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小説「冬の桜」 ④

今朝は、目覚めた時から何かがおかしかった。
暗いうちから、驚くほど鮮明に目が覚めた。
今すぐにでも仕事が始められそうなくらい、思考がはっきりとしている。

今にして思えば、「虫の知らせ」とでも言うような感覚だったのだと思う。

朝食を終えてすぐに診察に呼ばれたあたりで、昨日の検査結果が思わしくないのだろう、と察しが着いた。

診察室には、医師が三人とベテランの看護師が一人。
恭しいほどに迎え入れられ、席に着くと山崎医師が口火を切った。

「・・・永山さん。実は・・・昨日のPET-CT検査なのですが、異常が見つかりました・・・。」

そう言って、山崎医師はパソコンのモニターをこちらに向けた。
人の上半身が、2体横に並んでいる。向きからして、上からと下から画像、ということなのだろう。

私に見せているのだから、これが私の身体と言うことだ。
レントゲンの白黒写真のようにも見えるが、身体のあちこちに黒くて濃い部分があった。

「・・・この、黒く見える部分が『FDG』と呼ばれる検査薬が集積しているところです。つまり、そこに炎症や腫瘍がある可能性が、非常に高い、ということです。」

「・・・はい。」

「この画像を見ていただくと、身体のあちこちに黒い部分がありますよね?私が特に懸念したのは、この頭の部分なんです。それで、念のために脳神経科の畑中先生、消化器科の藤原先生にも画像を見ていただいて、判断を仰ぎました。」

名前を呼ばれた医師たちが、それぞれに軽く会釈をしてきた。昨日のような精神状態ではなかったので、こちらも目を見てしっかりと会釈を返すことができた。

「・・・他にも、たくさんの黒い部分がありますよね? これらも全て、炎症か腫瘍、ということですか?」

「その可能性が、非常に高いと言わざるを得ません。この画像からだと、胆嚢、肝臓、右腎、それから、肺にもポツポツと、『何か』が見えます。」

「ガン、ということでしょうか?」

「それはまだ、わかりません。これから詳細な検査をしていかなければなりません。単なる炎症かも知れませんし、良性の腫瘍という・・・」

「先生、最悪の場合のことを仰ってください。私はあと、どれくらい生きられますか?」

私は滅多なことでは相手の話を遮らないのだが、今回は別だった。こうなった以上、最悪の場合を想定してこれからを生きていかねばならない。

人並みにしがらみもあるから、それらを清算するために、無駄な話を聞いている時間はないと言う思いが強かった。

山崎医師は私の目を真っ直ぐに見つめて、何かを見定めているようだった。
私は一層、目に力を籠めて、山崎医師を見つめ返した。

たっぷりとした時間ののち、山崎医師が口を開いた。
観念したかのように。

「・・・その他にも、膀胱や大腸の検査もしなければなりませんが、今、見えている全てがガンだとして、何も治療をしなければ1年、というところでしょうか。ただし、脳に見える影が腫瘍だとすれば、その期間はさらに短くなる可能性もあります。」

『1年以内』ということか。
その話を聞いた瞬間に、私の意思は決まった。

「・・・わかりました。それでは、心臓の手術の必要性は、もうありませんよね? すぐに、退院の手続きをお願いします。私は、これ以上の検査も治療も、望みません。」

「いや、永山さん! 落ち着いてください。今のは、『最悪の場合』の話です。まずはしっかりと検査をして、病患を特定しましょう。結論を出すのはそれからにしましょう。」

山崎医師は私が一時的な錯乱にでも陥ったと思ったのかも知れない。
たぶん、現実を突きつけられて私のように言い出す患者は今までにもいたのだろう。

だからこちらがどう出るか、時間を使って探っていたのだ。
私も他に家族がいるのなら、違う選択肢を選んだかも知れないが、私の家族は会社と社員だ。

普通の家族とは、ワケが違う。家族に対する責任の重さも、人数に比例して大きい。治療に時間を費やした挙句、正常な判断力を失って迷惑を掛ける訳にはいかない。

それはすなわち、『家族が生活に窮する』危険性を孕んでいる。

だからもし、治療を受けるとしてもその全てに目途が着いてからだ。
それなら、今の時点での検査結果など意味がない。

それに治療を受けたとして、あと何年生きられるのか。
5年? 10年?

他の人間はともかく、私は身体にメスを入れたり、抗がん剤を使用してまで寿命を延長したくはない。

そうした思いを、できるだけ冷静に山崎医師に伝えた。
自分が正常な判断力を有している、ということがきちんと伝わるように、丁寧に、ゆっくりと。

話終えた時、診察室はシーンと静まり返っていた。
『次に口を開いた人間が負ける』という雰囲気が漂った。

その場にいた5人の人間が、それぞれの思いを胸に秘めた時間が、刻々と経過していく。

「・・・わかりました。永山さんの意思を尊重しましょう。ですが、一度だけ私にもチャンスを下さい。どなたでもいい。永山さんが一番信頼している人と同席の上で、もう一度、話をさせて下さい。どうですか?」

最初に口を開いたのは、山崎医師だった。
私と同じように、ゆっくりと、慎重に言葉を選んで話しているのがよくわかった。

その一点だけを見ても、この医師は信頼できるとわかる。

「その上で、それでも永山さんの意思が変わらないのなら、私も覚悟を決めましょう。治療をやめる、というわけではありません。心臓のケアをしながら、できるだけ永山さんが早く治療に戻れるように、生活を見守っていきます。」

「わかりました・・・。先生、ありがとうございます。常に命と向き合って下さっている方に生意気なお話をしてしまって、ごめんなさい。先生の言いつけを守ります。」


診察室を後にして、私は困惑していた。
『一番信頼できる人』
って、誰だろう?

配偶者もいないし、子供もいない。
両親ももちろん既にいないし、兄弟姉妹もいない。

甥か姪?
ほとんど知らない人なのに、今更血の繋がりだけでお願いするわけにはいかない。

会社の人間?
業務上のことならともかく、個人的な、しかもこれ以上ないくらいにセンシティブな内容を、頼めるわけがない。

『こういうときに、困るのね』

ここに来て、「家族を作る」ことの意味を知ったような気がする。
元気なうちには、みんな絶対に気付かないだろうと思う。
私のように。

『どうせ死ぬときは一人なんだから』

なんて、わかったようなことを言ってきたけど、一人では死ぬのにも苦労することになるんだ。


病室からぼんやりと外を眺めながら、脳裏に浮かんでくるのは早田さんの顔だった。

自分でも、とんでもない発想だとは思う。
なんて厚かましいんだろう。
なんて不躾なんだろう。

でも、生まれて初めて、『死ぬ』という現実と真正面から向き合ってみて初めて、人に甘えてみたい、と切実に思った。

『断られて当然。でも、とにかく話してみよう』

辺りが夕闇に包まれた頃、私の心の葛藤に答えが出た。

『もし断られそうになったら、救った命の責任を取れ』

と言ってやろう。

おそらくそれで、私たちの関係も全て終わることになるだろうが、そもそも関係なんてないようなものだとも言えるし、命のやり取りをした間柄とも言える。

どちらにしても、最後に甘えてみて、自分の手で終止符を打つことになるわけだ。

私の話を聞いた時、早田さんがどんな顔をするのか想像したら、おかしくなってクスッと笑ってしまった。


一つだけ言えるのは、やっぱり私はトンデモナイ人間だ、ということだ。


「冬の桜」④
了。



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八神 夜宵 |小説家
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