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現代の不死鳥、とし子(77投稿記念)

私の祖母の、末の妹にあたる、「おば とし子」。
当年とって、77歳。
正確には叔母ではないのだが、誰もがおばさんと呼んでしまうような底抜けの明るさと、人の好さ、そして何より年齢からは想像できない豪快さを兼ね備えている。

ここ数年、コロナで訪ねることも控えていたが、「梅干しづくりを手伝え」という厳命を受け、少し前に泊りがけで会いに行ってきた。

「不死鳥」と呼ばれる所以は、今までの病歴と関係がある。
まず、10年ほど前に、脳梗塞。

「なんだがフラフラすっと思ったっけ、そのまんまバッタリ倒れでしまったんだぁ。んだげどここでくたばってらんねぇど思っで、電話で119番したどごまでは覚えでる。あどは目ぇ覚めだら病院さ、だれ。」

当時のことをこう語り、ガハハと豪快に笑う。
幸いに症状が軽く、しばらく手足にしびれもあったようだが、今では何の後遺症も残っていない。

次は心筋梗塞。
脳梗塞から2年、冬の朝の出来事だった。

「胸がキューと鳴って、吸っても吸ってもさっぱり空気吸えねんだ!あー、今度ごそあっち(死後の世界)さいぐんだなー、ど思っだんだけど、孫の顔見ねぇうぢには行がんねぇ(娘さんが3人目の子供を妊娠中の出来事)べした?  とにかく音たでっぺと思って、洗面器で風呂場叩いで智恵(娘)に来てもらったのがいがったんだなぁ」

と、この時のことは多少自慢げに語る。

そして、これはコロナ禍真っ最中の出来事。
甲状腺が腫れ上がってしまい、摘出手術を受けることに。

「いづでもカッカカッカしてさー、冬だっつぅのにシャツ(肌着)一枚だおん。そのうぢ首の下膨らんできて、医者に行ったらなんだが取んねげねぇってなったのよ」

「入院してからも、取ったら10キロぐらいは痩せでしまうがんねー、なんて言われったのに、終わってみだっけ逆に10キロ増えったんだどー、あんだ。んだがら先生さ言ったの、何が取ったんでねくて足したんでねぇのが、ってさー、せっがく痩せっがど思ったのに。」

とにかく、一事が万事こんな調子で、周囲を驚かせ、且つ笑わせる。
どんなピンチも、なんなく跳ね除けてくるのである。

世界を震撼させた、あの新型コロナウィルスでさえ、とし子には取り付くことができず、家族全員がダウンする中、一人で全員(夫、娘夫婦、孫3人)を看護して罹患しなかったツワモノでもある。

「オレは昔っがらインフルエンザにもかがったこどねんだがら。予防注射もしたごどねぇし。並大抵の病気にはなんねんだ。」
さすが、強者の言は一味違う。

私が訪問した時も、自ら孫二人を引き連れて、家の裏にある沢で沢蟹と鮎を獲ってきてくれていた。
私の好物だということを覚えていてくれたらしい。

「鮎はもっと獲ったんだげんど、バケツで泳いでるの見でるうちに美味そうだなーと思っで、何匹か焼いで食ってしまったんだ、ごめんなぁー」

と言いつつも、食卓にはちょっとした毛ガニくらいの大きさの沢蟹が20匹くらいと、焼いた鮎が2匹。その他、定番の田舎料理に〆はとし子自慢のそば切りでもてなされ、私は上機嫌である。

とし子のそば切りは、ぱっと見はお饅頭で、それを箸でちぎりながら辛目のタレに付けていただくのだが、これが抜群に美味い。

ほとんど寝てばかりいる10歳上の夫と、これまた物静かな娘夫婦、元気いっぱいの孫3人に囲まれた食卓は、何とも言えないほんわかした空気が充満していて、私をもてなそう、としてくれている気持ちがありありと見える。

梅干しづくりだって、もはや手伝うようなことはほとんどなく、それを理由にして会う機会を作ってくれたのかも知れなかった。

おそらく、早くに母を亡くした私をいたわり、気遣ってくれているのだと思う。
だから、私もとし子おばさんには遠戚ながらも甘えてしまうのだ。

食後の食卓でパソコンを開き、NOTEの記事を書いていると、手土産のお菓子をほおばりながら近付いてきて、

「なんだ、まだいろんな話書いでんのが? たまに私も出してけろよ?」
とのリクエストがあり、今日の記事となりました。

とにかく、いつまでも元気でいて欲しい、大切なおばである。


今日はtyawonigosuさんのイラストを使わせていただきました。
ありがとうございます。
なにせ、若い頃のとし子そっくりで、ちょっと驚いてます!

ブルゾンちえみちゃんを50歳老けさせて、体重を20キロくらい増やしたらとし子になると思ってもらって、ほぼ間違いないです。

#おば
#そば切り
#鮎



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