心臓パクパクの思い出したくない記憶
人の記事から忘れていたことがよみがえることありませんか?
ひめこさんの投稿を読んで、そういえばと思い出しました。
かれこれ30年以上前のこと。海外移住など視野になくて日本で田舎暮らしをしていたころのことです。
わたしは結婚して2年めのときにド田舎に新築一戸建てを建てて田舎暮らしをはじめました。車以外に交通手段がない過疎の山村で、家族を育む場所としてのスタート地点でした。
夫は若い頃から、俗にいう車好きでした。彼は亡くなるまでの人生で40〜50台ぐらいの車を乗り継いだのではないかと思うほど……。(数え切れないのでそのうちおさらいしてみます)
当時、我が家には街にでかけるふつうの乗用車とは別に近所を自転車代わりに使う足としてウォークスルーバンの改造車(トップ画像)を所有していました。軽のわりに中が広く、小回りもきいて畑仕事、子どもの送り迎えとわたしの足として大活躍してくれました。
あるとき、子どもたち4人を乗せて公民館に行こうとバンを運転していました。
対向車とはすれ違えないほど狭い道を通ります。くねくね曲がる急な坂道の登り坂です。子どもたちも乗っているし坂なのでスピードなんか出せるわけもなくたぶん20kmほどのトロトロ運転をしていましたが、前方に1台の自転車が目に入りすぐにブレーキを踏みました。
本来なら道路の左端を進まなければいけない自転車が、急な下り坂のど真ん中を急降下で降りてきました。😱😱😱
前なんかまるで見ていない感じでした。
キャーと叫ぼうとも、自転車は止まりませんでした。鈍いドンという音がしたかと思うとフロントガラスは粉々になりました。ブレーキをかけるどころか自転車ごと頭から車に向かって突っ込んできたのです。
わたしの心臓はパクパク。
とにかく命があるようにと祈りました。
幸いヘルメットを被っていたので、意識はありましたが、自転車ごと道に転がりました。死なないで、お願いだから……うろたえながら震えていました。なにしろ頭から猛スピードで突っ込んできたのですから。
スマホなどまだない時代です。
事故現場から50メートルほど脇にわたしの友人の家があったので、すぐに救急車を呼んでもらいました。車の中にいた子どもたちとわたしは、怪我ひとつなく無事でした。
ママ友がたまたま通りかかり、乗せていた子どもたちは本来向かうはずだった公民館に連れて行ってくれると引き受けてくれました。
わたしは現場に残り、事故処理です。警察がすぐにきて、現場検証しました。後続車の運転手がわたしが停車していたことを証言してくれたために、自転車のスピートの出しすぎと前方不注意であり、おまわりさんも、「無謀な自転車のために、避けようもない事故」とかなり同情してくれました。
自転車に乗っていたのは、地元の中学生の女の子でした。現場検証が終わって保険やに電話しました。本来相手が車なら相手の保険で直せたのでしょうが、自転車のためにわたしの破壊された車の保障はなく、弁償もしてもらえませんでした。
その夜、自転車に乗っていた女の子が運ばれた病院に、お見舞いを持って夫と共に駆けつけましたが、女の子の母親もかなり動揺していました。頭に異常はありませんでしたが、肋骨が折れており全治1ヶ月の怪我でした。
警察がわたしに同情的だったことに反して、女の子の母親は、まるでわたしが我が子を殺そうとした犯人のような対応でした。「あなたの娘さんの100%不注意です」と言いたいのを堪えて、その日は病院から出てきたことを覚えています。
あまりの恐怖と、怒りでわたしにとっては覚えていたいことでもないので、ずっと封印していた記憶ですが、ひめこさんの記事から、あ〜そういえば封印していた事故の記憶があったワ!と思い出しました。
まぁ、63年も生きてこればいろいろあって当たり前ですね。
お気に入りだったバンは結局、廃車となりました。
まだまだ未熟な中学生の不注意を責めようとは思いませんでしたが、どんなに注意をしていても、不意の事故は起こりうることを痛感した瞬間でした。
振り返れば、血の気が引くような怖い思い出がいろいろありました。↓
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