「マタイによる福音書」第5章38〜48節「非暴力、無抵抗の驚くべき力」
12月からは待降節(アドバンス)。11月24日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。テーマは「マタイによる福音書」第5章38〜48節「非暴力、無抵抗の驚くべき力」。
「目には目を、歯には歯を」は「やられたらやり返せ」という意味ではない。むしろ復讐を制限している言葉。あるテレビドラマで「倍返し」というセリフがあった。誰しもが、やられたら数倍にして返したい気持ちがある。旧約聖書の律法でも、かくなる誘惑を禁じている。イエスは「悪人に手向かうな」と言っている。しかし正当防衛は禁じていない。第39節の「右の頬を打たれたら、反対側の頬を差し出せ」には意味がある。ふつうの人は右利きなので、相手の右頬を打つためには、手の甲で打たねばならない。手の甲で撃つということには「(奴隷を)支配する」という意味がある。従って左の頬を撃つということは、対等であることをアピールしている。
マーティン・ルーサー・キング牧師は、アメリカ🇺🇸での黒人差別に抗議した。バスや高級レストランでは、黒人は白人と同席できなかった。これに対抗して公民権運動を立ち上げた。どんなに殴られても蹴られても、言葉、ボイコット、行進など非暴力かつ無抵抗で通した。怒りに任せるのでもなく、サンドバッグのように打たれるのでもない。屈辱的体験に対して、いかの落ち着いて穏やかに相手に伝える知恵である。
第40節の「下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」。これは出エジプト記🇪🇬第32章25〜26節にある「もし隣人の上着を質に取るならば、日の入るまでにそれを返さなければならない。これは彼の身をおおう、ただ一つの物、彼の膚のための着物だからである。彼は何を着て寝ることができよう。彼がわたしにむかって叫ぶならば、わたしはこれに聞くであろう。わたしはあわれみ深いからである」。ユダヤの律法では「貧しい人から上着を取り上げてはならない」なる律法がある。上着を取り上げたということは、奪った人がどれだけ酷い仕打ちをしたかのアピールになるのである。
第41節の「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい」。当時のローマ兵には権力があった。1マイルは約1.5kmである。その距離なら、ローマ兵は下層階級の民に荷物を運ばせる権利があった。つまり人をロバかラバのように見ていたわけである。しかし自発的に「もう1マイル運ぶ」と言い出した民に対して、ローマ兵は『あれ?』と思って、民を感謝の念と共に人間として見直すのである。このような行為は次節の「あなたの敵を愛しなさい」に繋がってゆく。
このようなイエスの精神は弟子たちにも伝わってゆく。ペテロは「ペテロの手紙」第3章1節では「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず」と説いている。パウロは「ローマ人への手紙」で「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」と説いている。敵の心を神が変えてくれる。それには忍耐と犠牲が必要なのであら。