見出し画像

臆病者が映画「BLUE GIANT」を観て思ったこと

私は臆病者である。自分の気持ちを曝け出して、一歩踏み出すのに不安を感じてしまう。

休職していた1年前、好きになった音楽や食べ物、映画を毎日記録していた。どんな部分に胸が熱くなるか、それに出会って何を感じたか。誰かに言われて始めた訳ではないのに、自分の時間を贅沢に使って夢中でペンを走らせる。ずらりと文字が敷き詰まったノートを見て、書くのが得意なのだと思った。そして毎日書くうちに芽生えたのは「誰かに読んでもらいたい、世の中の魅力あるものを知ってほしい」という気持ち。私はその気持ちを素直に受け入れ、転職活動を始めた。

それから「これだ!」と思った会社に転職して、はや1年。仕事で毎月コツコツ書き続けた結果、まだ稚拙だけど1年前に比べるとライティングスキルが上がっている。世の中の常識に当てはめたら「このまま書きたいことをどんどん書けばよい」と思うだろうけど、臆病者の私は一筋縄ではいかない。自分を曝け出すのが怖くて、読まれるのが小っ恥ずかしいのである。小っ恥ずかしくないテーマなんて思いつかないから、日常を書くために始めたnoteの毎週更新は止まっている。

なんで怖気づくのだろう。例えば、私は朝の散歩が好きである。家の近くに散歩道があって、緑生い茂る中、腕を大きく広げながら深呼吸して歩くと心地よい。ジョギングで心身を追い込む人や、脇道に生えたキノコの名前をスマホで検索するカップル、「おはよう」と声を掛け合って自由気ままにラジオ体操をしている集団がいて、お金を払わずにのびのび過ごせる自然豊かな空間。散歩から数日が経っても、私は日が昇る前の涼しい散歩道にずっと思いを馳せている。でも妙なことに「その良さを共感してほしい」とは思わない。むしろ心の中で「むふふ」とニヤニヤしているのが幸せなのである。記憶にはないが、過去に自分の考えを否定された経験があるのかもしれない。「自分が幸せなら良い」と逃げ道を適当に生み出し、真っ直ぐな書きたい気持ちを封じ込めてしまう。

今朝、Amazonプライムビデオで映画「BLUE GIANT」を観た。4歳からピアノを弾き続けている沢辺が、憧れのジャズクラブ「So Blue」の平に「内臓をひっくり返すくらい、自分を曝け出すソロを弾けないのか」と指摘される。沢辺は突然ぶつかった壁を見事乗り越えるのだが、私は「フィクションだから」と穿った見方をしていて「才能があるんだなー」くらいにしか考えていなかった。しかし、上原ひろみ氏が作曲、演奏した劇中に流れる情熱的なジャズや、登場人物の生き生きとした前向きな言葉が相まって、私は徐々にこみ上げる熱い気持ちを封じ込められなかった。もうサブスクでしか観れないし、考察するサイトはいくつも存在する本作品。でも、こんなに心を動かした素敵な作品の感想を自分の言葉で書かない選択はないと思った。

まだ私は臆病者だけど、今の気持ちをとにかく書いてみた。朝ごはんを食べずにiPadに文字を打っていて、もう10時を過ぎようとしている。これから何を「書きたい!」と思うかは分からない。しかし映画「BLUE GIANT」のような良い作品に出会って、そこから波のように押し寄せる感情と向き合えば、また書きたくなると思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?