鮫島浩「朝日新聞政治部」
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朝日新聞社における「調査報道」の興亡史である。著者は元朝日新聞の敏腕デスク。前半は彼が大手を振って活躍する光の時代。この過程は上司から手向けられる温かいことばに感動の連続だった。思わず「うっ!」と慟哭して、電車に居合わせた人に「大丈夫ですか?」と心配されたくらいだった。数々の政治スクープ記事の連発。彼の最大の功績は「調査報道」という新たな取材技法を打ち立て、「特別報道部」を活性化させたこと。従来は「記者クラブ」を取材源として、政治部・経済部・社会部などの縦割りで取材してきた。しかし「調査報道」は「記者クラブ」に属さずに、ルーチンやノルマを持たずに、上司も部下も部内で自由に選べる遊撃部隊だ。その結果が、一面スクープの連発を産んだ。スケート連盟会長の巨額裏金事件、大手製造業における非正規雇用の実態、修学旅行利権の接待現場、東電原発事故処理廃棄物の不法投棄などなど。そして最大のスクープが政府が秘匿していた「吉田調書」である。これは東日本大震災当時の東電福島原発の吉田所長が書き残した実態メモである。ここで福島第一原発が爆発事故を起こした際に、吉田所長が第一原発に残るように所員たちに命じたのに、所員たちは所長の命令を無視して第二原発に避難したことを報じたスクープであった。
後半は「吉田調書」への批判をきっかけに「慰安婦問題」(慰安婦問題を証言した「吉田証言」の記事取り消し)、「池上(彰)コラム」(「吉田証言」取り消しは遅きに失したとする池上彰コラムを社長が差し止めたことへの批判)の三点セットによる朝日新聞社の屈辱的迷走と著者の転落という闇の部分である。「吉田調書」に対しては、所員たちが本当に所長命令に反したのかとの疑問がマスコミ界や世間からずいぶんと後になって指摘された。「震災の混乱の中で命令が行き届いてなかっただけなのではないか」と。安倍政権は、朝日新聞社を徹底的に攻撃し始めた。最初は社のプライドを賭けて交戦していた朝日新聞社だったが、やがて政府や経営陣を忖度する空気が形勢を逆転した。衝撃的だった2014年9月11日の木村社長の「吉田調書」取材の取り消しの緊急記者会見。そこから始まったのが、特別報道部の魔女狩りだった。著者は最重要戦犯として扱われた。保身や手のひら返しの連続で、それを著者は「朝日の死んだ日」と表現した。そしてそれは「新聞の死んだ日」でもあった。
私がこの本を読み始めたきっかけは元部下Sが、この本についてSNS投稿したのを読んだからだった。若い彼は、日販がオンデマンド出版会社を設立した際の、実質的な立役者の一人だった。その会社の責任者に就くことを親会社の社長に申し渡された私は、社長から「これだけは気をつけて欲しい」と言われたことがあった。それは「将来有望なSとNを辞めさせないこと」だった。二人は非常に優秀であった。時代感覚にも鋭敏だった。この時期はいろいろな賞を各界から受賞したし、マスコミ取材も相次いだ。SとNが提案するビジネスモデルに、どんどん挑戦した。「青空文庫」と連携したユニバーサルブック(拡大文字本)、占い師ステラ薫子をキャラクターに据えたカスタマイズ占い本、メールマガジン「まぐまぐ」との提携、「レビュージャパン」をコンテンツとした商業出版、中古本オークションサイト「ビズシーク」提携による投票による復刊など。彼らが連れてくる提携先は、出版業界の人々ではあり得ない未来を拓く人々だった。そして後に日本を代表する逸材となった方々も多くいた。そんな取引先から「Sさんが『自分たちには素晴らしい上司がいる』とあなたのことを自慢していましたよ」と言われて、自分も嬉しかった。Sはシャイだけれども、ピュアでツンデレな人であった。しかしながら、オンデマンド出版は商売として軌道に乗らず、唯一生き残った路線は復刊ドットコムで、出版業界の中での営業活動が主体となった。その結果Nは残って本社に戻ったが(今は常務になった)、Sは「自分の役割は終わった」と退社した。私は親会社の社長に至らなさを詫びた。
そしてSは朝日新聞社に移った。もともと彼は高校野球に熱心で、朝日新聞社は夏の高校野球の主催である。だから『それはそれでありかな』と祝福した。朝日新聞社の知人たちから、Sの入社後の活躍や、彼の社内で受けているリスペクトを耳にして、私は密かに喜んでいた。しかしある日突然、彼が朝日新聞社を辞めることを聞いた。本人に理由を問い糺したが、どうもしっくりこない。『あんなに待遇の良い会社をなぜ辞めるんだ?』という疑問は、私だけでなく、多くの共通の知人から発せられていた。しかしSの「朝日新聞政治部」感想文のSNS投稿を呼んで、Sが朝日新聞社を辞めた理由がハッキリわかった。それは「調査報道」を諦めて放棄した朝日新聞社、いや新聞という媒体への絶望だった。この本で描かれた木村社長の懺悔会見を、Sは経営計画セクションの立場から目の当たりにしていた。だからこそ、新聞というメディアの限界を痛切に悟ったのだろう。本書の著者である鮫島浩氏も述べているが、ネットは情報において玉石混交ではあるが、紙媒体を速さ、量、深さの点で凌駕した。つまり朝日新聞社はSに見放されたということだろう。彼がインターネットという新たな地平線上で何をするかは、今でも期待している。