血の轍:1巻について(感想以上考察未満)

押見修造さんの「血の轍」をはじめて読んで大ダメージを受けています。
かなり破壊力高いです。
1巻までの内容を私なりに整理しておかなければいけない気がしたので、メモを兼ねながら、ひとまず感想を殴り書いておきます。
(★:以下単行本1巻内のネタバレを含むのでご注意ください)

まずその絵のきめ細やかさ、そして、スクリーントーンがまったく(最初らへんの静一の部屋の扉ぐらいしか)ないことが痛快です。
トーンとは記号です。「こういう風に貼れば、まあ、影だよね」という按配に、記号としてのルールが周知されているもの。
これが使用されないのは、静一・静子の母子が、そういった社会の約束事から切り離された世界に生活しているからでしょう。本物語における森羅万象の一切が、二人の主観のフレームで切り取られていくわけで、そこに社会的な記号が入る余地がないのですね。

そして、最も痺れるのは、「何も起こらない1話」。
漫画に限らず物語一般は、1話目で読者の気を引く事件が何かしら起きますが、本作では何も起きない。冒頭、猫の死体の横で微笑む静子が意味深ではあるものの、事象としてはただ猫が死んでいるだけです。(※ここでも「客観」なるものが本作では何の意味も持たないことが示されています)
とはいえ、「物語である以上は「何か」が描かれているはずだ」と私たちは考えます。そして、ほとんど無意識に次の事実に突き当たるのです。
「あ、もしかして、すでに何か起きているってこと?」
目的地が分からない電車に乗っているような座りの悪さ。いやらしいです。

2話でようやく静子に毒親の性質があることが匂わせられ、そして、3話では従弟の茂によって、それが静一に突き付けられます。
「静一のお母さんって過保護だよね」とからかってくる茂に対し、静一は「お母さんを悪く言わないでくれ」と言い返す。
静一は思春期真っ盛りの中学二年生ですが、中二というと、
「うるせー、ババア!勝手に入ってくんなよ!」
「親に向かってその口の利き方は何なの!」
みたいなのが、母子のやり取りの典型としてよく見かけます。
それ思うと、真っ向から茂に反論する静一は、親のために怒れる純粋な少年だ、と捉えてあげたいところですが、残念ながら事態はもっと病的です。

「他人のために怒れる人」はとても素敵ですが、静一は母・静子のことを他人だと捉えられているでしょうか。
「勝手に入ってくんなよ!」が言えていれば、それは、親を「親しい他人」だと定義できていることになりますが、しかし、静一は、それが言えません。
本当は「茂ともう遊びたくない」と言いたいのに、それが言えず、代わりに、「ママ、いつもありがと」と、相手が喜びそうなことを、つい言ってしまう。
母と自分とが分かたれていない状態です。
「お母さんを悪く言わないでくれ」は、そのまま、「自分を悪く言わないでくれ」になっている。だから、病的なのです。
もっと重要なのが、それに対して、ほっぺにキスで返答する静子です。
中学生の息子にキスできるのは「家族だ(性的な関係になり得ない)から」という理由以上に、静一が、一人の男である(個人になる)という事実を強引に拒否している態度です。
ここが非常にグロテスクのは「相対的に美人といえる母」に対する(エディプスコンプレックス的な)欠片ほどの性欲を利用し、静一が抱き始めている一般的な(吹石に注がれるべき)性欲をねじ伏せようとしているというところ。
静子はどうやら単なる毒親ではなさそうですね。
いわゆるコントロール系の教育ママみたいなのとは、息子の懐柔に用いる手段の次元が違っています。
この辺りは、きっと今後明かされていくのでしょう。

4話。どんどんいきます。静一は、茂を含む親族と気乗りのしない登山に出掛けることになりますが、登山口についたときの見開きがこれまた圧巻。
「豊かな山々を背景に親族が集合している和やかな風景」のはずが、観るものの意識によっては、さながら「禍々しい地獄絵図」へと姿を変えるという震える見開きです。
これもまた、「何も起こらない1話」の論理を凝縮させたカットと言えるかもしれません。
「この迫力で描かれなければならないほど、静一にとっては、恐ろしい場所(になる)なのだな」と、有無を言わさず我々に理解させてくれているからです。

さて、5話です。道中、静一は茂に悪戯され、命の危機を感じたりもしますが、茂という少年はちょっと不思議ではないでしょうか。初登場時の印象がよくない(ぷよぷよで罰ゲームにデコピンをかましてくる)ために、ウザいいじめっこの雰囲気が強い茂ですが、なぜここまで静一に関わろうとするのかが、私にはギモンです。
幼稚園で同じ教室にいたらしいことから年齢は静一とちょうど同じと仮定しますが、彼なら、わざわざせっかくの休みに静一の家に来たりせずとも、気の合う仲間が自分の学校にいくらでもいるのではないかと思うのです。
登山中に、静一の手を引く場面なんかはやけに爽やかです。連れションも、冒険への誘いも、いまのところ、すべて静一にとってしか意味のない行動に見える(物語の都合といえばそれまでですが)。
「言いたいことがあるならはっきり言え」という台詞も、堂々としています。既にこの漫画では自我がしっかりしている人間は少ないので際立っています。どうも、茂という少年は、静一に対して腹に一物抱えているように見える。
3話で静子が性を用いて静一を抑圧しにかかったことから、今後、静一を静子から最も強い力で引きはがしにかかるのは吹石だと思いますが、茂ももしかして同じアクションを起こそうとしていたのではないか?と私は夢想します。すなわち、彼は静一に恋心を抱いている同性愛者ではないのかと思うのです。
根拠はまったくありませんが、これも、今後明らかにされるでしょう。

そして、6話。ついに事件が起こります。
ふざけていて崖から落ちかける茂を、静子はとっさに一度助けますが、再び崖から突き落とすのです。事故を知った皆は、各々分かれて茂の救助活動に奔走しますが、静一・静子の二人だけが放心状態で崖上に取り残されます。
静一が近づくと、朦朧とした様子で静子は何かブツブツ言っている。それは、親類縁者との付き合いの中で嘲笑されたことに対する愚痴であったり、半ば意味不明なボヤキであったりします。静一はさっきの映像(静子が茂を突き落としたこと)が幻覚などではなかったことを悟ります。
この7話のタイトルが「顕現」。
ついに、今まで濃霧が立ち込めていた部分が晴れ、静子の心底が現れます。それを表現して、静子は「ほら、こんなにきれい」と言っている。

直前のボヤキの中の、「ほーら こんなにタバコ吸っちゃったんだから。汚いんさ水が。そうじなんかしたくないの」のところはかなり意味深です。いろいろ想像することはできますが、いまいちハッキリとはわかりません。
静子の幼げな表情といい、「そうじなんかしたくないの」がひらがなで書かれていることといい、静子が息子にハグを求める行為といい、どこか幼児退行を思わせます。
ひょっとすると彼女の過去に何かこうなってしまうきかっけのようなことがあったのかもしれませんが、ここも読み進めるほかなさそうな部分です。

というところで1巻終了です。
いやあ、スゴイ漫画です。エネルギーを使います。
本当のことを言いながらエンタメとしても成立しているのが、恐ろしい。

それから、作中の静子のやり口で私が感心したのがあります。それは、常に、静一にかりそめの選択を強いることです。
静一の朝ごはんが最も顕著でしょう。
1話冒頭で起床した静一に対し、
静子は「朝はん、肉まんとあんまんどっちがいい?」と尋ねます。2択。
そんなのどっちも食べたくない気分のときがあるに決まっていますが、それでも、どちらかを選ばされる。仮に、静一が「肉まん」を選びます。すると、それは「自分が選んだ」ことにされてしまう。「肉まんがいいって自分でいったよね?」という風に言質をとられてしまうし、次第に、静一自身もそれが自ら望んだことのように錯覚してしまうのです。
友だちとの約束をキャンセルさせるときも、心にもない「無理しなくていいわよ」という言葉を一応告げます。なぜか?静一自身が「大丈夫」と発言するという工程をきちんと引き出すためです。
茂を突き落とした後も同じ手口を使っています。この時、静子は「このことは誰にも言わないで」などと言わず、狼狽した様子で「みんなを呼んできて」と言います。これは、「何と説明するかは、あなたに任せますよ」という意味です。結果、静一は、「しげちゃんが…崖から落ちた」と自ら事実を捻じ曲げてしまいます。

これらはマインドコントロールの常套手段だと思いますが、静子はそれを自然体でやっている風があり、まさしく最強のメンヘラです。
今後、この静子の大いなる自己愛がどのように静一の世界を締め上げていくのか非常に見物です。

殴り書きで尻切れですが、機会があれば、また感想書きますね。
ばいちゃ。





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