人間は視覚に頼り過ぎて、他の感覚が衰えてしまった
7月3日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生による説教。題材はマルコ伝第10章46〜52節。テーマは「メシアの行進に選ばれた人」。エルサレムに向かうイエスに救いを求めて必死で叫んだ貧しい盲人バルティマイ。周囲は彼を抑えようとしたが、イエスは彼を自分のところに呼んだ。その信仰ゆえに盲人はイエスの手で視覚を取り戻す。そしてそのままイエスの行進の列に加わった。
前任の牧師先生が盲人伝道を行なっており、そのうちの一軒は花瓶に花が整えられ、壁にはミレー「晩鐘」複製画が掛けられていた。もちろん本人には見えないが、晴眼者の来訪への配慮があった。目の不自由な人は信仰に至れば、目が見える人のことを積極的に考える「霊の眼」が開かれている。一年先輩であった故小林猛先生とは、鉾田教会時代に自己紹介の時に肩をポンと叩いて左手を握った。後年に小林先生に向けて「先生!」と語りかけると「高橋兄弟ですね」と即答が返ってきた。また別の日に肩をポンと叩いた時も直ぐに「高橋先生!」とリアクションが返ってきた。目が不自由な方は聴覚や雰囲気を察する点で、甚だしく感覚が研ぎ澄まされている。動物学者の伊藤政顕氏は著書である「動物の超能力」(KKベストセラーズ・絶版) の中で「人間は視覚に頼り過ぎて、他の感覚が衰えてしまった」と評する。蝙蝠は眼の機能が衰退しているが暗い洞窟の中でも飛べるのは、超音波を発してその反響を頼りに壁にぶつからない。逆に細い竿を近くで振り回すと、超音波が反響せずにバッタリ落ちる。鷹も2km先の魚が泳いでいるのを知覚している。
キングスガーデンの集会で「もしも目が見えない、耳が聞こえないのどちらを選ぶか?」と問うたら、全員が「耳が聞こえない」を選んだ。M・ルーサー・キングによるバーミンガムにおける自由平等と神の愛を訴えるデモ行進の際に、盲人歌手であるアル・ヒブラーは「これが軍隊であれば自分は参加すらできなかっただろう」。しかしこの行進においては、彼は指揮官の位置を与えられていた。