欠落した人
一致を求めていると言いつつ、その実、行いが示唆する目的は不和である人を知っている。
彼らは協調性や繋がりを大切にしたいと言いながら、笑顔でコミュニケーションを取るが、それは結局のところ、同調の主従の強要だ。対等な関係ではなく明確な序列を作りたいだけだ。
異端を許容するふりは出来るが、決して認めるような評価をせず、その組織に気に入られる精神を持つように人を誘導する。
そうやって自分のための、本当は嫌いな人を嫌いと言わせない組織を作る。本当の感情を粗末に扱わせる癖をつけて、自分の良いと思う感情を良いと思わせるように洗脳する。
彼らが良い先生だと呼ばれるのに騙されてはならない。信じたいものを見たいと願うとき、人は容易にあるがままから目を反らす。自分に備わった想像の力を悪用して、事実を新たに作り出す。
世の中は不確定なことばかりだ。己の存在さえも。自己存在が希薄なことにつけこんで、その人の感覚さえも奪う人がいる。善悪の判断さえ、その人から引き剥がしてしまう。それのどこが善行なのだろう。
自分の声を無視しなくてよい。感覚が否というなら、不快な体感が湧くなら、あなたの答えはNOなのだ。全てのことは不確定である。だから、確定させる力は自分にある。
人は違う価値観を持っていても、一緒に生きられる。距離を保つという知恵が可能にさせる。
価値観の癒着でしか、他人との共存を知らない人に気をつけよ。それで傷つく気持ちになるのは、相手が殴ってくるからだ。距離をとれ。反撃せよ。逃げよ。無抵抗を貫くなかれ。
善いと思える感覚を自分の中に残すために。自己実現に励む。