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本能で食らえよ。
今年の夏は暑かった。
過去形にしてしまうには、まだ早いのかな。
一時のピークは越えたような気がするけれど、それでも十分に不快な蒸し暑さが残った9月の始まりだ。
歳をとるごとに、一年は短く感じるのに、夏だけが長くなっているから不思議。
うだるような熱気で、近所のコンビニに行くだけでも、帰ってくるとシャワーに駆け込みたいほど、毎日大粒の汗が全身から噴き出す。
とはいえ、室内はガンガンにエアコンが効いているのが東京の定めなので、週末ずっと家にいると、体中が冷えて何となく寒さが抜けない。
今日もそんな1日で、夜ごはんは無性に辛くて熱いものが食べたくなった。
私にとって、「辛くて熱い」で一番最初に想起するのは、辛ラーメンだ。
今や日本でもだいぶ知名度がある食べ物だと思うけれど、韓国の国民食とも言われる、辛くて辛いインスタントラーメン。
「夜ごはん、何食べたいですか」とシェフに聞かれ、「うーーん」と悩んでいたら、「辛ラーメンでしょ」と当てられた。
そんなに辛ラーメン食べたいオーラ出てたかな。
まあそんな感じで今夜のメニューは辛ラーメン。
辛ラーメンは大好きだけれど、そのままでは辛すぎて食べ切れるか不安になるので、いつも溶き卵を入れて食べる。
でも今日は、シェフがとっておきのアレンジを教えてくれた。
その名も「トマトコーンバター乗せ辛ラーメン」である。
まずはミニトマト、ほうれん草かチンゲンサイ、コーンを美味しいバターで炒める。
油が回ってきたところで、隣のコンロでパッケージに書かれた通り、麺を茹でていく。
何度も失敗したことがあるので、4分半の茹で時間を正確に測ることの重要性は身をもって学んだ。
インスタントラーメンにおいて、時間を測らない人の方が少ないと思うけれど、もし同士がいたら、絶対に測ることをおすすめする。
そんな感じでフライパンとお鍋を同時並行で進めながら、フライパンの方はトマトの形が少し崩れるくらいが美味しいので、炒めている途中で、ラーメンを茹でているお湯を少し拝借してフライパンに入れ(パスタに茹で汁を入れる的な)、クタッとさせて待機。
タイマーが鳴ったら、丼に麺とスープを入れて、炒めた具材をトッピングすればOK。
シェフ曰く、麺が茹で上がる30秒前に、溶き卵を入れるのもいいらしい。
ラーメンは伸びる前に食べなければいけない。
熱々を食卓に持っていって、さっさっさと一口目を食べる。
うまい。辛い。うまい。
口に入れた瞬間はうまみが強いけれど、ごくんとスープを飲んだ瞬間、強烈な辛味が喉を心地よくえぐる。
ここまでなら普通の辛ラーメン。
でも今回は、この後に余韻がやってくる。
まろやかなバターと弾けるようなコーンの甘み、トマトの爽やかさが、痛んだ喉にじわーっとマスクをしてくれる。
せっかく即席で作れるのが売りの商品なのに、お鍋の他にフライパンまで持ち出して、かなり手間をかけてはいるけれど、その対価は存分にある。
韓国人からしたら邪道というか、「辛ラーメンはそのままでマシッソ(美味しい)だし、そんな辛くないからケンチャナヨ(大丈夫だよ)」みたいな感じかもしれないけれど、私は全然ケンチャナじゃないので、この食べ方のほうが相当美味しい。
辛さに強くない人は、ぜひ試してみてほしい。
トッピングのおかげで、だいぶ辛さを和らげてはいるけれど、辛いことに変わりはないので、半分くらい食べきったところで、止めどない汗が吹き出してくる。
辛ラーメンの辛さに、体が正直に反応しているのがわかる。
コーヒーで眠気が覚めるとか、アルコールで楽しくなるとか、そういう作用を瞬時に感じることが少ないので、辛ラーメン摂取中の汗の勢いは、何だかすごく、自分の体の「本能」を感じる。
「ああ、今美味しいものが入ってきてますね〜〜、染み渡ってますね〜〜」と体が反応している感じ。
思えば最近は、ただただ「美味しい」という本能だけで、食事をする機会がうんと少なくなったように思う。
何を食べるにもカロリーはどうとか、栄養素はどうとか、塩分高すぎだからやめとくか……とか。
最近は、「食事中に水を飲むと消化に悪い」というのも見た。
水を飲むタイミングにまで、良い悪いがあるらしく、もうどこまで気を使えばいいのか散々なほど、健康なのか不健康なのかわからなくなる。
「カロリーを気にするほど人生は長くない」的な言葉は本当にその通りだと思うけれど、そうは言っても無数の情報が私の判断を迷わせてくる現代において、そこまで割り切るのはなかなか簡単ではない。
なんだかんだ、美味しさだけではない他の要素を考慮してしまったり、美味しいと思って食べたのに、罪悪感に苛まれたり。
そんなことばっかりである。
食べるということが、単に養分を得て生きるための行為ではなく、幸せや楽しさを見出すものだとするなら、やはり「美味しい」と感じるその本能で食べたい。
辛ラーメンを食べながら、流れ出た汗みたいに、美味しいならそれでいいじゃないか。
食べたいものを食べて、それが美味しくて、私の活力になるのなら、それでいいじゃないか。
なんてことを言いながら、明日もいつも通り、コンビニでサンドイッチの裏を見てしまうかもしれない。
雪崩こむ「健康そうな」情報に負けないよう、自分に言い聞かせよう。
本能で食らえよ。