夜空にケツが昇ってく……修造の熱い添削の夜
作文添削一回目やっと終わった……。
二回目はその添削したのをさらに書き直しさせてもう一度チェック。
オンライン授業の作文添削は手書きの原稿用紙を直接添削できない。
だから写真撮らせて一文一文チェックして訂正個別指導。
外国人の日本語の文を読む時、気をつけてるのは、相手がどういう意図でそう書いたのかということ。なるべく相手が本来書きたかった日本語を考える。間違えたならどういう過程で間違えたのかも考える。
例えば「夜空にけつが昇ってく・・・」
ブホッと噴き出して笑った。赤塚不二夫の世界かよ!
でもこれは「尻」じゃなくて「月」と言いたいんだな。たぶん言葉を逆に覚えてる。
きつ⇒けつ ※「き」と「け」を聞き分けるのは難しい。
まあ、これぐらいなら序の口で、本当に何が言いたいのかわからない文もある。そうなったらもう本人に聞くしかない。時には原文送らせる。で、必死にその言葉を調べながら、どういう言い方をしたかったのかを考える。
そうやって一人一人対応するから、授業時間以外にものすごく時間を使う。
それで給料上がるのかと隣の家のかあさんにも言われたけど、別に上がるわけではない。他の先生は宿題もただ大量に出して終わり、授業も動画を作って送り付けて終わり。給料だって変らない。
でももうこれは性分としか言いようがない。
私はおせっかいババア気質と雷おやじ気質を両方持つ昭和ソウルな人間で、学生にはめっちゃ松岡修造だ。
昨日のスピーチ試験の追試の学生もやり直しに次ぐやり直し。この学生の場合、日本語以前に文章が苦手。
たとえば
「海は観光客が多いです。本当にリラックスできます」
これだけだと「ん?」となる。
なんでこうなったのかを聞くと
「海は観光客が多い」
↓
「海はリラックスできる場所だからみんな集まってくる」
↓
「観光客は楽しそうだ。私も楽しい」
↓
「海は本当にリラックスできます」
途中の過程がないから前の文と後の文がつながらず意味不明になる。
そこから説明してやり直し
そして二回目の書き直し
(これは作文ではなくスピーチ原稿なので手書きではなくWord)
ところが、書き直せと言った部分はまったくちがう内容の文になっていた。
しまいには向こうも弱気になる。
かといって、「じゃ、もうこれでいいよ」とはいわない。
私は常にその一人一人が少しでも進歩すればそれでOKと思っているから、100メートル走れるならスピードを上げることを目指すけど、彼の場合はまず100メートルまで走り切ることが目標。
だから80メートルまできて「僕は足が遅い」には修造吠える。
「あきらめるな!限界にはまだ早い!」
三回目のやり直し。すでに23時過ぎ。眠い。風呂はあきらめた。
そしてドライアイの目に目薬を差しながら原稿チェック。
彼はへろへろになりながらも100メートルはとりあえず走り切った。
彼はわからないなりにも何度も質問してがんばったのだ。
もうお互い疲れ切っていた……。
彼の相方、もう一人の追試の常連も「ともだちたくさんゲットだぜ!」と作文に書いてきて「ポケモンか!」となったけど、なんとかスピーチの追試は乗り切った。
こんな感じなので授業以外にも時間をかなり費やしている。
しかもたった今、最後に作文やっと提出してきた学生がやらかした……。
彼女は作文の原稿用紙の向きを最初間違えた。
そして書き直してきたのはいいけど、今度は原稿用紙の向きは正しいけれど、文字が横書きになってる。
まあ、外国人にとっては縦書き原稿用紙の使い方なんて難しいだろう。彼女も混乱状態だ。
またこれで書き直しとなるとたいへんだろうってのもあるけれど、修正前の日本語を何度も書くことで間違ったものを間違って覚えることにもなりかねないから、先に修正してから書き直しさせた方がいいと判断した。
そんなわけで、これでやっと作文一回目の全員の添削が終了。数日を要した。このあとさらに修正の原稿を書き直しさせて再提出。
修正したのをただ見ただけじゃ改善にまではいたらない。
まちがった部分を意識しながらもう一度書き直すことで初めて身についていくと思う。
ほかの日本人先生はオンライン授業だからか作文授業でもWordで横書きで書かせて添削もなくそれで終わりらしい。でも実際に書くって大事だと思う。
会話も声に出すことが訓練になると思うから、私はビデオを送りつけるだけのやり方は嫌う。会話に対して反応することも大事だし、こちらが一方的に話すのを聞かせるだけじゃ反射力の訓練にはならないと思ってる。
そのかわり、私のオンライン授業は、もう遠恋のメンヘラ彼女状態。
「ねー、聞いてる? 今言ったことわかったー? どうして返事ないのー、私のこと嫌いなの? さーびーしーい!」みたいな笑
ちなみにさらに別の日本人先生のオンライン授業のクラスが崩壊しているらしく、学生との交流をはかるための通訳のバイト募集がされていた。
問題の授業に参加していた子がいうには、その先生は学生の反応を気にも留めずに一人でずっと話し続けるので、わからない学生はわからないまま置いてきぼり。日本語が嫌いになった学生が増えたという。
これはまずい。
その先生が嫌いならその教科にも苦手意識ができて成績が下がるってのは自分の子供の頃の経験談。
さらに外国人教師ってのは小さな外交官でもある。日本語の授業おもしろいから日本に興味もって、日本人も好きになったりもする。それで実際進路まで変わった学生を何人も見てきた。
だからこそ、真剣に一人一人と向き合いたいと思うのだ。
星の王子様の狐のくだりじゃないけど、ただの麦畑が王子の金髪に見えて特別になるように、東洋の小さな島国が、親しみが持てる大好きな国になるかもしれない。
そして何より大事に思うのは、学生たちの貴重な青春時代の一コマに自分もいるっていうこと。とことんがんばる学生にはとことんつきあいたいし、少しでも進歩したり向上することを目指して、達成感を味わってもらいたい。そこに自分も関われたなら、それこそ自分の喜びだ。
あー、だから別に薄給でも給料上がるわけじゃなくても、これだけの時間を一人一人に使うんだなーと今書きながら思った。
仕事への姿勢はそのまま生き方につながるから、結局どんな生き方をしたいかってところで、私は選択しているんだろう。
「それでお給料上がったりするの?」と言われても、決して損とは思えない何かがあるから、一人一人に時間を割いて、向き合っているんだろう。
結局、どういう態度で自分の人生と向き合っていきたいか。
そこなんだろうな。
あ、やっと最後のスピーチの追試の学生の試験きた。
うーん、残念、やり直し。スピーチの制限時間を一分超えてる。
余分な部分削ってやろうかと原稿見直してたら
自力でがんばろうというなら、よし、待とう。
今日も風呂入れなさそうだな……。