気力について。
ホリスティック・ヘルス実践講座のフォローアップやカウンセリングの中で、度々「今のAjaさんは気力だけで体を動かしているから、そうではなくて心と身体の両方から健やかに動けるようにちゃんと食べましょう。」「ゆくゆくは程良く体を動かす習慣もつけましょう。」というアドバイスを頂いていました。
最近、このアドバイスについて振り返っていました。私はこのアドバイスを分かったようで分かっていなかった、と実感してきています。
振り返ると、会社へ行くことが私にとって何よりも大切な任務だと思っていた傾向がありました。司令官は私です。
出勤しなければいけない。
勿論、かなり重みを持たせていたわけでは無く、
多くの人と同じ様に普通の日常の常識として「会社員ならば少しの体調不良・生活の乱れがあろうとも定時より少し早く出社し、定時で帰るべし。」という程度の認識でした。エッセンシャルワーカーでしたし、昭和生まれの私には当たり前の任務でした。
朝ごはんは無し、又はコーヒーとケーキ。
昼はお腹を壊さないように、コーヒー又はお茶とグルテンフリーのケーキかクッキー。
夜はお弁当かスープ。少しお腹を壊しても、朝まで時間はあります。
こんな食生活で、毎日気力で体を運んでいました。
気力で体を運ぶ、という客観的な私の姿が見えたのは、つい最近になってのことです。
それまでは、気力が私の身体にパワーを与え、前向きに気持ちを切り替えて働いている!と信じて疑っていませんでした。
半月ほど前に、私は会社を辞めました。
退職後に、お世話になった方々に会う機会がありました。そのお約束の日には、約束の時間までに体調を整えておきたいので、飲食も注意して行い、GoogleMap通りに行き先に辿り着くようにしました。
しかし、帰り道となると、その後の予定が無いために、膝に力は入らず、呼吸も苦しくなり、一呼吸ごとに「ふぅ、ふぅ、、、」とアテレコをしないと前へ進めないこともありました。行きと同じルートを辿るだけなのに、倍の時間がかかったり、休憩しなければ帰宅できませんでした。
行き道に有って、帰り道に無いもの何だ?と考えてみました。
気力でした。
そして、気力に対する私の先入観に気づきました。
今まで「気力」という言葉にポジティブなイメージを当てはめていました。例えば、やる気・根気・元気!の様に。
しかし、時々「気」は「〜しなければならない」という潜在的に自分に課している「鬼(き)」かもしれなかったのです。
せっかく体を突き動かす気力を持つならば、前向きな気がよいという、望みが湧いてきました。
好奇心、希望、願望。それらによって体が動く、それらによって体を動かすための良い行動を選択することが出来る、そういう人になりたいと思いました。
かつては「気力があれば大丈夫」と良く言い聞かせてきました。今後は、それは私の体にとって鬼ではないか?と自分に指差し確認をしてみようではないか。
身体を生かす気力とは。
そう考えて、呼吸を整えて、スケジュールを起こしていく。それが私の未来プランニングだと、発見できた最近でした。