見出し画像

天職

「君は将来すごい人になる。」
小学校の卒業式で、教頭先生からそう言われた。

担任でもなく、それほど多く会話したことはない先生だったので、私のどの辺に「すごい人になりそう感」を読み取ってくれたのかはわからない。
そして、あれから15年ほどが経ったが、残念ながら今のところ、すごい人になる実感を覚えたことはない。
それでも、「言霊」というくらいだし、あの時の言葉を生意気にも信じながら、いつか期待に応えられたらと思っている。

少し前に転職をした。
前いた会社と比べると、とても大きな企業だ。
そこで経営企画の仕事をしている。
今までの自分には全く想像のつかなかった世界を見て、知らなかったことを沢山学んで、とてもやりがいはあるけれど、ふと「この仕事は自分に合っているんだろうか」と感じる時がある。

私にとって初めての職場はパン屋だった。
そこでの仕事が、死ぬほど楽しくて大好きで、自分の原点を聞かれたら間違いなくあの時だと思えるくらい、本当に大切な時間だった。
期間にしたら1年くらいの、とても短い職場だったけれど、密度が濃すぎて今でもありありと思い出せる。
だからあれが自分の「天職」だったのかなあと思う時もあるけれど、あのお店で働くから「天職」だったわけで、他のパン屋で働いても、たぶん何か、ちょっと違うんだと思う。

とはいえ、自分の作ったパンをお客さんに手に取ってもらえることが、一番の幸せだった人間が、大企業の経営企画に携わるとなると、だいぶ遠い世界に来てしまった感じがする。
ダイナミックでやりがいはあるけれど、パン屋の時に生きがいにしていた、手にとるような温かさは、そう簡単には見当たらない。

上司はよく、我々の仕事は「星をつないで星座を描く仕事だ」と言う。
無数の点からどれかを選んで、また違う点とつなぐ。そうやって、星座として完成させる。
何を選び、どうつなぐか。
散らばった材料を結びつけて、輪郭をつけてあげる仕事ということ。

形のないものに形を与えることは、正解がない難しさがある。
「できた!」と思っても、次の瞬間崩れてしまうかもしれないし、本当にこれが正解だったのか、誰も教えてくれないから。
要は、手応えが得難いということ。

考えて考えて考え続けて、「きっとこれだ」と出した答えで挑んでも、そのうち世の中が変化すれば、今まで正解だと思っていたその答えが正解ではなくなるから、また考える。
とにかくずーっと考えてる。
だから頭は筋肉痛、慢性疲労だ。
そう聞くと辛そうな仕事だけど、考えることが好きな自分にとっては、考える力で勝負できるから、楽しいは楽しい。
ただ単純に、実感のなさや、途方のなさからくる心細さと、常に戦わなければならないだけ。

もう一つ難しいのは、自分だけではだめということ。
会社の経営企画は、もちろん自ら事業をやる場合もあるけれど、基本的には全社の進む方向性を決めて、社員を巻き込み、その方向にちゃんと進むように指揮を取る役割だ。
だから、いくら自分たちが「これで行ける!」と信じられても、他の人たちが信じてくれなければ、何の意味もない。
自分の意思だけでは一歩も前に進めず、周りの人が「確かにこっちで良さそうだ」と思ってくれるまで、納得されるものにしなければならない。
独りよがりの考えごとは楽だけど、自分以外の人をイメージしながら、皆にとって理解できる物語に仕上げるのは、結構な難易度である。

そもそもの自分の原点を思い出すと、ずいぶん遠く、複雑な場所に来てしまったなあと思う。
楽しいけれど、いつもどこか不安だ。

でも、もしかするとこの過程も、私を形作る星座を、見つけようとしている途中なのかもしれない、と考えてみる。
一見関係なさそうな2つでも、結べばちゃんと線になる。
直線ではなく、不恰好かもしれないけれど、つながれば線は線だ。
そんな風にあらゆる経験も、星として結んでいけば、どんな形になるかはわからないけれど、いつかは星座になり、それが自分の輪郭になる。

「天職」は天から授けられた職のことを指すけれど、それを授けるのは、神様じゃなく、自分なんじゃないかと思う(そんなこと言ったらキリスト教に怒られるかしら)。
結局は、自分の意思で星をつないで、いつの日か天を見上げた時に、それが星座になってたら、ちゃんと「天職」なんじゃないか。

なんてことを考えながら、私の星座ができた時に、何かしら「すごい人」になれていたら、それこそ天晴れだなと思って、いい気分で眠れそう。

今日もよく働いた。

いいなと思ったら応援しよう!