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普段の粗食と、たまの美味しいもの。

 食事をとるとき、私は余計なものを全て省きます。音、におい、光。そうすると、味が引き立ちます。噛み締めるほど増していく甘味、ふわりと漂う香り、ほっと息をつく温かさ。主張しない味たちの優しさに、胸が一杯になるほど満たされるのです。

普段の食事

 私の食事はお米と味噌汁です。おかずはありません。味噌汁にも具はありません。お米を噛んで、味噌汁をときおり飲む。ご飯の甘さ、出汁の香り、味噌の温かさ、それだけです。それだけが一番満たされます。

 節約などのために粗食をしているわけじゃありません。もちろん、食費は小さければ小さいほどいいと思っています。栄養の偏りが気になるので、1日1回野菜ジュースと栄養剤を飲んでいます。それならちゃんとおかずを作って食べたらいいじゃない、と思うかもしれません。料理ができないわけでもないんです。レパートリーは少ないですが、母のおかげでイリチーやチャンプルーなどいくつかは作れます。でも、そうじゃないのです。私にとって大事なのは、どうしたら食べられるのか、なのです。

沖縄の方言について
・イリチー
炒め物という意味です。主に野菜炒めのことをイリチーといいます。
・チャンプルー
混ぜ物という意味です。主に卵を混ぜた炒め物をチャンプルーといいます。ちなみに、ソーメンチャンプルーに卵は使いません。ツナを混ぜます。

ご飯が食べられない

 それは12歳の頃でした。当時、思春期と成長期に突入した私は、味覚が変わり、常にお腹が空いて、何を食べても美味しく思える状態でした。毎食、おかわりは2回以上です。

 しかし母はそれを嫌がりました。私がおかわりをするたびに、「もう終わりにしなさい」「太るよ」と言いました。しまいには、

「ウチはお金がないのに、お前のせいで食費が嵩んでいるんだよ。お願いだから、もう食べないで」

懇願されました。それからです。ご飯が喉を通らなくなりました。お茶碗一杯分のご飯が食べられなくなり、食事が3回とれなくなり、おかずや味噌汁も入らなくなり、大好きだったお菓子も気持ちが悪くなるようになりました。

 また食べられるようになるまで大変でした。長い時間がかかりました。私がどうやって治したのか、一般的には推奨されない方法らしいので、ここには書きません。ただ、私が好んで粗食を取るようになったのは、粗食が一番、食べやすかったからでした。

世界は美味しいもので溢れている

 私は外食に出ると必ず、デミグラスのオムライスと、カルボナーラスパゲッティを探します。好きなんです。この2つだけは不味いと思ったことがありません。初めてのパン屋さんに入ったときは、メロンパンを絶対に買います。メロンパンは嫌いです。食べられないというほどではありませんが、見かけてもスルーしてしまうくらいには嫌いです。でも、手作りのメロンパンは素直に美味しいと思うのです。

 コンビニのデザートも大好きです。コンビニに入ると、ついつい欲しくなります。最近食べたのは、ファミマのふわふわケーキ オムレットのモンブランです。ふわふわの甘いクリームに、栗の味がしっかりしたペースト、それらをぎゅっと引き立てるココア味のオムレット。最初に、袋から取り出したときは小さいなと思いましたが、食べ切ったときの充足感に、小さくはなかったなと自分の所感を自分で撤回していました。

 粗食をとると、美味しいものが美味しいと思えるようになりました。ここで、我意を得たりとばかりに美味しいものを食べ続けてしまうと、また食事量が減ってしまいかねません。美味しいものはたまにでいいんです。味気ない粗食が、たまに食べる美味しさを引き立ててくれます。

ジュースが飲みたくなったらリンゴ酢

 食事が粗食なように、飲み物も味のない水を好みます。私の場合、精神的なストレスについては割と強い部分もあるようですが、物理的なストレスにはとことん弱いらしいです。つまるところ、味というのは一種の刺激なんです。だから、味の濃いものほど刺激を受け、それがストレスとして体に蓄積されていっちゃうんです。世知辛い。自分の体の繊細さに気づくたびにそう思います。

 でも、やっぱり水ばかりだと、飽きてしまうときもあります。たまには甘いジュースも飲みたいのです。ついでに、体にいいものだともっといいよねってことで、今リンゴ酢をお試し中です。

 もともとは100円から200円くらいで売っている小さなジュースをその都度、買って飲んでいました。しかし最近、お買い物をしているときに、リンゴ酢の瓶を見つけてしまったのです。あ、コレでジュース作って飲んだら体にいいかもしれない、と思いついたんです。満足できるなら続ける予定です。その時々でいろんな味が欲しいと思ったりしたら、やめるかもしれません。お金との相談にはなりますが、満足できるほうを選びます。

食べる生き様

 私は食べられない苦痛を知っています。でも、食べられる有り難みを思い知れとは主張しません。そんな苦痛、知らなくて済むならそれが一番良いと思うのです。粗食がいいよ、とすすめるつもりもありません。美味しいものを毎日楽しめるならそれに越したことはないのです。

 私が食事と向き合ってきて気づいたのは、生き様に通じるんだなってことです。美味しいものだけを食べて楽しそうな人ってすごく羨ましいです。でも、私はそれじゃダメなんですよね。

 美味しいものだけを食べるとだんだん美味しくなくなっちゃうし、ストレスもたまって苦しくなります。私の体は強くないので、アレもコレも全部切り捨てなければいけません。捨てられる限り切り捨てて、最低限だけを食べて満たされる。他所から見ると、それってつまらなくない? って感じなんですが、体を最大限に労った結果です。自分を甘やかすことが必ずしも優しさになるとは限らないんですよね。我ながら仙人みたいだな、と笑っちゃいます。でも、今の食事が一番満たされるのです。


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