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『 僕の帽子 』 西条八十



母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。


これは昔、映画「人間の証明」で使われた
西条八十(さいじょう やそ)の詩である。

当時から、この詩を聞く(読む)たびに、胸が締めつけられ、せつなく、寂しい気持ちになる。
きっと、何かが、僕の琴線に触れるのだろう。

僕は今でも、ほぼ毎日、帽子を被る。
10代から20代はキャスケットが多く、
30代から40歳くらいまでは、ハンチングが
多かった。きっと、そのときどきの自分の容姿に合わせて選んでいたのだと思う。
40代以降は、ほぼハットに移行し、それは
ボーラーハットであったり、中折れハットだったり、さまざまである。

今現在は、イタリアのボルサリーノのハットを
被っていて、同じかたちのものを4種類持っている。(アレッサンドリアというタイプ)
ラビットファーと呼ばれる、ウサギの毛でできていて、柔らかく、とても軽い。
黒、紺、ボルドーの三種類と、夏用の
イタリア麦でできたストローハット(黒)である。


西条八十の詩では、黄色みがかったクリーム色の"いわゆる"麦わら帽子であろうが。
僕も幼い頃、被った記憶がある。

谷底に落とした麦わら帽を思い浮かべるだけで
僕のこころは切なくなる。

大好きなお気に入りの麦わら帽…
風に吹かれて飛んでいった…

僕は海町と、都会にした住んだことがなく
谷底に帽子を落とすことはなかったが、
今でも覚えていることがある。

まだ、幼稚園児だったときのことだ。
たぶんお正月だったのだと思うが
かなり大きな奴凧を父が買ってくれて、
近くの原っぱで、家族4人で空に上げた。

その大きな凧は、冬の風にのり、ぐんぐん舞い上がった。
わーい!わーい!と、僕は無邪気に喜んだ。
他のどの凧よりも大きく、色鮮やかな奴凧を
僕は誇らしくも感じていた。

父は僕にもあげさせようと、持ち手を変わってくれた。僕は父に手をとられたまま凧上げに夢中になった。
「ひとりでやってみろ」と、父の手が離れたとき
僕の手が一瞬緩み、糸が手をすり抜け、遠くの空に飛んでいってしまった。
飛んで行った方に一生懸命走って追いかけたが、
森の方へ入ってしまったらしく、結局見つからなかった。

僕はひどく悲しい気持ちになり、父に謝った。
「まあ、しょうがねぇや」と、父は言ってくれたが
僕の気持ちは沈んだままだった。
他の家族の凧より、かなり立派なものだったし、
とても楽しかったのだ。
絵柄の綺麗な自慢の凧は、僕のせいで10分くらいで遠くの空に消えて行った。

あのときの想いと、この"詩"は、どこか
僕の中で重なり合っているのかも知れない。


僕が住む木更津という港町は、風が強く、
ハットを被ると風に飛ばされそうになることがある。
そのたびに、左手で帽子を押さえ、気をつけている。
あのとき、手を離してしまい、飛んで行ってしまったあの奴凧のようにならないように…。

猪鼻康幸




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