八堅あける

そのうちになくなるだろう瞬間の出来事。

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マガジン

  • 自己確立闘争記

    日記のまとめのようなもの

最近の記事

あのときのこと

今日は、なにかと命の尊さが目につく日だった。 どうも、それで追い込まれていたらしい。 あの頃、私は、本当に生きているかどうかよく分からなくて、そこからしばらくは世の中からいなくなってしまうことを切望してた。 あの頃のことを肯定も否定もしたくない。 しようと思って引っ張り出すと、今の自分が簡単に潰れてしまうから。 多分、子供の頃、何も考えず、這っていた蟻を潰していたように、私が蟻になってプチっと潰れてしまうだろう。 だから、そっと自分を大切にする。 辛かったこと、

    • 嫌なものが視界に入った話。

      要領よく生きようとしてる人達が好きじゃない。 努力して要領を掴んだ人、その最中にある人は尊敬できる。 じゃなくて、周りから色んなものを掠めとることが好きで、楽に美味しい思いをすることを考えている人達。 彼らの努力は、苦労しないことに注がれているんだろうけど、 失敗して学ぶことを放棄してるから、出てくるものが薄っぺらい。 チョコレートが箱に入ってるとして、 私は、見た目の派手さより、中身のチョコレートが美味しい方が好きだ。 中身の素晴らしさが外装に現れることはあるだろうが、

      • 10月17日

        消費されたくない。 悪夢らしい悪夢ではなかったけど、起きて反芻して辛い気持ちになる夢をみた。 昔の友人と遭遇してまたねと言う夢だ。その人たちの平穏を願うけど、今は会いたいと思ってない。あの頃の自分の中に根付いていた価値観と仲良く出来ないから。 色々な生き方があると認識してるはずなのに、自分があの頃当たり前と思っていた価値観を強要されそうになると、途端に攻撃的な気持ちになる。きっと、それもありだろうけど今の私は選択しないと言えば良いだけだ。 何が良いか悪いかを誰かの基準

        • 晩節を汚すことな

          仕事をしていると、色々な人を見かける。 自分軸を破壊することで生き延びてきたような、私みたいな人間がなんとか晩年を平穏に過ごすためには、地位や名誉でなく、精神的な安定度合いで人を計るべしとの助言に従って、無駄におもねらないように、彼らを観察している。 先ほど文句ばかりのご老人がいた。付き添いの親族(きっとご老人はそれを従者と思ってるだろう)もその言動を野放しだ。 自分がすごいことを認めてと親や周囲にねだる子供と何ら変わらない。おそらく脳の収縮に由来する我慢の困難があり、

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        • 自己確立闘争記
          9本

        記事

          欠落した人

          一致を求めていると言いつつ、その実、行いが示唆する目的は不和である人を知っている。 彼らは協調性や繋がりを大切にしたいと言いながら、笑顔でコミュニケーションを取るが、それは結局のところ、同調の主従の強要だ。対等な関係ではなく明確な序列を作りたいだけだ。 異端を許容するふりは出来るが、決して認めるような評価をせず、その組織に気に入られる精神を持つように人を誘導する。 そうやって自分のための、本当は嫌いな人を嫌いと言わせない組織を作る。本当の感情を粗末に扱わせる癖をつけて、

          欠落した人

          ダメージを受けた話

          簡素にいうと、セクハラについて。 髪型を変えたら、とても気持ちの悪い思いをした。 万が一、相手を喜ばせたいという善意の発言であろうと、それは相手が不快感を覚えないかどうかという点に鈍感になっていい理由にならない。 その人が他の性別であったら意味が変わってしまう言葉は使うべきでない。 同性だろうが異性だろうが、ソーシャルスペースな間柄の人が髪を切った時に、なんと言えば適切かも分からない人が、その発言で喜ばせたいのは、結局のところ、その人自身だ。相手は自分を否定しない記号

          ダメージを受けた話

          星は届かぬが闇夜の目印

          諸般の事由により、全くもって生きづらさを抱えながら進んでいる。 それは、骨の髄まで染み付いたような反射的思考であって、オートマチックな体のこわばりと、知覚と知識の誤配列だ。 今日は本を読んで一つ学んだ。コミュニケーションとは、一方がもう片方を支配する、己の望む方向に持っていくために行われる行為ではないということだ。 本には、親子逆転現象が起きていた家庭で成長した子は、コミュニケーション能力が破壊されていると繰り返し書いてあった。 理解したつもりだったが、コミュニケーシ

          星は届かぬが闇夜の目印

          7月20日真夏日

          今まで、自分は正しいって思ってる人達、またはそれを疑ったことのない人達に、攻撃され続けてきた。 身近な大人達の行動規範や学校が同じだった同世代の正義。それらを具体的な人達がこん棒のようにして私の感覚を叩く道具にした。幼い頃にいたのは、そうじゃないという人が現れるにはあまりにも狭い世界だった。 だから、自分は正しくないという感覚、つまり自己存在への疑いを持っている。生きるために、安全のために、そう学習して染み付いた。 それは哲学や霊的なものへの解釈に役立って知的好奇心を満

          7月20日真夏日

          身勝手なシンパシー

          その線を越えるかどうかは、意外と些細なことだ。だが行動には勇敢さを必要とする。 私にとってのそれの解釈は、全方位からの無理解と瞬間的なエネルギーとが合わさった結果だ。 周囲は観察への怠惰を許してしまえば、容易にことの中心を事象へと移し、その解釈論に終始するだろう。そこでまた、無理解によって当事者を置き去りにする。 そうやって周囲や自分にすら置き去りにされた人の最期の自己保存の選択を、無理解でなぎ倒す人でありたくないと思う。それすら彼の人をホログラムにしているだけだとして

          身勝手なシンパシー

          親子逆転現象

          今読んでいる本、子供にしがみつく心理(2017,加藤)にて言われていることは、私の親との関係にかっちりとはまる。 また、そうして出来上がった人格の解説については私をつまびらかにされているようで辛くなる。 端的にいうと、親のお守(精神的安定のための世話)をしながら育った子供は本当の自分を見失ってしまい、互いを嫌いながら依存する人間関係を構築する癖を習得するらしい。 この本の軸はそういう関係の解説であり、脱却方法について書こうとしたものではないように思う。そのため抽象的には

          親子逆転現象

          7月初旬

          久しぶりの投稿だが、「ひ」と「し」の識別が曖昧な文化圏で成長したものだから、出端から文字を消すはめになる。 一足先に経済が回復の兆しを見せるので、世話しなく働く。考えなくていい時間は頭も心も使わずに生きられる。 本を読む。「子供にしがみつく心理」加藤2017年 消化器官によく分からない冷たい金属を流し込まれたような気持ちになりながら読む。耐えきれず、最終章を読んで暖をとることを繰り返す。 うっすらと気づいていることを突きつけられる苦しさは、いつになっても慣れない。宿題

          6月下旬へ。

          忘れていたらいいものを。暇なので、脳みそがいらない記憶を引っ張り出す。 あの日の不満顔したお客さんの顔。昨日の親切を押し売るご婦人の声。 期待を越えなかった時に人は怒り、成功体験に固執しては狭い視野で見たいものだけを見る。不安とか不満とかが、それらの起爆センサーを高感度にするのだろう。 ともかく、あれは、彼らの内的な問題を外的な存在の私に押し付けられる不快感。持ってるごみを他人に押し付ける幼さよ。 周りから嫌われるのは、ゴミを自分で処理せず投棄を繰り返す、そのインモラ

          6月中旬になる

          コルチゾールという単語が頭を巡る。 人との繋がりが健全と推奨されることに不安になるので、意味がありそうな無さそうな言葉を呟く。 コルチゾール、コルチゾール、コルチゾール。さて、落ち着いてきた。 そうして恐怖を薄めたら、再びSNSを見る。嫌いなのに見る。ストレスのかかったときに軽微な毒を摂取するのに近い行動。 ちょうどいいほの暗さの中にいて、明るくならねば普通でないという思い込みに、内側を焼かれる。 生きやすい場所があれば、それは正しいも誤りも遠く、実はない交ぜにした

          6月中旬になる

          クジャクヤママユ

          あれが懺悔の象徴であるなら、私も倣おう。 人を助けたと思った。私の苦しみが1つ昇華された瞬間だった。ずっと悩み考え続けて取り扱うのだけは上手くなった、その苦労は、こういう人のために使うことの出来る力になったんだと。そのための時間だったのだと救われた。 でも、私は知っている。過去に傷つけた人はそれで癒されないことを。自分が新しく出会った人を代替にして、苛ましい過去へ影響できた満足感であることを。 傷つけることがいけないことだと身骨染みているのは、されて嫌だったからではない

          クジャクヤママユ

          夜行路

          遠くで母が麹をかき回す音がする。目を閉じれば、液晶の光に筋肉が震える。 今日と昨日の境で、目覚に聞いたのは、父が水を飲みむせる音。 言葉は文字で完結し、虫も鳴かない夜。電気と哺乳類の音は賑やか。

          6月6日

          薄ら暗い寝覚め。 水分を補給して横になれば、唐突に、連絡をとる友人が遂にいないことに気づく。 見捨てられたというより、自ら進んで切り離した。 そうやって、社会から孤立するくせに、群れに馴染めない点において被害者面をすることにあまりにも慣れすぎている。 気にかける言葉に善意で居続けることが辛くて。元気かと聞かれれば、全く平気でないことを打ち明けられる仕組みを、結局、自分の中に作れなかった。 つまり、彼らにとって自分はいつでも楽しい存在でいたかったので、暖かい関心は救い