行って下さい。一刻の猶予もありません、今すぐです」
二人で呆然としました。
ナースは続けました。
「Covid-19でこれから医療機関がどうなるかわかりません。すぐに行動しないと。州内に対応可能な病院は数カ所ありますがどこがいいですか?」
わたしの頭は真っ白になりました。
とりあえず、娘夫婦と次男夫婦のいる町が数カ所のうちのひとつだったため、そこで受け入れてもらえるようにお願いしました。
自宅に戻り、入院に必要なものと、夫の仕事に必要なもの全てをかばんに放り込み、150キロほど離れた町まで車を走らせました。
娘や次男に「お父さんがそっちの病院に入院することになったので、今からすぐに向かうから」と伝えました。
わたしは、これまでに経験したことのないような試練が来ることを覚悟しました。
キツネにつままれたみたいに何が何やら?という気持ちのある一方で、
コロナパンデミックでこれからどうなるのか……
闘病が始まるのに、建築の始まった家はどうなってしまうのか……
夫は仕事を続けられるのか……
仕事ができなくなったら健康保険はどうなるのか……
闘病にいくらかかるのだろう……
病院に向かう車の中でもいろんな不安がグルグルグルグル……回りだしています。
長距離はいつも夫がハンドルを握ってきたので、この時点でも夫はわたしに運転はさせてくれませんでした。わたしの運転では病院に辿り着く以前に二人で事故死するとでも思っていたのでしょう。
「おれ、残念だよ」涙声で一言発したあと、
「でもだいじょうぶ。明日死ぬわけじゃないから。父さんだって癌がわかってから数年生きられたのだからオレもあと5年ぐらいはだいじょうぶさ」
そう、自分に言い聞かせるようにわたしに言いました。
夫が人生かけたドリームホームをなんとしても完成させて、少しでも長く、そこで過ごす時間をのばしてあげたい。
そう願いながら、わたしは黙って夫の片方の手を握っていましたが、頭の中は言い知れぬ不安がうずまき、胸の中にはキュルキュルと痛みのようなものを感じていました。
これからどうなっちゃうんだろー。