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台湾原住民の言葉なのに聞き取れる?! 日本語と混ざって形成された新言語「宜蘭クレオール」

前回のnoteでご紹介した「炭火焼きの絶品あごだし」工場を設立された伊藤努さんが紹介してくださったのが、同じ東澳トンアオで暮らすタイヤル族(泰雅族)のユリコさん。

タイヤル族のユリコさん。とってもオープンでパワフルな方でした。

ユリコさんにとって伊藤さんは息子のような存在のようで、「そんな伊藤さんの友人が台北から来る」と、腕によりをかけたタイヤル料理を用意してくださっていました。私たち一同、大感激。

手前が豚肉とハクビシンのダマミァン、左奥がイノシシの煮物、その奥が蒸したサツマイモです。テーブルクロスはとても立派なタイヤルの伝統的な織物。ユリコさんのお母様の特製。

メインは、タイヤル語で「ダマミァン(咑瑪糆Tmmyan)」、台湾華語では「泰雅族醃肉イエンロウ」と呼ばれる伝統的なタイヤル料理。

豚肉と、なんとハクビシンの2種類を用意してくださいました。
(全部ではないけれど、確かどれかはご親戚が狩りで収穫したものだったとおっしゃられていた気が…)

「ダマミァン」は、生肉を台湾原住民がよく使う「小米シャオミー(アワ)」と塩で漬け込み、発酵させた後に蒸したもの。しっかり塩分が感じられます。山狩りに行き汗をかいた時に塩分を補給する必要があったこと、冷蔵庫がなかった時代に保存食が必要だったことから、作り続けられてきた料理のだそうです。(以上、ソースはWikipedia

そのほか食卓に並んだのは

  • ぷりっぷりで弾力があったイノシシの煮物、熟しすぎたバナナに米やキヌア、お肉を混ぜ、バナナの葉で蒸したもの(これがご飯的な存在)

蒸しているところ
開くとこうなります。手で食べるのがマナー。
  • 蒸したさつまいも

  • 黒豆と刺蔥ツーツォン(カラスザンショウ。花蓮など東部の台湾原住民がよく使う、山椒のようにピリッとした香辛料)、ショウガとイノシシ肉の余った部位を煮込んだスープ

緑色のものが刺蔥ツーツォンです。黒っぽく写っているのが黒豆。
  • お野菜の炒めもの

お肉や葉で蒸したバナナ&キヌアは手で食べるのがタイヤル族のマナーなのだそう。手で食事するのは人生初でしたが、真面目に言いつけを守っていたら、「手で食べるんだよ!」とおっしゃれていたユリコさんご本人がちゃっかりお箸を使っていて、一同大爆笑でした。
(「だって、手が汚れるから面倒だしね」と同席されたタイヤル族の方がおっしゃっていたのも納得)

新言語「宜蘭クレオール」を話す、タイヤル族のおばあさん

織物のプロだったというユリコさんのお母様が織った伝統的な服を着せてもらっての記念写真。

私たちに紹介しようと、ユリコさんが昼食に招いてくれたのは、彼女の親戚を含むご近所の皆さん。同じくタイヤル族の方々で、「宜蘭ぎらんクレオール」という新言語を話されるのだそう。

「クレオール言語」とは、
意思疎通ができない異なる言語圏の間で交易を行う際、商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として使用されている国・地域もある。

Wikipedia「クレオール言語」

宜蘭ぎらんとはこの東澳エリアを含む近隣のエリアの名前で、「宜蘭ぎらんクレオール」は、日本統治時代に日本人と言語接触をしたこのエリアで暮らすいくつかの村のタイヤル族の間で話されるようになった新言語です。

だから、日本統治時代に日本語教育を受けたことで日本語が話せる台湾人、日本語が話せる台湾原住民とは明確な区別があるということですよね。

宜蘭クレオール(ぎらんクレオール、中: 寒溪泰雅語)は、台湾北東部の宜蘭県のいくつかの村で先住民のアタヤル人(近藤註:タイヤル族の別称)によって使われている、日本統治時代の影響による日本語とアタヤル語の言語接触により生まれたクレオール言語である。

宜蘭県南澳郷東岳村・金洋村・澳花村、大同郷寒渓村の4村で話され、日本語を上層言語(語彙供給言語)、アタヤル語(=タイヤル語)を基層言語とするが、どちらの言語とも異なる新しい別言語である。

このクレオールの存在は、真田・簡(2007)[2]によって、はじめて学界に報告された。その後、Chien and Sanada(2010)で、使用地域にちなんで、「Yilan Creole(宜蘭クレオール)」と命名された[3]。この言語をクレオールと見做すことに否定的な立場から、「Vernacular Atayalic Japanese」という呼称が用いられることもある[4]。なお、この「宜蘭クレオール」に対して、地元ではさまざまな呼称(エンドニム)が存在する。例えば、東岳村でnihongoやtang-ow no ke、tang-ow no hanasi、金洋村でnihongo、kinus no hanasi、博愛路的話、澳花村でnihongo、zibun no hanasi、寒渓村でnihongo やkangke no hanasi、kangke no keなどである。

宜蘭クレオールの話者数については正確な統計がない。しかし、4村の人口は2018年12月現在、合計3,285人である[5]が、村内部にも宜蘭クレオールを使用しない地区があること(例えば金洋村の金洋路)や宜蘭クレオールを話せない若年層がいることなどを考えると、宜蘭クレオールの話者数は多くても3,000人以下であると推定される。

Wikipedia「宜蘭クレオール
写真左から、ハマ子さん、ユリコさん、楊秀華さん、ヨシ子さん(楊秀華さんのお母様)。

ユリコさんご自身も「宜蘭クレオール」を話されるのですが、ハマ子さん(1939年生まれの85歳)とヨシ子さん(1947年生まれの77歳)のお二人も「宜蘭クレオール」を話されます。
お二人とも、タイヤル族の名前、台湾華語の名前、そして日本語の名前の三つを持っているのだそう。

「アンタ ヨメキタ?」「タイホク?(註:台北のことを日本統治時代は「タイホク」と日本語読みしていた)」などと、単語がところどころ日本語ですが、混ざっているのはタイヤル語なので、それ以外は全く聞き取れません。

↓ 毎日新聞の動画を観ていただくとよく分かると思います

↓ 上記の動画の中では、宜蘭クレオール言語で「どな親父でも弟でもやっぱり養う」とはっきり話されています

出典:『「宜蘭クレオール」:台湾の村 「ニホンゴ」話す先住民たち 』毎日新聞

こうした言語に触れるたび、「日本統治時代に日本人たちがよく使っていた言葉から土着していくのかな?」と思うのですが(数字や年号、第三人称などは日本語で話せる方が多い気がする)、その仮説で考えると、「どんな親父でも弟でもやっぱり養う」という言葉が宜蘭クレオールの中でも日本語の単語になっているということは、「養う」という概念が日本人とタイヤル族の間でよく話し合われていたのかな?などと、素人なりに想像してしまいます。
この辺りの研究など、もっと知りたいと思わされます。

そして、これを映像として毎日新聞のYouTubeチャンネルに残してくださった福岡静哉さん(台北支局を経て2024年からソウル支局長)、ありがとうございます。

そして、この「宜蘭クレオール」を2007年に初めて学会で発表し、命名された真田信治教授(大阪大学名誉教授)と、かつて真田教授の教え子で現在は国立東華大学教授の簡月真教授が東澳トンアオを訪ねる様子も、毎日新聞のYouTubeチャンネルでまた別の動画がアーカイブされています。

出典:『「タイヤルのトビウオ」:新言語話す台湾宜蘭県の先住民(提供)』毎日新聞
(企画・制作=国立東華大学・民族語言與伝播学系)
出典:『「タイヤルのトビウオ」:新言語話す台湾宜蘭県の先住民(提供)』毎日新聞
(企画・制作=国立東華大学・民族語言與伝播学系)

上記の映像にもあるように、東澳トンアオというエリアは人口およそ600人、その8割以上がタイヤル族です(動画が制作・公開された2018年8月時点)。

もともと山地で暮らし、狩猟や農耕で生計を立てていいたタイヤル族を、日本統治時代、日本人が管理のために平地に住むよう居を移させたと聞いたことがあります。、東澳トンアオで暮らすタイヤル族たちは、タイヤル族の中で最も海に近い場所で暮らしているのだそう。

そして、タイヤル族が暮らすエリアに道を隔てたところでは、漢民族が暮らしているそうです。

トビウオの村

この映像の最初のインタビューで語られているように、山地で暮らすタイヤル族たちは、もともと20〜30年前から東澳トンアオで暮らす漢民族と交易をしていて、自分たちが狩猟で得た肉と、漢民族たちからここで獲れたトビウオを交換していたのだそう。

そのため、タイヤル族の中でもこの村が「トビヨ(tobiyo、トビウオのこと)の村」と呼ばれていたということでした。

街のあちこちで、トビウオの絵を見かけました。

食事が終わると、ユリコさんが東澳トンアオの村を案内してくださいました。

何ヶ所か訪れましたが、公立の小学校がとても興味深かったので、次回はその話を書きたいと思います。

小学校の校門にもトビウオのモニュメントが!
次回をお楽しみに!

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