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忘れられない言葉

わたしはもともと

“白黒はっきりさせたい”
“曲がったことは許せない”

そんな変な正義感のようなものを持った
柔軟性のない人間でした。

そんなわたしが看護学生のとき
病棟実習で担当していた患者さんから帰り際に

“この車椅子を向こうに片付けて、
そこの歩行器をこっちに持ってきて”

と言われました。
わたしは言葉のまま車椅子を片付け、
ベッドサイドに歩行器をセットしました。

翌日、実習担当の先生から

“担当の患者さんが昨日あなたに
車椅子を片付けられて夜に困ったと言っている”
“今日病院に行ったらまずちゃんと謝ってね”

と言われました。

わたしは思わず

“わたしは患者さんに言われた通りに
動かしただけです。
わたしが勝手に片付けたわけではありません”

と返しました。

そんなわたしをみて先生は
あのね、と一息おいて

“あなたはもっと
グレーを許せる人間にならないと
いい看護師にはなれないよ”

と言いました。

事実はそうかもしれない。
でも”患者さんが不快な思いをした”のも事実。

発した相手の身体や精神状況はどうだったのか。
戻した位置、セットした位置は
本当に希望した位置だったのか。
ずっとではなく一時的な希望ではなかったか。
そもそもちゃんと信頼関係が築けているのか。

言葉のままではなく、
良い悪い・やったやってないではなく、
ありとあらゆることを見て、感じて、考えて
対応しなければいけないと。

でもその時のわたしはちょっとやるせないような、
わかったようで納得のいかないような、
そんな気持ちでした。

でも社会に出て
世の中を知ったとき。

身の回りで起きるできごとは
白でも黒でも片付けられないことばかりだと
身をもって実感しました。

人間を相手に、
ましてや命に関わる場面も多い。

わたしに足りなかった柔軟性。

先生のあの言葉がなかったら
わたしは今でも違うと思ったことは頭ごなしに
否定できてしまう人間だったのかもしれない。

グレーを許せる人間になる。

言いにくいであろうことを
わたしの成長のために伝えてくれた言葉。

15年経った今でも
1番胸の奥底に刻んでいる言葉。

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