油羽牟益郎の独り言 「あなたの承認欲求は、どの階層だろうか?」
やあ、皆さんこんにちは。
私は油羽牟益郎と言う者だ。
自らを「精神世界の探究者」と言っているが、その多くは聞くに堪えないたわごとの部類で、世間的には「変わり者」と映ることだろう。
皆さんとお会いするのは、これで二回目、と言うことになるかな?
まあ一度目は私が直接にお目にかかったわけではないから、ここは「はじめまして」と言うべきなのだろうね。
さて、今日は私の研究課題の中から、ちょっとした考察を披露しようと思ってみたわけだが、もちろん研究中であって、なんのエビデンスも得られていない、ということはあらかじめ明記しておく。
皆さんにも、そのつもりで聞いていただきたいのだ。
これはあくまで私の独り言。共感を得られればそれはそれでいいし、反感を買うなら、それはそれで仕方がない。
つまりは、そんな程度の内容だ、ということだ・・・。
それでは、始めるとしようか。
さて、皆さんは「マズローの欲求5段階説」という話をお耳にしたことはおありかな?
あれこれ話す前に、まずはこれを見ていただこう。
かいつまんで話すと、人間の欲求というものはピラミッドのように積み重なったものであり、その段階で満足を得れば、次の段階へと欲求が高まっていく、という説だ。
逆説的に捉えれば、例えば衣食住に不満がある状態では、危険を顧みずに行動を起こしてしまう可能性がある、という面もあるということだ。
犯罪動機のごく初歩段階の物は、これに当たるだろう。
ま、「遊ぶ金欲しさ」なんて言うのは論外だとしても、年金生活者が生活に困窮して万引きを働く、食い逃げをする、なんて言うのはいい例になるかも知れない。
最近では、頂点の「自己超越欲求」を6段階目と捉える説もある。私が若い頃にはそれこそ生きるのに精一杯でそこまで考える余裕はなかったが、これだけ生活が裕福になってくると、食うにも寝るにも困ることなどほとんどないから、そうした余裕を持つこともごく一般的になってきた、ということだろう。
生活に余裕があれば、第一階層の「生理的欲求」は満たされているということだから、当然、次の「欲求」が生まれてくるというわけだ。
もしかすると、50年後にはさらに上の欲求段階説が唱えられている可能性もある。
人間の欲望は決して尽きることがなく、常に高みを目指すように設計されているからだ。
だが、この「マズローの欲求五段階説」は心理学や精神医学の世界では賛否の巻き起こる説でもある。一見してみると「なるほど」と思う方も多いだろうが、実は学説には付き物の「実証」がほとんどされていないとして、否定的な見方をする学者も少なくない。
さて、これらを踏まえた上で、今日お話したいのは、
発信力の高まりによって、各段階の入れ替わりが起こっているのではないか?
と言う疑問だ。
図では「第四段階」に当たる「承認欲求」が「所属欲求」や「安全欲求」すら通り越して行動している場合が、散見される世の中になってきたのだ。
つまりは、
・ 特定の組織で名を上げたい(昇進や表彰など)
・ 安全安定の生活をしたい(定職に就く、目立つ行動をしない)
と言う欲求よりも、「目立ちたい」「自分を認めて欲しい」「他とは違うと言われたい」と言う欲求が勝っていると思われるような行動や言動が、SNSを中心にした「情報発信界隈」で賑わっている。
例を挙げてみよう。
例えば、今、あなたが利用しているこのサイト。
ブログと言うべきなのか、コミュニティサイトと言うべきなのかは分からないが、「始めた目的は?」と聞かれれば、多くの人が行き着くのは、この「承認欲求」の段階ではないだろうか?
「私の作品を読んで欲しい!」
「本を出したい!」
「何か生きた証を残したい!」
もちろんそこに、「所属欲求(フォロワー増やしたい)」や「生理的欲求(収益化したい)」が同時に存在している場合もあるだろうが、割合的に考えれば「承認欲求」もしくはさらに上の欲求段階にいる方がほとんどだろう。
もしかしたら、
「今日食べる米もないけど小説書いてる」
なんて言う、前時代のドラマのような方もいらっしゃるのかも知れないが、個人的にもしもそういう方がいたら、その時間と労力を収入を得るための経済活動にお使いになることを強くお勧めしたい。
話が少し逸れたが、このサイトの利用者は一説には18万人を超えている言う。その他にも、世界的なSNSを利用している方まで含めれば、地球上のかなりの数の人間が「情報発信者」となれるわけだ。
そして、その中で「有名になる」という事実は、「力を得る」ということとほぼ同義と言える世の中になってきている。
ごく最近の話で言えば、兵庫県の知事選挙などがその最たる例だろう。
あれだけ連日否定的に報道され、県議会の全会一致で不信任案を突き付けられ、失職に追い込まれた知事が再選を果たしたのは、この「発信力」によるところが大きいと分析されている。
その大きな役割を果たしたのが「某PR会社」だと言われているのだが、その会社の責任者が、仰天の行動をした。そういえば、その「某PR会社の女性社長」と言うのが記事を投稿したのは、このサイトだそうだ。
問題は、ここからだ。
報道されている事実が本当だとすれば、オールドメディア時代には「公然の秘密」となっていた「選挙応援」という限りなく濃いグレーゾーンの部分を、投稿記事によって「自ら暴露した」ということになる。
なぜ、そんなことをしたのだろう?
「公職選挙法」について、無知だったのだろうか?
それとも、あえて自らが応援し、再選した知事を窮地に追い込むべく、自白とも取られかねない記事を投稿したのだろうか?
実は、報道が全くのデタラメで、そこに違法性が全くない可能性もあるが、それにしてもなぜ、あそこまで事細かに詳細を明らかにしたのか。
私はこれこそが、
「承認欲求(第四階層)が下位欲求(より重大な欲求)を上回った」
からに他ならないからなのではないか、と思うのだ。
この記事の投稿によって、この会社社長は自らの立場をかなり危うくしている。クライアントとの秘密保持契約がどうなっていたかは不明だが、一般的に考えるだけでも、こうした内容の「詳細の投稿」がクライアントにとって、あまり望ましい物ではないと言うのは推し量れるだろう。
さらに、この投稿者が公職選挙法や収賄に関する法律を知っていたのだとすれば、安全欲求(第二階層)すら上回った可能性もある。
つまりは、社会的な地位よりも、逮捕されるかも知れないと言う恐怖よりも、
「私のPRによって圧倒的不利から逆転した」
という事実を、「どのようにしてそれを成し得たか」詳らかに語りたかったのではないだろうか。
自らの承認欲求を満たすために。
時事的な話題を例に挙げたが、他にも
・ 性的に無防備な状態を晒してPV数を稼ぐ
・ あえて反社会的な行動や言動をしてPV数を稼ぐ
・ 場所や個人が特定できるような情報を発信する
・ その他、いわゆる「匂わせ系」の投稿
専業的に投稿をしているかどうかで多少変わることはあると思うし、そこにある程度の「金銭的実益」が絡んでいることは事実だが、その行為によって得られる対価との釣り合いが、著しく不均衡な場合がほとんどだろう。
学生は退学に追い込まれ、社会人は社会から抹殺されかねないのに、なぜそうした投稿や行動が後を絶たないのか。
そうした瞬間、その人間の「承認欲求」は「第二階層」まで降りてきている、と考えてもおかしくはないのではないだろうか?
瞬間的に、人によっては継続的に「段階が入れ替わっている」とは、考えられないだろうか?
少なくても、上記のような発信をする人間は「どこかに所属したい」「目立つ行動を避け、安全に生きていきたい」とは真逆の行動の動機として、この「承認欲求」が頭を持ち上げる回数が増えてきている、ということだろう。
それが本人にとって良い事か悪い事かは別にしても、あまりに短絡的だし、思慮が浅いと思わざるを得ないのだが、そういった投稿が無くなる様子は一向に見られない。
皆さんは、どのように感じているだろう。
私と同じように、疑問に感じている方も少なくないと思うのだが・・・。
前述の通り、今までの話には何のエビデンスもない。
どこまでいっても、「推測」であり「憶測」であり、「空想」の域の話だ。
ただ、感覚的に私が「そうなのではないか?」と思った話をしただけのことだから、あまり真剣に捉えていただく必要はない。
答えは、いずれ出るだろう・・・。
さて、ここでタイトルに戻ろう。
ずばり、あなたの「承認欲求」は、図で言うところのどこに当てはまるだろうか?
もしも、「所属欲求」や「安全欲求」よりも下位にある、つまりはピラミッドの底辺に近いのならば、それは誰かに、もしくは自分に、何らかの不利益や迷惑を与えている可能性は否定できないと考えられる。
もちろん、「それはやめなさい」などと言うつもりもないし、その他のあなたの意思を縛るつもりもないが、敢えて言うならば、
「自由には代償が伴う」
ということだけは、覚えておいて損はないだろう。
世界的な情報発信社会へと急速に移り変わり、人間の精神性が追い付いていないのかも知れないと、私は考えている。
今の世界をマズローが見たら、どんな着想を得るのだろう。
どんな学説を唱えるだろう。
私の興味も、また尽きるところを知らない。
ここまで「たわごと」に付き合っていただいて、どうもありがとう。
皆さんがそれぞれに考える「自己実現」に向かって、それぞれのペースで着実に進まれることを祈りながら、今夜は失礼させていただくとしよう。
そうそう、最後にこのアカウントの持ち主である八神クンだが、極度の全身筋肉痛でベッドから起き上がることすら辛いらしい。
声もガラガラだから、私は何かの感染症を疑ったのだが、そうではないということだ。まあ、いずれにしろ大したことはないようだから、心配には及ばない。
そんなわけで、今日は私が語ったワケだが、私の承認欲求が既定の位置にあることを祈るばかりだよ。
誰にも迷惑を掛けていないと、嬉しいね。
それじゃ、また。