見出し画像

【映画本レビュー】『ミニシアター再訪〈リヴィジテッド〉: 都市と映画の物語 1980-2023』大森さわこ・著・・・独自色を求められない世の中でミニシアターが進むべき未来とは

1980年代初頭から現在に至るまでの、東京都内のミニシアターの変遷を追い、その時々の関係者にインタビューした記録本。まず東京のみという狭い地域の話であり、大局的な歴史の流れを追う以上は取り上げられているミニシアターの数も限られ、その点での物足りなさはある。しかし特にミニシアター勃興期における、上映作品の選定など各館の「いかに独自性を出すか」を追究する話は単純に興味深い。かつては『ニュー・シネマ・パラダイス』といえばシネスイッチ銀座、『トレインスポッティング』といえばシネマライズなどのように、ミニシアター初の大ヒット作品は、その封切館とセットで記憶されたものである。

ミニシアターの隆盛を通して浮かび上がる銀座や渋谷などの都市論としても読める80〜90年代の話も面白いが、やはり最も気になるのは、ミニシアターの現状そして未来であろう。直接的にはコロナ禍による緊急事態宣言が発令された2020年に最大のピンチを迎えているわけだが、それ以前からミニシアターのコンセプトが成立しなくなってきていた。

まず興行側としては、たとえ単館系と銘打たれた作品でも「映画館1館のみで公開」となることは少なくなり、東京都内でも複数のミニシアターで同時に公開されるようになった。また、たとえ当初は1館ないし少数館の上映でも、話題となればすぐに拡大上映される。シネコンを含む映画館のフットワークの軽さは、多くの観客に作品を届けられるがゆえありがたいことではある。ただ、映画館固有の作品を持ちづらい現状では、ミニシアターの独自性を示すのは難しい。『侍タイムスリッパー』を最初に公開した映画館の名前を即座に言える人は、けして多くないだろう。そんな中でも上映作品による独自色のこだわりを貫いていた岩波ホールが2022年に閉館したのは象徴的である。

さらには、観客の側の変化もある。本書に収録されているインタビューで、最近の観客の映画選びについて語られている部分を抜粋してみる。シネマライズの頼光宏裕代表(当時)は「みんな失敗したくないから、まずは話題のものをチェックするんだと思う」と述べ、その過激な発言がたびたび話題になるユーロスペースの北条誠人支配人は「以前よりも社会が保守的になり、みんなが同じような方向を見るようになりました。真ん中からはずれたものは受け入れられなくなりましたね」と語っている。ミニシアターの独自色は、もはや観客には求められなくなったのではと、当事者たちは肌で感じている。

それらの発言を受けた著者は「ネット出現後のグローバル化とは、実は同じ方向を向くことを意味していたのだろうか?」と疑問を呈しているが、個人的な感覚では、みんなが同じような方向を向くようになったのは別に最近になってからではないと思う。『おしん』の時間になると銭湯が空になるなどのようなエピソードは昔からある。変わったのは、その「真ん中」に相当するエンタメ作品の物量ではないか。

現在、映画に限らずあらゆるジャンルのエンタメ作品は、爆発的なヒット作と、それ以外の有象無象に二極化しているのが実情だ。しかもヒット作の旬は豪速球で過ぎていく(1週間も経たずに古い話題になったりする)ので、次から次へと流れてくる"話題作"を摂取するだけでいっぱいいっぱいの毎日になってしまうわけである。漫画『邦キチ!映子さん』の名台詞「コンテンツに追われてるんだよ 若者は!!」が、その全てを言い表している。

そのような状況下では、誰も知らない傑作かもしれないと、当たり外れも予測不能ななんだか難しそうな映画を観にわざわざミニシアターに来るような人は激減するのも当然であろう。話題作に追われるばかりで、それ以外に気にかける余裕など無いのだから。この非効率な状況は、単純にエンタメ作品の供給過多が原因で間違いない。映像にせよ音楽にせよ文章にせよ、ただの素人が簡単に参入できるほどに、制作の道具も発表の場も今は安価で手に入る。作り手が増えるのは喜ばしいとしても、こうも粗製乱造されてしまうと、受け手からすれば大変だ。

洪水のような玉石混合のエンタメ作品の中から一粒の傑作を見つけるには、よほどの選球眼があるか、よほどの暇人でなければ不可能だ。さらには、かすかに含まれる傑作も、誰かしらによってすぐに発見され、インターネットによって瞬時に広まり、あっという間に誰もが知るヒット作へと成り変わる。こうした中で自らミニシアターに足を伸ばして傑作を探すのは効率が悪い。そこでかかっている作品が傑作ならば、どうせ誰かしらが「傑作ですよ」と言い出すに決まっているのだし。

ユーロスペースの北条支配人は、先述の発言に続けて「かつて”変人”というのは、一種の褒め言葉でもあったのですが、今はそのあたりの感覚も変わってきました」と述べている。だが、”変人”になりたい欲は、時代に関わらず一定の人たちには宿っているのだと、個人的には信じている。ただ、”変人”になるための道がほとんど無くなってしまっているだけで。エンタメ供給過多時代においても“変人”になりたい欲を満たすための新しい方法を模索することが、ミニシアターの未来を決定づけるのかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!