6月6日
薄ら暗い寝覚め。
水分を補給して横になれば、唐突に、連絡をとる友人が遂にいないことに気づく。
見捨てられたというより、自ら進んで切り離した。
そうやって、社会から孤立するくせに、群れに馴染めない点において被害者面をすることにあまりにも慣れすぎている。
気にかける言葉に善意で居続けることが辛くて。元気かと聞かれれば、全く平気でないことを打ち明けられる仕組みを、結局、自分の中に作れなかった。
つまり、彼らにとって自分はいつでも楽しい存在でいたかったので、暖かい関心は救いというよりこちらの気遣いを試されるテストだった。必要のない布団をかけられて、だんだんと上がる体感温度と湿度に思わず布団から出てしまうような、友人からの心配は6月の羽毛布団だった。
それに耐えきれず離反したのに、ぼんやりとそれをしてくれる人の喪失を思う。案じてくれる人たちより、暴力的な関係だった人たちのことを思い返す時間が多かったことに気づく。
敵意と暴力を行使するやつらの方がおかしい精神状態だった、というのは私がずっと言われたかった言葉。ずっと、あの時の自分がおかしかったから起こったことでないことを認めてほしかった。そこにさえ理解が及ぶなら、理不尽からの回復は慣れている。
お前が悪いからそんなことをされるんだって言葉に、はっきりと否を突きつけよう。スケープゴートになったのは、自分が悪かったからではない。相手が弱く、ストレスをやり過ごす方法を間違えていたからだ。
あの事象の原因は、己の内因性の問題ではなく、彼らがそれをしないと精神のバランスがとれないほど追い込まれた状態にあったことにある。治療を受けるべきは、彼らの方だった。
そいつらの暴力に私ほど真摯に向き合う誠実さをもたなかった周囲。おそらく自己防衛の選択だったのだろうが、その無関心の薄情さでもって事象を美化する怠惰、同調を求める傲慢さに耳を貸す必要はない。今なお、都合よく切り取っただけの動画をいい作品だと満足するような思い出話をするならば、彼らは依然として誠実さを発揮することはないのだろう。
追い詰められた精神疾患者に不誠実な周囲。それらに湧く気持ちに、己の感性が正常であり死んでいないことを喜びつつ、それ以上の時間の浪費をする努力はいらない。
そして、きっと友人には相変わらず弱音をはけなくとも、不格好に本音を伝えることに挑戦することになろうとも、よい。
今は薄らいだ繋がりが手繰り寄せられた時のための備忘録。