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的を「射る」「得る」問題 / どの点を切り取った言葉なのか?
何年前か?Twitterを見てたら、この問題を見かけた。その時は気にせずにいたが、暫く経って何時も見ている「東方MMDゆっくりゲーム実況動画」内で、この言葉が出て来た。「的を得るなよ、射ろよ」こんな感じ。(この人の作品はとても好きです。ほぼ毎週、質の高い動画を7年前から作り続けています。極々少額の投銭を何度かしました。)
確かどこかの出版社が出した辞書に「得る」は間違いとした後に、どちらでも良いと訂正した文章を、誰かのTwitterから見た事を覚えている。
今、軽く調べると「射る」が本来は正しいと有りました。でも自分は、むしろ「得る」で良いと思ってます、その理由を書いて行きます。
「的全部」と「真ん中の◉」と「鹿」
上に書いた「的を得るなよ」は、極端に言えば、的を得て持ち帰る事をイメージした言葉です。多分。
でも鹿や兎なら得るで良いし、それが生活の為なら「獲物を得る」のが主目的。
更に言えば「正鵠◉」が100、90、80と点数が付くなら100点を得る(得点)で、何も問題は有りません。
「射る」のは「矢」
物凄く単純に言えば「的」を「射出」しない。射るのは弓でも的でも無く「矢」です。
だから「弓『矢』を射って的(獲物、真ん中)を得る」それなので自分は「得る」で良いと思います。
「弓使いの『射』は何処から何処まで」
弓やスナイパー(銃)の話しに、(自分)、弓、矢、的、が一直線に繋がった時に放つ、そんな言葉を聞いた事が有る人は居ると思います。もしくは的が大きく見えた時に射る、当たってから放つのだから当たって当然、なんてのも有ります。
この上に書いた感覚なら「自分=弓=矢=的」が一直線に繋がりどこを切り取っても、「射手」には金太郎飴の様に「射る」の感覚範囲内になります。この様な感覚を持ってるなら、その人は「的を射る」と自然に言うと思います。
あとは発音的に「的を射た発言」「的を射る発言」より「的を得た発言」の方が使い易い。どっちを使っても構わないと思います、でも自分はこんな考えなので、「的を得る」を使って行こうかなと、思っています。
↑以前こんな記事を書きました。ノコギリと同じで、今は弓で射抜き獲物を得る人は、昔に比べて遥かに少ない。元々は「射」でも、現代とは生活環境が大きく違うので、感覚と使い方に沿って、再考しなければならないのかも知れません。
時代に合った、何か別の良い表現は無いものか、、、『noteの「❤️好き」を得る』と言うのはどうですかね?媚びてみました。