はじめての政治哲学 「正しさ」をめぐる23の問い 第1章 3 リベラリズム
家庭が貧しい人は大学に入りやすくする⁉︎
このような優遇策は「アファーマティヴ・アクション」といって、アメリカの大学では実際に行われてきたものである。
「積極的差別是正措置」などと訳される。
ここでははたして正義とはいったい何なのか、リベラリズムの議論を概観したい。
リベラリズムの系譜
自由主義といっても長い歴史があり、その意味内容は一義的ではない。
大まかに見ると「古典的自由主義」「新自由主義」「ネオ・リベラリズム」「現代のリベラリズム」という四段階に分類できる。
古典的自由主義
ロックは、生命・自由・財産という、人が生まれながらにして有している自然権に由来する諸権利を、権力の恣意的な行使から守るべきと主張。
また、ミルはこの古典的自由主義の内容を、他人に危害を加えない限り自由は保障されるという「危害原理」によって端的に表現した。
新自由主義
むしろ国家が個人の自由実現のために積極的に介入すべきだと主張。
ネオ・リベラリズム
オーストリア生まれの経済学者F・A・ハイエク(1899〜1992)は国家の介入を批判し、市場の役割を最大限重視。
アメリカの哲学者ロバート・ノージック(1938〜2002)は、所得の再分配は自己所有権の侵害であるとまでいった。
この点で彼は、リバタリアニズムの先駆ともいえる。
現代のリベラリズム
そのノージックの論敵が、『正義論』(1971)で有名な現代リベラリズムの旗手ジョン・ロールズ(1921〜2002)である。
彼も国家型自由主義、あるいは平等主義的な自由主義なのだが、従来のリベラリズムと大きく異なるのが、それを本格的な政治理論として洗練させた点である。
いったいロールズのどこがそんなに画期的だったのかを見ていく。
ロールズの『正義論』
ロールズのモチーフは、一言でいうならば、公正な分配はいかにして可能かということになる。
いわば多様な「善」に対する、中立的な「正」の優先を提案しようというわけである。→「正の善に対する優先性」
「無知のヴェール」
そこでロールズが考え出したのが、ある種の思考実験である。
みな自分自身の年齢や能力、社会的地位といった特定情報は知らないと仮定するのである。→無知のヴェール
「正義の二原理」
その上でロールズは、次のような「正義の二原理」を掲げる。
第一原理 各人は基本的な自由の最も広い体系に対する平等な権利を持つべきであるが、このような自由の体系は他者の同様の体系と両立しなければならない。
第二原理 社会的・経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなければならない。
(a) 機会の公正な均等という条件の下で全員に開かれている公職や地位に伴うこと
(b) 社会の最も恵まれない人の状況を改善すること。
これらは順に適用されるという。
まず第一原理によって、各人に平等に自由を分配すべきだとされる。
ここでいう自由は言論の自由や思想の自由、身体の自由といった基本的な自由に限られる。
現代に生きるロールズ
ロールズは現実の政治に合わせるかのように、普遍的な原理よりもむしろ重なり合う部分でのコンセンサスを重視し始めた。
ロールズは死してなお現代リベラリズムの中心的存在であり続けている。
善への近接化?
最後に、ロールズ以外の現代リベラリズムの理論化も少し紹介しておこう。
法哲学者のロナルド・ドゥオーキン(1931〜)は、「平等な配慮と尊重」という観念を軸として、自らのリベラリズムを構築。
ドゥオーキンは、人がそれぞれに善き生を実現するためには、「資源の平等」が必要だという。
したがって、財の平等な分配を行うことこそが、政治的共同体の役割であるということになる。
あるいは、同じく法哲学者のジョセフ・ラズ(1939〜)は、卓越主義的リベラリズムという立場をとる。
これは、個人の福利に不可欠である自律を尊重しつつも、政府の主要な目的と役割を、人々の福利を保護促進し、善き生を送ることができるよう支援することに置こうとするものである。
実はこうした現代のリベラリズムの傾向は、1980年代に生じたコミュニタリアニズムとの議論の中で培われてきたものである。