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亡くなられた先生たちの歳を数える

お世話になった先生方がドンドン亡くなってゆく。人生で大きな薫陶を得た知の巨人たち。この先自分もそう先が長くないのかと思う。数字はお亡くなりになった年月日。あと亡くなってはいないが認知症になられた先生も多く、先生方を支えていたご家族の物故も心が痛んだ。(写真は敬称略で、上段向かって左から藤子不二雄Ⓐ、みなもと太郎、団鬼六、久世光彦、下段向かって左から宮田昇、別役実、かこさとし、小山田いく、長友啓典、神宮輝雄)
①藤子不二雄Ⓐ先生(漫画)20220407
・「藤子不二雄Ⓐランド」からご一緒した。昨日までの3日でずいぶん思い出を書いたので、今日はここまで。
②みなもと太郎先生(漫画)20210807
・自分の唯一の著書「復刊ドットコム奮戦記」の推薦文を書いて頂いた。ご自宅には何度もうかがったが地下室がレア漫画本の倉庫で、あの蔵書はどうなったのだろうか。女優の杏が先生のファンで、テレビ番組でお会いする予定で先生も楽しみにされていた。しかしその当日に奥さまが亡くなられた。葬儀をすっぽかすわけにもいかず「しょうがないなあ」と後ろ髪を引かれていたのが可笑しかった。
③別役実先生(小説)20200303
・不朽の名作「そよそよ族伝説」復刻初打ち合わせに、うっかり時刻を間違えて待ちぼうけを食らわせてしまった。4時待ち合わせだと思って待ち合わせ場所に行ったら先生がいないので、電話したら「14時じゃなかったの?」。どちらが間違えだったのかは記憶にない。
④久世光彦先生(小説)20060302
・上村一夫「螢子・昭和抒情歌五十選」復刊打ち合わせで、喫茶店で「なぜ今の文学賞受賞作家は女性が多いか」説を伺った。理由は高学歴の主婦が、子育てを終えて時間ができるからだと。
⑤長友啓典先生(デザイン)20170304
・中川翔子の亡父である中川勝彦「未知の記憶」復刊打ち合わせでデザイン料30万円でオファーしたら、大笑いされて「僕にそんな額で頼んだ人は君が初めてだよ。まあお世話になった中川家の本だから、それでいいよ」。実はこの額はふだんの倍額だったので、内心で冷や汗をかいた。
⑥かこさとし先生(絵本)20180502
・宇宙戦艦ヤマトのようなご自宅で、先生に「娘が幼い頃に先生の「かわ」(福音館書店)を何度も真夜中に読まされて閉口した」と話したら、大笑いされて、娘にご自身の著書数冊にサインをしてプレゼントして下さった。
⑦佐々木丸美先生(小説)20051225
・出版業界を信用しなくなって復刻を拒んでいたが、ファンの方々と一緒に北海道のご自宅に突撃した。2mくらい積もった雪を攀じ登って、2階にいる先生に復刻の意義を訴えていた時に、雪が崩れて底まで落ちて悲鳴をあげた、先生がビックリして雨戸を開けて「大丈夫?」と心配してくれた。
⑧小山田いく先生(漫画)20160323
・小諸にお住まいで、打ち合わせに行く度に、大勢の飼い猫が打ち合わせを邪魔しにやってくる。先生の愛猫なので、足蹴にもできず、いつも困っていた。
⑨神宮輝雄先生(翻訳) 20210804
・瀬田貞二先生と並んでリスペクトしていた憧れの先生。天沢退二郎先生の巌谷小波文芸賞授賞式(神宮輝雄先生は審査員)で紹介されて「コルとしろぶた」などいくつかの愛読作を復刻させて頂いた。
⑩宮田昇先生(翻訳) 20190314
・人生の師であった。フランス歴史大河小説「アンジェリク」新訳復刊の際は、難しい権利関係の相談に乗ってもらった。そのかわり作者や訳者に対応が不充分だったときは、こっぴどく叱られておっかなかった。
⑪長島良三先生(翻訳) 20131014
・打ち合わせ場所がいつもビアホールご指定のお酒好きだったが、訳文は「桜色のリズム」(第38代横綱・照国の相撲評)とでも評したいくらいに天下一品だった。
⑫団鬼六(小説)20110506
・伊藤文学先生の出版記念パーティーで何度もお会いして話させて頂いた。必ず先生の左右隣席は僕と彩流社の社長と決まっていた。いつも和服の着流しでカッコよかった。
◆その他、編集者任せで自分はそんなに親しくなったわけではないが、以下のお世話になって方々も物故。
⑬吾妻ひでお先生(漫画)20191013
⑭やなせたかし先生(絵本)20131013
⑮安野光雅先生(絵本) 20201224
⑯矢口高雄先生(漫画) 20201120
⑰松谷みよ子先生(絵本) 20150228
⑱東江一紀先生(翻訳)20140621

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