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就活で100社に落ちた私が未経験経理に転職できた話 その1
未経験で経理へ転職することをどう思うだろうか。
「なんだ、別に大したことないんだろ?普通だよ、普通。」
そのような感想を抱いたあなたは甘い。
実際に転職サイトを見てみればわかるが、経理へ転職するには「経理部で〇年働いた」経験が圧倒的に必要なのだ。
経理に転職してから分かったことだが、簿記の資格は実はそこまで重要じゃない。せいぜい3級あれば良い。というより1級を持っていても対処できないことが多いから、「経理の仕訳が分かりますよ」「勘定科目が分かりますよ」の証明として3級さえ持っていれば良い。実際、経理7年目の私も未だ簿記3級までしか持っていない。
簿記の資格よりも実務経験が転職でものを言う、それが経理への転職なのである。
逆に言えば、実務経験がないと経理への転職は募集自体が少ないし、その少ない窓口を争うことになる。未経験で経理へ転職することは、営業の転職とはわけが違うのである。
これは、経理未経験でしかもコミュ障ゆえに新卒就活時で100社以上にお祈りされた就活弱者の私が、未経験で経理部への転職を手にするまでの話である。
思えば新卒一年目から、この会社は合わなかったと感じていたのかもしれない。
私は新卒で東証一部上場の鉄鋼会社に就職した。配属は地方にある工場で生産管理の仕事をすることとなった。
早速4月から社員寮での生活が始まったのだが、工場にて現業で働く高卒社員も同じ寮に入っており、もちろん良い人もたくさんいたのだが、最初に見た人はまるでヤクザかヤンキーかといった風貌をしていて早くも東京に帰りたくなっていた。
早速そのころには同期の高卒社員に言われている。「かめはちさん、入る会社間違えたんじゃないですか?」
生産管理の仕事はそこそここなしていたつもりだったが、上司がとてつもなくおっかなかった。仕事はできる人だったがパワハラがひどく、「バカ」だなんだは当然のこと、鬼のような形相で「殴ってもいいか」と言われたこともある。まああちらにも言い分はあったのだろうが……。
そんなのが続いていたのでメンタルがしんどく、毎週の土日は東京の実家に帰り、また月曜には新幹線で工場まで戻るといった生活を続けていた。
しかし生産管理という仕事の都合上、土日にも工場が動いており、トラブルが起きると休日出勤(無給)もしなくてはいけなかった。そのうち土日に東京に帰ることも禁じられ、パワハラもあってメンタルがだいぶやられていた私は公務員試験の教材を買ってきて辞める気でいた。
しかし母からアドバイスを受け、怖い上司のさらに上にいる部長に相談した結果、東京の営業事務の部署に異動させてもらえることになった。
一件落着かと思いきや、ここも私にとって安寧の地とはならなかった。
仕事自体は不慣れながらも教わりながら、学びながら進めていって、社内外からも良い評判をいただける成果を上げることができた。
問題は社風で、飲み会や社内旅行は強制参加。飲み会での男同士のキスや裸踊り、バカ騒ぎは当たり前で、店の人に引かれることが自慢になるような状態だった。
パワハラも相変わらずで、別部署には何人か辞めさせた人間もいたし、私も上司から「うざい」だ何だと理不尽な扱いを受け続けてきた。
そんなこともあって、異動して暫くした頃には、この会社で働き続けるイメージができなくなっており、おぼろげながら転職を考えるようになっていた。どんな仕事が自分に合っているのかなと、今話題になっているMBTIをはじめとした性格診断や、リクルートがやっていたキャリアプログラムなんかも受けてみた。
しかし私が新卒で就職活動をしたときはちょうど企業の買い手市場で、100社近くにエントリーシートを送って、50社以上と面接をして、やっと今の会社に内定をもらっていた。
そんな苦労をもう一度したいとは思わなかった。
ある年の年末、仕事納めの場で部長から偉い人に紹介された。曰く、「彼は工場を経験しているんですよ」。
工場を経験している営業系の人間は他にはおらず、しかもやっていた仕事が営業側から生産計画を依頼するという工場の生産管理に通ずるものだったこともあり、工場と営業の両面から生産を見ることができる自分という人材はこの会社にとって貴重なのだと認識した。
それでこの企業での先が見えてしまった。
転職活動をする人の中には、「この会社で学ぶことはもうないから転職を希望しました」と言う人がいる。今までは実にうぬぼれた転職理由だと思っていたが、自分も同じ思いを持ったことに気が付いた。
「この会社で(自分の望むキャリアを築くうえで)学ぶことはもうないから転職を希望しました」というのが本当のところなのだ。
私は商学部の出身で、将来は会社の経営に関する数字を扱う仕事をしたいと思っていた。そのためには経営企画や経理の仕事に就きたいと思っていた。
しかし私に求められていたのはそのような管理系の仕事ではなく、将来の生産管理部門の長であることが分かった。自分はそのキャリアを望んではいない。でもこの会社では経理や人事などの管理系の職種に異動になる人は女性であり、男性はまずそのような部署に配属にはならなかった。つまりこの会社にいる以上、自分は管理系の職種に異動になる可能性は極めて低かったのだ。
そのころの仕事はすごく忙しかった。残業時間が多いわけではなかった(そもそも残業を付けさせてもらえなかったので何時間していたかも分からないが……)が、とにかく就業時間内に裁かなければいけない仕事が多く、常に仕事に追われていた。ちょっと小便に立てば、折り返し依頼の電話が5件とかかってきているし、打ち合わせの最中もそんなんだからゆっくりと話もできない。
おまけに同じ仕事をしていた同僚がうつ病になってしまい休職(その後退職)したのに人員補充は一切なかったため、いなくなった彼の分全ての仕事もこちらに降りかかってきた。それでも何とかこなしていた。
仕事自体が楽しかったわけではなく、もともとコミュ障なのもありしんどかった。でも異動させてもらった先でもあるし、仮に転職しようとするならまた新卒の時みたく100社近くにエントリーシートを送ったりしなければならないのかと。新卒の時の苦労をまたしなければならないのかと思うと、なかなか前には進めなかった。帰りの電車の窓に映った自分の顔は無表情で、一切を殺したような表情をしていた。
それでもこの会社での先は見えている。転職をするかどうか決めなければならない。10年後には自分の年齢からいって転職が難しくなっているだろう。10年後の自分に「何であの時行動しなかったんだ!」と怒られるようなことをしてはならない。そう思いながらも悩み続けていた。
そんな悩みに終止符を打ってくれたのは、当時の直属の上司だった。
ある日、相変わらず首が回らないような状態で仕事をしていた時のこと。その上司に呼ばれて仕事についての質問を受けた。私からすれば大したことのないことだった。ただその上司はろくに仕事をしておらず、ほとんどの仕事を、部下が私一人しかいないのに丸投げしていたためそれが大したことかどうか分からなかったのだろう。ともあれその案件については問題ない旨を彼に伝えたのだった。
ドンっ!
いきなり大きな音が鳴った。上司が机を思い切り叩いたのだ。要するに私を威圧したのである。令和の現代ではなく平成後期でも立派なパワハラである。
その場を適当に収めた私は心の中で固く決意した。
転職しよう。もうこの会社やこの上司の下にはいられない。冗談じゃない。こんなところにこれ以上いたら、将来お先真っ暗な人生だ。自分は休職した同僚の分も仕事をしていて実質2人分の仕事をしている。さらに上司が余計な仕事を振るせいでさらに仕事量が以前より増大し、2人分以上の仕事をしているのだ。それなのに人員の補充はなんだかんだと言い訳ばかりで2年以上もされていない。上司の仕事を全くしていない人間にパワハラまがいに怒鳴られる。もうこんなことやってらんない!
その上司のおかげで、転職への決意が固まった。その日、帰宅してから早速転職サイトへの登録を開始した。リクナビ、マイナビ、エン転職。知っている転職サイトに片っ端から登録した。そして新たなキャリアを求めて求人を探し始めたのである。
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就活で100社に落ちた私が未経験経理に転職できた話
最低レベルのコミュ力を遺憾なく発揮して新卒での就職活動で100社以上にお祈りをされた私が、経験者以外お断りの経理職に転職することのできたサ…
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