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スポーツ指導者よ、学び続けろ。

大学院でスポーツ心理学を研究しています。
自分もコーチとして活動する中で、本当に思うことがあります。
日本スポーツの指導者は「我流」が多すぎる!!!!!
このような指導者が指導できないような仕組みづくりが不可欠です。

そして、それが当たり前だと、
そうでない指導者を批判する選手、保護者が増えることが
日本のスポーツ界を守り、日本の子供たちが有能になる
唯一の手段です。
そのために、一人一人の意識改革が必要です。

日本の常識が世界の非常識

教育方面に明るい方はこの批判は聞き飽きていると思いますが
スポーツ界も例外ではありません。
日本で常識とされていることは、世界(特に欧米圏)では非常識です。

学校教育界隈で言うなら、例えば、
「少人数学級」というと日本では30名以下を指すことが多いですが
そもそも欧米では20名程度がスタンダードです。
(詳細は学力の経済学という本をご覧ください)

こう言うことを言うと、
「欧米は素晴らしくて日本はダメだ」と言いたいのか!!と
怒りの声を浴びせられるのですが
こと教育、人を教える、育てることに関しては
「その通りです」と
エビデンス(根拠)を持って言えてしまいます。
文句を言いたければ
「日本の未来はこのまま行って明るいと思いますか?」に
YES!!!と断言できる材料を揃えていただきたい。
残念ながら、NO!という材料の方が簡単に揃います。
教育をなめてはいけません。
教育とは未来の投資です。
そして、私はスポーツに関わるものとして
スポーツを通して学ぶことがあると信じているし
それは日本人が思うものよりも
はるかに壮大です(この辺りは別の記事にします)。

スポーツ界で一番大きな日本と海外の格差、
それは、
指導者が学ばないことです。

指導者のあり方の違い

まずそもそも、指導者とは何か。
指導者とは、coachです。
coachというのは「導く」ということで、
「教える」ではない。
ここが根本的に理解できていないことが多い。

日本では
教えてもらうときは
教えてくれる相手を「尊敬するべき対象」で
従わなくてはいけない、逆らってはいけないと
無意識的にも意識的にも刷り込みます。
(これには文化的な背景もあります)

ですが、海外では違います。
指導者と学習者は対等で、
役割が違うだけという捉え方です。
そもそも、どちらが上ということはありません。

なので、日本のスポーツ場面でよくある
「いいから黙ってやれ!」
「俺(私)の言うことが聞けないなら出ていけ!」というような
絶対服従の考え方はナンセンスです。

日本ではなかなか考えられませんが、
選手(それも子供)から、
「私はこうした方がいいと思うのですがどうですか?」と
コーチに提案することが日常的にあります。
そして、コーチも、その意見に対して
賛成ならば受け入れるし、反対ならば
なぜ反対をするのかを建設的に返答します。
日本では、まずそんなことができないし、
できたとしても「意見を言うならまず上達してからにしろ!」と
一蹴されて終わりでしょう。

実際、私はシンガポール人のチアリーダーからこんな質問を受けました。
「どうして日本の選手たちは、コーチの指示に意見しないの?
あとで裏で文句言うなら、その場で言った方がお互いのためじゃない?」
本当に、その通りとしか言いようがありませんよね。

何もこれは、生意気にふるまえということではありません。
選手側も、意見を言うなら責任が伴います。
ポイントは、それは本当に必要か?正しいか?ということを
常に考える姿勢を持つことが大事なのです。
これは将来的には、
いわゆる「思考停止人間」にならないための第一歩です。

しかし、一番重要なのは選手の姿勢ではありません。
指導者が、選手の意見を聞く意味を理解し
自分の意見だけを押し通すようなことは絶対しないことです。
そのような指導者のあり方があるからこそ
選手は上達し、自分で考えられるようになるのです。

指導者は学び続けているか?

選手自身が考えることが重要であると言われているのは
科学的根拠があります。
数々の研究がそれを証明してくれているのです。
しかし!そのことを知らない指導者が多すぎるのが日本です。
なぜかというと、
日本でスポーツの指導をする時の一番の材料は
「自分の経験」であると信じられているからです。

日本スポーツ協会はこのような状況を打破しようと
コーチ育成のためのプログラムを改訂し
さまざまな取り組みをしています。
(詳しくは日本スポーツ協会

指導者である以上、学び続けなければなりません。
理由は、科学が進化し、社会が変化し続けているからです。
自分の頃はこうだったと言うのは昔話で
今にすべてが当てはまると思うのは大間違いです。

人間には自分を肯定したいという欲求があります。
指導者に我流が多いのは、
自分はこれで成功してきたんだ、と思うことで
自分を守ろうとするからです。
体罰が減らない理由も、こういうところにあります。
暴言や否定的な言葉もそうです。
自分がそうやって育ってきたから。です。

ですが、指導スタイルを変えることや、新しいやり方を導入することは
決して指導者自身の努力や成功を否定することにはなりません。
ポイントは、今目の前にいる選手にとってベストなのは何か?
ということを考えているかどうかです。

当然、指導者と今の選手では
取り巻く環境も違えば、そもそも違う人間なのですから
違う体、考え方、志向があって然るべきです。
そのことを理解し、自分以外の人間を教えるからこそ
新しい知識や、新しい考え方を
常にインプットすることが必要なのです。

学び続けない指導者は指導者ではない

学び続けない指導者に指導を受けることは
インターネットにつながっていない
古いコンピューターを使っているのと同じことです。
そのコンピューターに入っている情報のみを
取り出している状態です。
そんなコンピューター、必要ですか?

しかしながら、いまの日本では学び続けない指導者が
幅をきかせ、評価されるのです。
それは仕組みと世間の常識のなせる技です。

前述の通り、日本スポーツ協会が
指導者を育成するプログラムを実施していますが
残念ながら、そういうところにくる指導者は
そもそもが「学ぶ姿勢」を持っているのです。
学ばない指導者は、そういう場に来ることすらしません。
そういう人たちを強制的に学ばせても
馬の耳に念仏でしょう。

ですから、学び続けないような指導者は排除する。
それしか方法はありません。
資格制度の拡充とともに、
指導にあたるならば然るべき指導者ライセンスを持ち、
(ライセンス付与の体制も検討する必要があるのはもちろんです)
更新プログラムのための受講を必須とすること。
それができない指導者は権利を剥奪し
指導に関われないようにする。

世間は、本人の成功(○○大会優勝など)にとらわれず
指導者を選ぶこと。
「良い選手は良い指導者にあらず」
選手として成功することは、指導者としての素質には直結しません。
レベルにもよりますが、
初心者相手ならば、選手として大成した人よりも
苦労していた人の方が教えられることは多いはずです。

そして、学び続けない指導者を大きく批判すること。
厳しい指導を容認しないこと。
それは指導を受ける側、受けさせる側の義務であること。

一人一人の認識が世界を変えるのです。
大きな仕組みと、草の根活動で
スポーツ指導者が学び続けることが常識になる日まで、
活動して行こうと思います。

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