理解してることと、理解を示すことの違いには...
集合住宅に住んでる我が家。
今年夏に引越し、早々、階下の方から子どもの足音に対しての苦情が...
いろいろ対策し、生活リズムも階下に極力合わせ、子どもにも厳しく言い...
それでも苦情が絶えず。
私達が越してくる前の静かさ(ご老人の一人暮らし)にしてくれと...
階下の子どもが高校受験とのことなので、その受験が終わるまでは子どもと私だけ九州の私の実家に身を寄せています。(職場の理解が大きく、約3ヶ月フルリモートでokに😭)
やれることやってこれ以上何もできない状況に絶望していたんだけれど、こういう状況を通して得られた気づきもあって。職場や両親、夫、近所の相談に乗ってくれた方や友人、保育園など感謝することで溢れてた。
そして、一番大きな学びだったのはよく聞くことだけど「いろんな人がいる」ということ。
人それぞれに今に至るまでに経験があるわけで、過去のその人が過ごしてきた時間の上に今がある。
今回私は子育てしている人が必ずしも子育てに理解があるとは限らない。というか、理解はできても理解を示すかどうかは別ということを痛感した。
その人にも「今」の苦労や悩み、大変さがあって、日々を一生懸命に生きてるということ。
その日々の中で、他人に対して理解していることを示すことが難しいことだってきっとある。
たぶん階下の住人もそうだろう。
きっと何か抱えて悩んで過ごしているんだろう。
ただ、同じように私にも事情はあるわけで。
とりあえず、できることは全て行い、あとは礼儀正しく対応するしかないかな。そうすることが相手に対しての理解を示すことだと思うし、未来の自分をつくる過程としても最善かと思う。