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稼ぐことについて考える。そもそも稼ぐことは必要?
稼げないのが悩みだった。
でもそもそもなぜ稼ぎが必要か?
生活のために収入が必要だと言うならば、ヤドカリ生活の私の場合
家賃→無料
光熱費→無料
食費→畑の野菜、差し入れあり
インターネット→お隣さんちの
車→お隣さんちの
ありがたいことに人の情けやご好意のおかげでほとんどお金がかかってない。
いや、逆にこれをお金に換算したら、それだけで現在の収入ぐらいにはなるんじゃないだろうか。
そう考えると少ない私の稼ぎでも、倍の稼ぎがある人と同じレベルの生活をしているということになる。
以前東京でヤドカリ生活をしていたときも似た状況。今と同じく食料まで送ってもらったり、近所の一家と仲良くなって助けられていた。
今、私にあるもの
・この家に住ませてくれたり物資の支援をしてくれるありがたい友人
・いつも優しくしてくれるありがたいお隣さん親子
・野菜をくれるばかりか時給もくれるありがたい畑のボス
・夏野菜が終わり野菜がなくなったところじゃがいもを送ってくれたありがたい友人
・一人で話し相手もいないところいつもチャットで相手してくれるありがたい友人たち
・私の世話にならないよう生きてくれてるありがたい親
私は貯金もないが借金もない。
これもありがたいことだと思う。
昔、着物生活を始めた頃、展示会で初心者あるある大失敗、多額のローンをくんでしまった。ローンは完済したけれど、そんな高い着物や帯など着ていく場所がほとんどない。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/62118400/picture_pc_fae857eed400e875c76ecf352979aa47.jpg?width=1200)
※写真はお宝として眠るクリムト帯。これ、プリントじゃなくてすべて織という芸術!
普段着ていた着物はというと、アンティークかもらいもの。
この記事の最初の写真は一番気に入っていて今でも着ることもある毬柄の黒紬。これは確かアンティークで破格に安かった。
いただいた着物も素敵なものばかりで、実用性があったのはこっち。
おかげで楽しい着物ライフを送ることができた。
そんなわけで、最初のアホな着物ローンがなければ、着物ライフはそれほどお金はかからない。まあ、着物は年をとっても着れるから、高い着物も粋に着こなすかっぽう着姿のおばあちゃんになるのもいいかもしれない。
しかしローンはアホだった……。
最近も信用してる友人の話から投資をしたが出金停止でそのまま凍結。ただでさえ金がないのにこれは痛い。稼ぎたいってのを焦り過ぎた結果。
おまけに従兄弟に支援金としてもらっていたお金も、以前バイトが一緒だった子が病院も行けないほど困窮してるというのでそのまま送金してしまった。誰も助けてくれる人がいないと言うから。
それでも生活できるのは、古民家ライフをさせてくれているありがたい友人のおかげ。
生活はできている。
借金もない。
ではなぜ稼ぎが必要か?
「お金があれば何したい?」
友人に問われて私は海外旅行したいと言った。
でもこれも実は実現している。
例えばドイツに行った時。
この時は別の友人がドイツの古城で結婚式を挙げるというときで招待されたが金がない。
するとその友人は、振袖を着たいからその着付け代に交通費を出すと言ってくれた。
私は着付けの先生と振袖の着付の猛特訓。
そもそも先生は無料着付け教室の先生で、その後は個人的に親しくさせてもらっていたので、この時もほとんどボランティアで教えてくれた。さらには私が結婚式で着る用の華やかな素敵な着物も先生からお古でいただいた。
※私は黒系の着物が好きで、ローンで買った高い着物はあるけれど、外国で映えそうな華やかな着物は持ってなかった。
ドイツに行って、宿はどうしたかというと、当時の趣味のエスペラント語を通じて知り合った人たちの家にただ泊まり。食事も無料。移動遊園地やお祭りまで連れて行ってもらって無料観光。
結婚式をした町は世界遺産で古城のパーティーも素敵だった。
そして私はこの時ほとんど費用がかかっていない。
じゃあなぜ稼ぎが必要なのか?
それはやはり、いつも人にお金を出させていることが申し訳なかったり、自分も人に振る舞いたいとか思ったりもするからだ。
それってただの見栄では?
もしも宇宙銀行があるとしたら、私はお金を引き出して、間接的にやりたいことを実現しているのではないか?
お金はあくまで手段であって目的ではない。
「稼ぎたい」を目的にして、それで何がしたいんだ?
お金に困らないように貯金が必要?
でも私の場合、貯金がなくても人の助けでなんとかなっていることが多い。
例えばパソコン。
壊れたけれど、一つは高校時代からの友人の旦那さんが不要なものをくれ、持ち運び用には今の環境を与えてくれた友人が古いノーパソを使わせてくれた。
携帯も同じ。
私はないものばかりに目を向けて、実はこんなに豊かだった。
これら無償のものをすべて自分でなんとかできるだけの稼ぎを得たとしても、人の情けや繋がりに感謝できる今とは比べ物にならない。
そこには計り知れない価値と豊かさがある。
例えば私は節約生活してるので、時々隣の親子が果物やおやつをくれたり、ビールを飲ませてくれたりする。
人からもらうおやつはおいしい!
なんだろう?子供の頃に近所のおばちゃんがお菓子をくれるあの感覚。
そしてたまにしか食べないからこそ、おやつは神々しく輝く!そこに価値が付加される。
人からもらうのが嬉しいって乞食根性? でもそこには簡単には手に入らないものが手に入ったという喜びがある。
じゃあなんで私は稼ぎたいのか?
たぶん私も還元したい。
何かに貢献してみたい。
でもじゃあお金だけが貢献するための手段なのか?
私はこの家にヤドカリさせてくれた友人夫婦の結婚式の時、東京でヤドカリ生活でお金がなくて欠席しようとしたことがある。でもやはりお祝いしたくてお金がないことを正直に言うと、なんと減額してくれた。
あまりにも申し訳ないので、二人のためのお祝いの絵本を作った。友人は喜んでくれて子供ができた今でも時々見てくれているという。
金がないなら時間と労力、そして愛と感謝を表現。
ガツガツ働いていたらそんな感謝の形の制作時間も持てなかっただろう。
それでも稼ぎたいのはなぜ?
延々と自問自答する。
とりあえず、感謝に満ちた今の日々は決して「負け組」なんかじゃない。
わたしには人という財産がある。信頼関係という利息をこれまで積み上げてきた。
やーめた!
稼ぐことを目標にするんじゃなくて、自分が何をやって生きていくか、心地よく過ごすためにどうありたいかを考えよう。
何に貢献していくか。
それに対して必要な費用は必要に応じて稼げるようになる!
「ちょうどいいときにちょうどよくうまくいく」
「必要なものは必要な時に与えられる」
それが私の人生。
だから今日も与えられたものに私は感謝をして生きる。