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私の光る君へ〜おすすめ・矢部太郎の『光る君絵』~総集編の代わりに

 総集編は5話編成で、順序入れ替え編集で、ドラマとしては面白い仕上がり。しかし、雑感はやはり二番煎じ。
 Web噂では、周明場面がないとか…と。そこまで松下洪平無駄遣いとは⁉
 そのⅠの感想で言うなら、道まひ悲恋物語で行く気なのかと。
 
     第1回から第48回までを見て、あれが本当なら(どうやら本当のつもりはないらしいが)、まひろは便利に使われただけ、という極論もあり得る。それに気づかない、「紫式部先生」ではない。
 私は、歴史的に見て、紫式部は『源氏物語』を生み出すために、道長を良いSTEPにしたと考える。そして、子孫の皆さんも、見事に継承してくれた。「公家」という、武闘を嫌い、血を忌む、有り方は悪くない。
 「紅旗征戎非吾事」(こうきせいじゅうわがことにあらず=平家が勝とうが負けようが我が家の事ではない、)と言った、藤原定家も道長の子孫で、私はこの覚悟を非常に高く評価している。
 芸術至上主義は、平和主義につながりやすいと思うからだ。
 源氏物語も、多くの文化財もその姿勢が護った。

 
 その代わりに、と言うことで、矢部さんの『光る君絵』を発売と同時に読んだので、その感想を書かせていただく。
 カラーページはパステル調で、ほんわかしたイメージ。
 テレビの前の視点もあるが、出演者ならではの視点があるので、興味深い。

 気に入った順に
①第20回「中宮様が自らに突きつけた刀に映る、まひろ様とききょう様」
 長徳二(996)年1月、藤原斉信の妹の所に忍んで通っていた花山院に、伊周の勘違いを真に受けた、弟・隆家が矢を射かけるという事件が起こる。
 いわゆる長徳の変である。
 4月24日。伊周は太宰権帥、隆家は出雲権守、宣下。
 高貴な二人は、遠流という刑罰の左遷である。
 伊周は、大宰府には行かないとまるで駄々っ子。邸を検非違使達に囲まれるに至り、隆家は出発。実資を筆頭に、検非違使達が土足で踏み込み、逃げる伊周。
 混乱した定子は、放免から奪った刀を首に充て、髪を切ってしまう。(出家を意味) ※放免=(人手不足で)微罪の犯罪者を検非違使の手先としていた。)
 心配で、変装して潜んでいた、まひろとききょうはこれを見てしまう。

 描かれたのは、この場面。
 心配でとは言っても、十二単で行ける状況でない。大原女みたいな姿に、手には木の枝をかざして築塀の割れ目から入り込んだ態の二人。それだけで相当に(笑)…。イヤイヤ違う。
 そこへ、わらじ履きで踏み込んでくるのが、黒光りの君・秋山・実資氏。
 高畑・定子は、大真面目に、彼女自身の悲劇の引き金となる、断髪をしてみせるのだ。
【いいのか、これで。笑えちゃう…と、当時思ったのを覚えている。】
 絵は、その場面を、中宮定子の喉元近くに構えられた刀の大写しに、野良着姿のまひろとききょうが映っている、という画面になっている。
【なんであの二人は、あんな深刻な場面に、あの恰好だったんだろうと、今も不思議で、矢部氏も同じ疑念が残っているのかな❓と、結局(笑)】
 

②第10回「廃邸から見上げた月」
 夜8時台、一応家族で見ている人も多いと言われる大河枠に、なかなかの濃厚ラブシーンと言われた場面。もう一度見たい場面一位…とか。
 我が家では、降り注ぐ銀紙(月光だったらしい)が雨だと勘違いした娘が、雨漏りしてる所でこんなのヤダ…と。いやいや違う。

 描かれているのは、廃邸の空の満月の周りを文を手に走っている、乙丸と百舌彦。
 パステルカラーのお陰もあって、「かわいい」と言ってしまう。
「お二人の想いを届ける何通もの文のやりとり、従者の行き来もありました。」との記載。
 平安時代の貴族の恋は、本当にめんどくさい。
 「下々の」と言われる、召使なしには恋が成立しないのが、常識。
 平安時代の庶民も描きたいのかな❓まひろが庶民に字を教える…とか⁉
 と、思っていたが、民の暮らしはイマイチわからずで終わり。
【矢部氏は、ドラマのラブシーンを見ながら、廃邸のどこかで二人並んでデートの終わるのを待っている、乙丸と百舌彦を思わずにはいられなかったのだろうな…と、結局(笑)】

③第47回「乙丸の愛するきぬさんの絵」
 詞書「きぬさんは乙丸より先に亡くなり、乙丸は仏像を彫り続けます。」
 絵は、5センチ四方位の窓。
 正月の目隠し遊びのおかめ様の顔みたいな、まあるいお顔の下半分。
 お顔に目・鼻・耳なく、ただUの方向に弓なりの赤い紅。ん
 黄色い着物。
 右手人差し指の先に、紅をつけてこちらにかざしている。
【あぁーきぬだ。うれしかっただろうな…紅。こんなに小さくて、こんなに簡素なのに、心がとても温かくなる。これは(泣))】

④第44回「望月が照らす光、落とす影」
 画面中央やや上部に、壱円玉位の月。
 右に、その月の光に照らされる道長らしき人物。
 左に、その月から延びる陰に、お雛様が3体かと見まがうような、娘三人。彰子、姸子、威子。
 この時の道長の衣装「直衣布袴(のうしほうこ)」の色、キラキラしさがよく表現されていて、さすがと思う。
清明の予言に、光が強くなればなるほど、闇もまた深くなります」があった。道長の娘たちの人生は、現代に照らして言えば、幸せとは言い難い。が、彼女たちは、苦しくとも哀しくとも生きて、そして死んだ。その「苦しくとも、悲しくとも」の部分が描けているのが『源氏物語』だと感じる。まひろ=紫式部だとすれば、彼女は道長=光る君と視線を通わせつつ、影となる女君達の計り知れない、苦しみや、哀しさも、見えていたはず、という構図になる。私には、怖いなとも思える絵。深い…】

⑤裏表紙(たぶん)第31回「源氏物語を書くまひろ、横で読む道長」
 紫の雲に浮かぶ月。
 その月に照らされ、姫の市女笠を持ち佇む乙丸。
 月の中に、お雛様のような二人。
 女君はなにやら書き物をし、男君はそれを読んでいる。
 非常に簡素なのに、あぁ~あの場面だとわかる。

 まひろに、中宮彰子を慰める物語を書いてほしい、と頼み、それでも気になって訪ねてくる場面。
【「道まひ」ファンではない私でも、物語執筆中の紫式部にはあったかもしれない、と思う場面。年が明けると、お雛様が話題になる季節。変わり雛に、「道長と紫式部」がある可能性有。「一帝二后」は…まずいな…と。】

 年末であれこれしていて、総集編が見終わりません。
 画像編集していて、全く新しいドラマを見るような新鮮さで、「その1」を見ました。
 とにかくNHKは一流の「視聴覚資料」を作ってくれたと思います。
 「五節の舞」そこだけカットして、我が家のテレビの削除不可に入っています。
 消してしまいましたが、お産の場面もすごく勉強になりました。
 まひろとききょうの場面、全て楽しかったです。撮っておいて編集してそれだけを作れば良かったと、後悔しています。

 
 良い体験ができました。
 フォローして下さっている方、スキしてくださった方、その度毎にお辞儀しています。励みになります。ありがとうございます。
 今年は、文面上「ご存じ」の人が多く、気になって見るに違いないと思われた「光る君へ」の雑感で書いてみました。
 隆家が、どんな扱いになるか、とても気になったからでもあります。素敵な衣装を着せてもらって、フィナーレメンバーにもなって良かったです。
 
 来年は、全く違うことを書こうと思っています。
 私の身の上に起こったことで、皆さんにも興味を持ってもらえるかも、という、日記風で。
 来年もよろしくお願いします。

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